◆国道169号線芦原峠旧道 |
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奈良県高市郡高取町と吉野郡大淀町の間にあるのが芦原峠(標高310m)。竜門山地の鞍部に当たるこの峠は、奈良盆地から吉野川流域に出る主要ルートにあたり、奈良から八木・高取を経由する中街道から分岐して、大淀町内の伊勢街道に出る芦原越街道が越えていた。 芦原越街道は大正12年(1923年)に県道高取大淀線として指定されていたが、明治以降3度の改修が行われて車道となっているもの、急坂とS字カーブが路であった。昭和28年(1953年)5月に県道高取大淀線は国道169号線に指定される。 |
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国道169号線は奈良盆地と吉野地方を結ぶ南北の幹線道路としての役目があり、本格的な自動車時代が到来すると交通量が増加した。このため旧来の峠道では対処しきれなくなったことから、芦原峠から30m下の標高280mの地点に芦原トンネルが建設されることになった。 芦原トンネルは昭和40年(1965年)3月に開通。これにより芦原峠を越えるルートは旧道となった。芦原峠にはその後、新芦原トンネルが建設され、現在は上下分離された2本のトンネルで峠下を通り抜けている。
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参考資料・文章引用元>>大淀町史(昭和48年刊) |
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■国道169号線芦原峠旧道【2001年レポート】 ■国道169号線芦原峠旧道【2008年レポート】 |
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>>Update H21(2009).10.01 |
○国道169号線芦原峠旧道 【2001年レポート】 |
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■高市郡高取町 |
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奈良県橿原市からR169を 南に向かって走る。高市郡高取町を南に行くにつれて沿道のは徐々に田畑中心の風景となる。少し山深くなると上り坂となり、ほどなくして上下線が分離して2車線道となる。 急勾配の坂道を上って行くと、芦原 トンネル北口(高取側)手前で北行き(奈良市方面)車線を跨ぐ橋が見えてきた。Uターンのための道路のようだ。その道は南行き(大淀町方面)車線の下を通る北行き車線と合流している。写真1の左端に写っている別れる道がその道である。 某出版社の地図によると、芦原峠旧道はトンネル北口付近で現R169から分岐するよう示されていた。しかし道路改良工事によって付近の地形・道路は大きく変わってしまったようで旧道の痕跡は残っていない。北行き車線を跨ぐ橋の上から見た限りでは、トンネル高取町側のR169のどこから分岐したかは 全く分からない。 さて橋を渡って北行き車線を越え、緩い右カーブを下って行くとT字交差点に出た。右に向かうとそのままR169北行き車線に合流するのだが、これとは別に左に向かう道がある。どうやらこれが芦原峠のR169旧道となる。 しかし芦原峠の旧道入口はゲートで閉鎖され鎖で施錠されていた(写真2)。旧道は緩いカーブを描きながら山中へ消えていったが、路面は荒れ放題で草が伸び放題であった。完全に廃道と化しまったようで、バイク・車での走行 は不可能となっている。 |
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<<写真はすべて2001年3月撮影>> *以前のレポートを修正・訂正し、写真を差し替えて再掲載しています。 |
■吉野郡大淀町 |
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高取町側からのアプローチが不可能なので、大淀町側からアプローチすることにし、芦原トンネルを越えて大淀町側に向かった。 芦原 トンネルを出るとすぐに芦原交差点に到着する。ここが芦原峠旧道南側分岐点。旧道は途中まで打ちっ放しのゴルフ場への連絡道路となっており、ゴルフ場従業員用駐車場までは整備された1.5〜2車線幅の道だった。駐車場を過ぎると杉林の中の1.5車線道路となりゴルフ場を囲むようにカーブを描きながら北に向かう。 途中で郵便局の車とすれ違ったので、この先に民家があることを確信する。とりあえずはそこまでは走ることが出来るのだ。杉林の中をしばらく進むと集落に着いた。芦原交差点から1.5kmほどの距離だ。作業所と民家が数軒あるだけの小さな集落だった。 旧道を進んで行くと 、民家の前を過ぎた所からダートに変わった。1車線幅のダートを進もうとしたが、路面は落ち葉に覆われている上にぬかるんでいるために、KSRUであっても後輪がスタックしてしまう。しかたなく分水嶺付近でKSRUを停めて歩いてみる。 分水嶺を過ぎると道は下り坂となる。10mほど歩くと道は左カーブとなっていた。その先は右カーブとなり北に向かって進んでいることは明らか。しかし草木が生い茂り倒木もあるためにそれ以上進むことが出来ないために引き返した。芦原峠旧道の北側は廃道となり通り抜けは不可能となっている。 |
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<<写真はすべて2001年3月撮影>> *以前のレポートを修正・訂正し、写真を差し替えて再掲載しています。 |
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◆2001年レポート終わり |
○国道169号線芦原峠旧道 |
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■高市郡高取町 |
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【レポートは分岐点→芦原峠方向(北→南方向)です。】 |
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前回調査から約7年後の平20年(2008年)3月に芦原峠旧道を訪れた。今回も北側(高取町)側から調査を開始する。芦原トンネル・新芦原トンネルの北側、高取町側にある上下線の連絡道路を渡って旧道分岐点に向かう。 旧道の北側分岐点付近は、芦原トンネルと新芦原トンネル開通に伴う上下線の分離などによって大きく姿を変えてしまい、分岐点より北側の旧道の道筋は全く分からないままとなっている。 芦原峠旧道の北側分岐点はゲートが設置されている。なのでバイク・車での進入は不可能となっているので、今回は歩いて進める所まで進むことにした。もちろん自己責任においてだ。 ゲートからはアスファルト舗装が残った狭路となっている。3月ということもあり草がほとんど育っていないが、5月以降の夏場になれば生い茂ってしまい何がなんだか分からない状態になるのだろう。しばらくはアスファルト舗装路を進むが、やがて舗装も途切れてダート道となった。 20mほど歩くと揺るやかな左カーブとなっていた。 カーブを曲がると広い場所にでる。付近の山の斜面は切り崩された状態で残されている。どうやら採石場跡のようだ。朽ち果てた機械が残されている。電柱が数本放置されているが電線は通っていない。かなり以前に放棄されたようだ。 旧道は採石場跡横を通り過ぎると、そのまま芦原峠に向かって山中へと向かって行く。しかし採石場跡から先は草木に覆われてしまっており、ルートが全く分からない状態となっていた。調査はここで断念し、採石場跡横で引き返した。 |
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<<写真はすべて2008年3月撮影>> |
■吉野郡大淀町【芦原交差点〜芦原峠】 |
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【レポートは芦原交差点→芦原峠方向(南→北方向)です。】 |
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通り抜けが出来なかったので、平成13年(2001年)同様、今度は大淀町側から旧道を走ることにする。R169現道に戻り、南行き車線の芦原トンネルを出て芦原交差点に至る。交差点を右折すると、ゴルフ場横を通る1.5車線狭路に入り芦原峠に向かう。 芦原交差点から400mほど進むと交差点に至る。一瞬迷うがここは右側。カーブに沿って右に進むのが正解となる。少しだけ山林の中を走る。やがて勾配のある坂道となり民家が見えてくると峠も近い。芦原の集落内を通過し、最後の民家を通り過ぎると舗装路が途切れる。芦原交差点から約700m。そこからダートを20mほど進むと芦原峠に到着する。 |
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■高市郡高取町【芦原峠〜行き止まり】 |
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【レポートは芦原峠→北側分岐点方向(南→北方向)です。】 |
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今の芦原峠には町名を示す標識などはない が、峠を越えると高市郡高取町に入る。芦原峠北側の旧道は下り坂となる。KSRUで進めるところまで進もうかと思ったが、路面がぬかるんでいる上に落ち葉が積もっていて非常に滑りやすい状態となっていた。下ることは下れても、上るのが困難になると予想したので、峠を少し越えた所で走行を断念して歩いて調査を行った。 峠からしばらく下り坂を歩く。左側にはコンクリートの壁(法面?)があり、かつて車道であったことを物語る。草木が浸食しているが道路自体も判明しており、1車線幅の狭路坂道が続いている。峠から少し歩くと倒木現場に出る。見た感じ、数年前に倒れたようなのだが、電話線に引っかかって道路上に倒れていないだけの状態だった。電話線がどこに向かうのか興味あるところだ。 平20年(2008年)3月訪問時、このダート路面上にはくっきりとタイヤ痕が残っていた。サイズからして軽自動車のようなのだが、地元の林業関係の車なのか、旧道探索しにきた車なのかは不明。ただ途中でやや広い場所で苦心して方向転換した跡があるので、断念して引き返した模様。その先はタイヤ痕もない自然に還りつつあるダート道となっていた。 峠から5分ぐらい歩くと突然道が消えた。道路全体が土砂に埋まり、土砂の上に草木が生え始めていた。窪んでいる部分を選んで、地面を注意しながらクリアすると再び道が現れる。どうやら土砂崩れが起こったものの、復旧せずに放置したままとなっているようだ。もはや復旧する必要もない廃道ということなのだろう。 再び現れた車道を歩く。杉林の中を行く緩やかな勾配の狭路。路面一面に落ち葉が積もり、路肩から草木が浸食している。夏場であれば草が生い茂る場所のようだ。いくつか茂みがある。かき分けて進めば道筋は分かるので、地面に注意して進んで行く。再び道路にでたが、その先は土砂崩れがあったのだろうか、道路自体が土砂や草木に埋もれてしまっていた。どうにかして道筋を探したが全く分からない状態だったので、一人でこれ以上先に進むのは危険と判断。引き返した。 電話線らしきケーブルであるが、途中の土砂崩れ現場付近から見あたらなくなった。別の場所に向かったのか、途中で断線しているのか不明である。 |
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<<写真はすべて2008年3月撮影>> |
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◆2008年レポート終わり |
<<MEMO>> |
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■概況・交通量など 芦原峠旧道は、芦原峠南側の吉野郡大淀町側の区間のみ芦原集落への生活道路として生き残っています。芦原峠から北側の高市郡高取町側の区間は廃道となっており徒歩ですら通り抜け困難な状態となっています。途中で土砂崩れの跡がそのまま放置されており、道筋が消えている場所があるので、通り抜けできるかどうかは分かりません。 昭和40年(1965年)の芦原トンネル開通までは国道だった道路なのですが、今は廃道となったこの道を車・トラックそして路線バスが通っていたそうです。 ■注意点 土砂崩れの跡や倒木があるので結構危険な状態です。一人では危険なので、二人以上で行かれることをお勧めします。 悪天候時や大雨の後は危険です。また夏場は草が生い茂って大変危険な状態となります。 |
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●走行DATA |
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芦原峠旧道 【高取町側】 >>調査日:平成13年(2001年)3月19日/平成20年(2008年)3月13日 |
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【大淀町側】 >>走行日・調査日:平成13年(2001年)3月19日/平成20年(2008年)3月13日 |
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【芦原峠旧道終わり】 |
吉野郡吉野町上市〜立野〜河原屋にかけてのR169現道は、吉野川の右岸(北岸)を通っているが、現在の道は戦前〜戦後に建設されたバイパス道路である。 吉野町内のR169は旧伊勢街道を改修したもので、吉野町上市〜立野にかけては現道の北側の町中を通る道がそれにあたる。戦前の県道昇格、戦後の国道昇格後に道路改修が行われたが、河岸の狭い場所に町があることから道路拡張は難しく、吉野川右岸(北側)の人家裏に岸壁を設けて新道を敷設した。この新道が現在のR169ということになる。 『吉野町史』によると、吉野町役場近くの桜橋を境として、桜橋東側(吉野川上流側)が戦前、同西側(下流側)が戦後に開通している。このうち東側の区間は、吉野川のすぐ側を通っており、伊勢湾台風などで破壊されたことがあるとのこと。そういう経緯があることから、行楽シーズンは渋滞する吉野町内のR169現道の改良(拡幅)は難しいと思われる。 |
<<写真なし>> |
参考資料・文章引用元>>吉野町史(昭和47年刊) |
上市地区旧道の存在は以前から知っていますが、いまだ走ったことがありません。いつも目的地に向かう途中に通るのですが、移動を優先してしまい、どうしても通り過ぎてしまうのです。いずれ上市地区旧道を走ってこようと思っています。いつのことになることやら・・・m(_ _)m 近場だとついつい後回しになってしまいます・・・。 |
【上市地区旧道終わり】 |
吉野郡吉野町〜吉野郡川上村間のR169現道は、吉野町宮滝から宮滝大橋で吉野川を渡り、中山トンネル(L=201m)と五社トンネル(L=1360m)を抜けて川上村西河に出て大滝に至る。この区間は昭和48年(1973年)11月から供用開始となった『R169五社バイパス』と呼ばれたバイパス道路で、旧道は現在のR370〜r16(県道吉野東吉野線)〜r262(県道国栖大滝線)の吉野川に沿うルートであった。 R169の前身となる県道上市木本線も同じルート(新子・国栖経由ルート)を通っていたが、県道の前身となる東熊野街道は五社峠を越えるルートを通っていた。吉野町宮滝で伊勢街道が分かれ樫尾経由で五社峠を越えて川上村西河に下る、R169現道とほぼ同じルートであった。街道時代は人が通れるだけの道幅しかなかったが、明治時代に入り改修する必要が出てきたため、川上村出身の土倉庄三郎の主導により荷車が通じる道に改修された。吉野・川上を結ぶ最短ルートではあるが、急勾配の坂道が続く難路であったことから、宮滝〜窪垣内〜新子〜国栖〜西河の吉野川沿いに進む平坦な道が車道として整備され、大正9年(1920年)に県道上市木本線として指定されると、五社峠経由の道は急速に廃れてしまった。 昭和28年(1953年)5月に県道上市木本線が国道169号線に指定される。その後は紀伊半島を南北に結ぶ幹線道路として整備が進められることになる。吉野町〜川上村間は、蛇行する吉野川沿いの新子・国栖経由の屈曲ルートを五社峠をトンネルでショートカットするルートでバイパス道路が建設されることになった。 バイパス建設は吉野町側から始められ、昭和45年(1970年)に中山トンネルが開通。先に宮滝〜樋口〜樫尾間が先行供用された。このときの新道は宮滝から柴橋を渡って吉野川左岸(南岸)に渡っていた。その後、五社トンネルの建設が開始され、同トンネルは昭和48年(1973年)11月頃に完成し全区間が供用開始となった。R169は江戸時代の街道と同じく、五社峠経由のルートに戻ったことになる。 これにより新子・国栖経由ルートは旧道となり、昭和49年(1974年)6月に吉野町国栖〜川上村西河間が県道国栖大滝線、昭和50年(1975年)4月に吉野町宮滝〜窪垣内間が国道370号線に、窪垣内〜国栖間が県道吉野東吉野線の一部となった。 また五社トンネル開通後のR169もしばらくは宮滝地区の柴橋を経由していたが、昭和56年(1981年)に現在の宮滝大橋が開通すると、そちら経由の現在のルートに変更されている。 |
関連ページ>>地図で見る五社峠の東熊野街道 |
参考資料・文章引用元>>吉野町史(昭和47年刊) /川上村史(平成元年刊) |
■レポはR370、r262を参照にしてください。 |
【中山トンネル・五社トンネル旧道終わり】 |