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大滝ダム旧道

◆国道169号線大滝ダム旧道

■大滝ダム

 吉野郡川上村に建設された大滝ダムによって、それまで吉野川沿いに進んでいたR169は水没することになった。川上村内には大滝ダムの上流に大迫ダム、さらに南に下った吉野郡下北山村に池原ダムがあり、R169はこれら3つのダム建設によって水没するため、付け替え道路が建設されることになった。R168よりも 早く整備が進んだ背景にはダム建設が絡んでいたのだ。

 大滝ダムは昭和37年(1962年)に建設が発表された特定多目的ダム。建設に関する経緯は省略するが、立ち退き交渉は困難を極め、ダム本体の着工が開始されたのは平成8年(1996年)のことであった。ダム本体自体は平成14年(2002年)度末には完成。平成15年(2003年)4月から試験湛水(ダムを満水にして水を抜き、亀裂などを調べる試験)を開始。同年度末には竣工することになっていた。

 しかし試験湛水開始直後の4月末に川上村白屋地区において斜面に亀裂があることが発見され、5月には試験湛水が中止されるという事態に陥った。調査の結果、地滑り対策の工事が必要ということになり、白屋地区 の全戸移転などの補償交渉などにより 竣工は延期される。白屋地区の地滑り対策工事は平成17年(2005年)4月から開始され、平成20年(2008年)2月末に完了。平成20年(2008年)4月(平成21年度)から再び試験湛水を実施したのち竣工となる予定となっていた。

 ところが工事真っ盛りの平成18年(2006年)3月になって、川上村大滝地区と迫地区において地滑りの発生が起こる可能性が指摘された。調査の結果、同地区においても地滑り対策工事が行われることになったため、竣工は再び延期。再度の試験湛水ならびに竣工は、大滝・迫地区での地滑り工事が完了する予定の平成23年(2011年)度中頃以降ということになり、それまでダム湖が満水になることはなくなった。

■大滝ダムとR169

 大滝ダムに沈む区間は、川上村大滝〜川上村柏木地区付近までとなる。この区間は吉野川の左岸に沿ってウネウネと進んでいた狭路区間で、川と山の斜面のわずかな平地に道が通り、町や集落が形成されていた。もとをたどれば江戸時代からの東熊野街道であり、後の県道上市木ノ本線ということになる。

 ダムに沈む区間は標高の高い位置に付け替え道路を建設することになっていた。付け替え道路の用地買収や建設は、ダム本体工事着工までに開始されており、川上村川上〜迫地区の間が昭和63年(1988年)7月に開通している。 この区間は大滝ダム本体がある区間となるため、最初に通行止めとなった旧道区間となる。

 迫地区からは急勾配の2車線坂道による連絡路が設けられ、一気に谷底の川沿いに下りていた。(旧)高原集落付近からは吉野川沿いに進む狭路が続き、途中で対岸の迂回路に渡ったりしながらも吉野川沿いに進み、(旧)井戸地区で付け替え道路に合流していた。

 付け替え道路の残る区間も順次建設され供用開始となり、付け替え区間全区間が開通したのは平成12年(2000年)頃だったように記憶している。その後しばらくの間は、川沿いの旧道は通行可能であったが、平成14年(2002年)10月になってから全面通行止めとなった。その翌年、平成15年4月からは試験湛水が開始。わずか1月ほどで旧道は水没したが、前述の地滑りにより水を抜いたことから再び姿を現した。

 その後は工事用の専用路となり、R169現道からその姿を見ることが出来る。ただ一部の旧道は地滑り対策による工事によって姿を消してしまっている。地滑り対策工事が全て終わり、大滝ダムが本格的に水を貯め始める予定の平成24年(2012年)以降は姿を消してしまい、おそらく二度と姿を現すことはなくなるだろう。

 @管理人がバイクでR169を走り始めたのは平7年(1995年)秋頃から。吉野川左岸の旧道が現役国道だった末期の頃のことで、建設中の付け替え道路を見ながら走ったのを覚えている。その頃の道の写真を撮影していないのが残念でならない。旧道の写真撮影を行ったのは平成13年(2001年)のことだが、その後に旧道は通行止めとなってしまったので、以後はR169現道から撮影している。

 なお、撮影した写真があまりにも多く、平15年(2003年)以降の旧道の写真は別サイトで公開する予定でいる。なので本サイトでは通行止め直後の平15年(2003年) 9月までの旧道の写真のみの公開とさせていただく。m(_ _)m

参考資料・文章引用元>>川上村史(平元年刊)

■国道169号線大滝ダム旧道【2001年レポート】

国道169号線大滝ダム旧道【2003年レポート】

>>Update H21(2009).10.01

○国道169号線大滝ダム旧道

  【2001年レポート】

■吉野郡川上村【大滝地区】

 吉野郡川上村西河地区でR169旧道のr262(県道国栖大滝線)との交差点を過ぎると、R169は大滝地区の町中に入る。

やや狭い2車線幅の町中のカーブを走り抜けると、今度は2車線の急勾配の坂道が始まる。この坂道から大滝ダム建設に伴い作られた付け替え道路区間となる。

 本来の川沿いに進むR169旧道は、この坂道が始まる付近から分岐していた。平13年(2001年)当時、旧道は大滝ダム本体工事現場への資材搬入路となっており、工事関係車両以外の通行は出来ない状態だった。

 付け替え道路を上って大滝トンネルを越えると、吉野川に向かう1.5車線道が分岐していた。この道が旧道かどうかは不明だが、その道も工事専用道と化していた。大滝トンネル南口(上北山村側)から少し進むと、ダム建設現場へ向かう工事専用道の入口があった。入口には係員付きのゲートが設置されており、この道も工事関係車両以外通行禁止となっていた。

 この付近の付け替え道路はかなり以前に建設されたようで、とある資料で見た1985年(昭60年)頃の写真には、すでに付け替え道路の坂道と鉄骨で組まれた仮の道路などが写っていた。大滝ダム本体 の関連工事に着工したのが1988年(昭63年)なので、その頃には現在の 急勾配の2車線坂道が完成していたはずである。私がバイクで訪れるようになった1995年(平8年)当時で既に一般車通行禁止であったのは言うまでもない。大滝ダム本体付近のR169旧道は、ダム建設に伴い大きく姿を変えたか消滅したようである。

1.旧道分岐点にあった案内標識。旧道は『通行

  止』となっている。今は隠されている。

2.旧道分岐点。左に分岐するのが旧道。当時は

  警備員が常駐していた。

3.当時はまだ工事が続いており、工事関係の建

  物などがあった。旧道は作業路となっていた。

<<写真はすべて2001年4月撮影>>

*以前のレポートを修正・訂正し、写真を差し替えて再掲載しています。

■吉野郡川上村【(新)迫地区】

 大滝トンネルを過ぎるとR169は快適な2車線道となって南に向かう。当時のR169の道路上からは、吉野川沿いに1.5車線幅の旧道が見えた。見えていたのは川上村(旧)寺尾地区付近の旧道であった。

 移転して来た川上村村役場や警察、道の駅『杉の湯川上』のある川上村(新)迫地区の町中に入る直前に、現R169から別れて川岸に下る道が分岐していた。この道は山腹を進む現在のR169付け替え道路と川沿いの旧R169を連絡するために建設された連絡道路。付け替え道路が全通していなかった 平9年(1997年)頃までは、全てのバイク・車はこの連絡道路を走って川沿いの旧道に下りていた。この連絡道路は付け替え道路が全区間供用された後、一時期工事のために一般車通行止めになっていたが、2001年4月に訪れたところ一般車も通行が出来るようになっていた。

 かなり急勾配の坂道を下って川沿いに下りる。そこは川上村(旧)迫地区で、 昭和60年(1985年)頃は1車線道の両側に民家が密集していたそうだ。それから15年ほど経過したが、民家は一軒残らず立ち退きとなり取り壊されていた。民家があった付近は道路の拡幅用地となったそうである。

4.(新)迫地区入口にある連絡道路分岐点。左

  に向かうと川沿いの旧道に下りる。

5.連絡道路は12%の急勾配だった。案内標識

  が立っていた。

6.連絡道路の途中。かなりの急勾配だったことが

  分かる。上りではたまに渋滞していた。

7.川沿いに下りた旧道との合流付近。右の道が

  旧道。(伯母峰峠→吉野方向を撮影)

8.写真7の案内標識。旧道方向は『通行止』と

  なっていた。(0106)

9.この付近は川上村の中心地だった。旧道は2k

  mほど北で行き止まりとなる。(0106)

<<撮影年月の記載が無い写真はすべて2001年4月撮影>>

*以前のレポートを修正・訂正し、写真を差し替えて再掲載しています。

■吉野郡川上村【(旧)寺尾地区〜(旧)迫地区】

 この連絡道路の取り付け部付近からは北(ダム本体方面)に延びる1.5車線道があった。旧道の雰囲気を残す川沿いの1.

5車線道で、狭路を淡々と1kmほど北に進むと、 北塩屋橋の北側から下りてくる別の連絡道路と合流していた。

 さらに川に沿って蛇行する1.5車線道を進み、鮎釣りの店の前を通り過ぎると護岸工事現場入口に到着した。ここから先はゲートが設置されていて一般車は通行不可能となっていた。ゲートから先(北側)の旧道は、ダム湖護岸の基部が建っており消滅していた。これより北側(ダム本体寄り)の旧道は、ダム本体や護岸工事などにより寸断されて消滅しており、 平13年(2001年)4月時点では走行不可能となっていた。この地点が走行可能な大滝ダム旧道区間の最北端であった。

10.連絡道路合流点から北に向かう。連絡道路

  の橋脚が張り出したため狭路となっていた。

  橋脚を建てられるほど広い土地があった。

11.少し先から南方向を見る。この付近の土地が

  広いところをみると、村の中心地でいろいろな

  建物があったのだろう。

12.昔の雰囲気を残す区間。ガードレールのない

  平坦な道だった。

  (吉野町→川上村方向を撮影)

13.北塩屋橋を南から見る。下の坂道は工事車

  両用道路で、川沿いの旧道に下る。川沿いに

  旧道が見える。(0104)

14.北塩屋橋のすぐ北にあった木。後日の話だ

  が、一度水没したときに枯れてしまった。

  (吉野町→川上村方向を撮影)

15.(旧)寺尾地区の集落付近。民家の跡はなく、

  ここには鮎釣りの店が1軒あるだけであった。

  ( 吉野町→川上村方向を撮影)

16.狭い2車線道が続く。この付近は民家が立ち

  退いた後に更地となり道路が拡幅されたのだ

  ろう。

17.写真16のカーブを曲がるとゲートに到着。一

  般車通行止。この先は護岸の基礎で道は消

  えていた。

18.北塩屋橋の北側にある連絡道路分岐点。写

  真13の工事車両用道路はここから分岐してい

  た。末期は旧道に下りる連絡道路だった。

<<撮影年月の記載が無い写真はすべて2001年6月撮影>>

*以前のレポートを修正・訂正し、写真を差し替えて再掲載しています。

■吉野郡川上村【(旧)迫地区〜(旧)井戸】

 道の駅『川上杉の湯』手前から吉野川沿いに下ったR169旧道は、1.5〜狭い2車線幅のまま南に向かっていた。昔は(旧)迫地区の町があって町中を1車線狭路で進んでいたそうだが、すでに全てが取り壊され何も残っていなかった。標高の高い山腹に移転した丹生川上上社跡を過ぎる。ここからは石器時代の遺跡も見つかったそうだ。それも含めて全てがダム湖の底に消えてしまう・・・ 。

 神社跡から100mほど進むと川上村(旧)高原土場地区へ入る。ここで旧道は川を渡って吉野川東岸に移っていた。旧道は吉野川西岸を進むのが本来のルートなのだが、付け替え道路(現R169) と(新)人知地区(移転地)の基部ならびにダム湖護岸の工事用道路となってしまったので一般車通行止となっていた。

 吉野川を渡った旧道は迂回路ということなる。東岸に移った迂回路(付け替え道路)は2車線道。ダム湖を跨ぐ白屋橋を見上げながら進んでいた。 この区間内には、白屋橋を過ぎた付近にR169国道標識が立っていた。平13年(2001年)4月時点でも国道扱いになっていたようだ 。(水没前に、この標識は支柱ごと撤去されている。)

 1kmほど進んだ川上村(旧)人知地区で西岸に戻ったR169旧道は、1.5〜狭い2車線幅のまま川の流れに沿ってウネウネと進んで行った。一部では護岸用地 や井戸地区の移転地の基部となって消滅したり、工事用道路と化して通行不可能な区間があったが、川原に鉄骨でもって迂回ルートが設けられいたので、ほぼ本来の旧道ルートを進むことが出来た。

19.(旧)迫地区の町があった場所を行く。立ち退

  き後に拡幅されたそうだ。

20.R169付け替え道路から見た高原土場。建

  物北の橋で東岸に渡っていた。(0004)

21.川沿いの迂回路からは白屋橋を見上げること

  が出来た。(川上村→吉野町方向を撮影)

22.迂回路にはR169国道標識があった。

  平20年、この付近は地滑り対策の護岸の基

  部となり姿を消した。

23.今の川上中学校下付近で、東岸から西岸に

  もどっていた。西詰から撮影。左上に白屋集

  落が見える。

24.橋を渡ると急な坂道を上がっていた。写真右上

  には工事道路となっていた、本来の旧道があり

  坂を上ったところで合流していた。

 

 

25.人知〜井戸間にあった、鉄骨と鉄板の仮設

  迂回路。後に撤去されたように思う。

 

 

<<撮影年月の記載が無い写真はすべて2001年4月撮影>>

*以前のレポートを修正・訂正し、写真を差し替えて再掲載しています。

■吉野郡川上村【(旧)井戸〜(旧)下多古】

 川上村(旧)人知地区を過ぎると、R169旧道は付け替え道路(R169現道)の真下を走るようになった。旧道は山間を進んで行く、昔ながらの1.5車線幅の平坦な狭路だった。 沿道に建物がない以外はほとんど昔のままの姿だろう。川の流れに沿ってカーブがいくつか続いていたが、見通しは比較的良かったように思う。しかし谷間を進んでいたので、日没後は真っ暗となりバイクで走ると精神的に気を遣って疲れたのを記憶している。

 やがてR169旧道は現道の基礎となるコンクリート壁の真横を進んで行った。R169現道からは真下に旧道が見えていたが、この付近は2003年4月時点ではまだ水没しておらず確認することが出来た。しかし5月に訪れてみると早くも水没していた。

 川上村(旧)井戸地区に入る。R169現道(付け替え道路)にあるガソリンスタンドの下を通り抜けると、大きな左カーブを曲がる。その先も川の流れに沿って進み、やがて右カーブを曲がると井戸橋をくぐる。ここにもR169国道標識が立っていたが、後に撤去されている。

 その先も川沿いを平坦な1.5車線道で淡々と進む。すぐ右上には現道が通り、車やトラックが爆走している。そんなことはお構いなしにのんびりと旧道を走る。やがて(新)井戸地区の集落近くに至る。この付近、本来の旧道は既に付け替え道路(現道)と移転地の基部になって消滅していたため、新たに建設された道路を走っていた。川の流れに沿って右カーブを曲がると武光橋をくぐる。

 武光橋から少し進むと迂回路から本来の旧道に合流。あとは川の流れに沿って淡々と狭路を進み、やがて(旧)下多古地区の集落に到着する。平13年(2001年)5月頃までは、(旧)下多古地区には数軒の民家や作業所があった。平14年(2002年)末頃までには住民全てが立ち退いたようで、平14年(2003年)3月末には全ての建物は撤去されて更地と化していた。

 この(旧)下多古地区からR169本道(付け替え道路)に上る連絡道路が分岐しているが、川沿いの旧道はもう少し先まで続く。

26.平坦な1.5〜狭い2車線道を進む。上の方

  に現道(付け替え道路)が見える。

  (川上村→吉野町方向を撮影)

27.R169旧道は山間の谷を進んでいた。日没

  後は周囲は真っ暗となり、バイクのライトだけ

  が頼りだった。

28.井戸橋の橋脚下付近にあった国道標識。後に

  撤去されている。

  (川上村→吉野町方向を撮影)  

29.淡々と谷間の平坦な狭路を進んで行く。

  この付近は昔 の雰囲気を残す区間だった。

30.やがて右上に現道(付け替え道路)見ながら

  走る。

31.武光橋北で仮設迂回路と本来の旧道が合流

  していた。(川上村→吉野町方向を撮影)

<<写真はすべて2001年4月撮影>>

*以前のレポートを修正・訂正し、写真を差し替えて再掲載しています。

■吉野郡川上村【(旧)下多古〜(旧)市町】

 (旧)下多古地区の集落抜ける。(旧)井戸地区の集落の外れには『この先工事通行止め』という看板が立てかけてあった。そのまま1.5車線道を50mほどで橋 (橋名不明)を越えると、R169現道(付け替え道路)の基礎部分が現れ、その付近から道自体が途絶えていた。

 ここから先の旧道はR169現道(付け替え道路)の基礎用地となっており消滅していた。この先のR169現道の基部付近にちらほらと旧道の跡は見えるが、たどり着くことが出来ない状態であった。最北端の工事現場入口から南端のここまでの距離は約9kmであった。

 ところで写真 34を見ておわかりの通り、ここには『左カーブ』と『幅員減少』の警告標識が立っていた。(標識自体は2003年4月には撤去されていた) 昔はこの先に旧道もしくは旧道付け替え道路が続いていたと言うことだろう。

 (旧)下多古地区の集落からは連絡道路でR169現道に上がる。下多古〜白川渡間、八幡トンネル北側付近までの現道が建設中だった間は、川沿いの旧道が越えた橋を渡って吉野川の東岸を通っていた。八幡トンネル北側の橋(橋名不明)を渡り現道に戻っていたが、この状態は平10年(1998年)頃に解消されたように思う。

 最終的な大滝ダム旧道のR169現道接続部は、現在の八幡 トンネル北側付近と思われるが、現道の基礎部分になってしまったようで、旧道の痕跡は完全に消失している。

32.(旧)下井戸集落からは右の連絡道路で現

  道に上がるが、旧道はまだ続いており、左に

  向かう。路面に「R169」の表示がある。

  将来はこの付近も水没する。(0105)

33.(旧)下多古地区の集落を抜けて狭路を進

  んで行く。上は対岸道路へ渡る橋で、左の車

  は不法投棄された廃車体。

  (上北山村→川上村方向を撮影)

34.橋を越えるとR169現道の基礎部が現れて旧

  道は途絶えていた。標識が立っていたが、昔は

  付け替え道路でもあったのだろうか?

  この先、所々に道らしき痕跡が残っている。

35.写真32の連絡道路を進んで行くと、R169

  現道に出る。旧道と現道の連絡道最南端部と

  なる。(川上村→吉野町方向を撮影)

36.写真35の左側にあった案内標識。橋は対岸

  に渡る橋で、点線が旧道となる。下多古方面

  の「←」もR169となるが、表示はなかった。

37.八幡トンネルに向かって現道が続く。対岸にも

  狭路が見えるが、現道完成まで迂回路として使

  用されていた。

<<撮影年月の記載が無い写真はすべて2001年4月撮影>>

*以前のレポートを修正・訂正し、写真を差し替えて再掲載しています。

◆2001年レポート終わり

<<MEMO>>

 バイクに乗ってR169を走るようになったのは20世紀末の 平成7年(1995年)4月頃からです。その頃のR169付け替え道路は大滝ダム本体付近(川上村大滝集落)〜役場のある川上村(新)迫地区までしか完成していませんでした。(新)迫地区から南 はほとんど完成しておらず、(新)迫地区の町の手前から急勾配の2車線坂道(連絡道路)で川岸の旧道に誘導されていました。

  川岸に下りてからは、一部に迂回路があるものの、基本的に川の左岸を通る狭路でした。集落や町はすでに移転していたため、日没後は真っ暗となり、晩はバイクの明かりだけを頼りに走っていました。

 付け替え道路が完成したのは 平11年(1999年)頃でしょうか。この辺りはよく覚えていません。(この年はR169をあまり走っていなかったのです) 平12年(2000年)4月時点で付け替え道路は全区間開通していました。『21世紀に間に合いました』ということでしょう。

 付け替え道路が全通したことで、「川沿いの旧道は間もなくダム湖に沈む」と意識し始め、 平12年頃からR169を走る際にはどうなっているかを確認していました。平13年(2001年)は「川岸の旧道を走ることが出来る最後の年」だと思い、この年は積極的に川岸の旧道を走り、道の状態や風景・川の流れなどを撮影して行きました。

 川岸の旧道は、その後通行止めになりました。これで通行できないと思いこんでしまい、少し疎遠となります。しかしこれは一時的な通行止めだったようで、 平14年(2002年)には解除されていたようです。

 それを知って夏頃に訪れることにし、R309行者還林道と絡めたオフ会を企画。ところが、この年の7月末に伯母谷付近で起こった土砂災害でR169が全面通行止めになったために、R309行者還林道を通った後に訪れることが出来なくなり、そのままとなってしまいました。

 そして「走ることが出来る最後のチャンス」と思い訪れた 平14年11月にはすでに旧道は全面通行止めに・・・ オフ会の後、別の日に訪れておけば良かったと後悔しております。

●走行DATA

大滝ダム旧道

【両方向を走行】

>>走行日:平成13年(2001年)4月26日/5月12日/6月16日/他

注意>>この区間は、走行方向問わず頻繁に走行しています。走行日は使用写真の撮影日のみを記載しています。

【大滝ダム旧道【2001年レポート】終わり】

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