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国道361号線旧道(3)

権兵衛峠旧道(1)

●国道361号線権兵衛峠旧道

 権兵衛峠は長野県塩尻市(旧:木曽郡楢川村)と長野県上伊那郡南箕輪村の境にある標高1530mの峠。木曽谷と伊那谷を分ける峠である。

 2006年(平18年)2月4日に供用開始となったR361権兵衛峠道路により、峠を越えていた狭路道は旧道となった。この区間は最後まで残ったR361分断区間でもあった。

 

■国道361号線権兵衛峠旧道【概要】

■国道361号線権兵衛峠旧道【1998年レポート

■国道361号線権兵衛峠旧道【2002年レポート

■国道361号線権兵衛峠旧道【2006年レポート

>>Update 2007.07.08

○国道361号線権兵衛峠旧道

  【概要】

■権兵衛峠

>>権兵衛峠

 長野県塩尻市(旧:木曽郡楢川村)と長野県上伊那郡南箕輪村との間にある標高1530mの峠。行き交う人が転けて鍋を割ったことから「鍋懸峠」と呼ばれていた。人が行き来出来るだけのかなり険しい峠道で、馬や牛の行き来すら不可能な峠道であった。

 17世紀後半に現在の木曽郡木曽町日義(旧:木曽郡日義村)神谷に住んでいた古畑権兵衛という人物が、この峠道の開発を呼びかけ、1696年(元禄9年)に新しい峠道が完成。これにより伊那から大量の米が木曽へ運ばれるようになり、また木曽からは漆器などが伊那へ運ばれるようになった。そしてこの峠はいつの頃からか「権兵衛峠」と呼ばれるようになった。

 権兵衛峠を経由して伊那と木曽を結ぶ街道は「権兵衛街道」と呼ばれ、伊那木曽連絡街道として重宝されることになる。現在の長野県伊那市坂下付近から始まる権兵衛街道は、小沢川に沿って進んで行ったものと思われる。(注1) 伊那市与地で支流の北沢沿いに進み、上伊那郡南箕輪村字北沢山付近から山を登り始め権兵衛峠に越えた。

 木曽に入った街道は現在の塩尻市奈良井に下り、さらに羽渕集落から今度は姥神峠を越えて木曽郡木曽町日義神谷に至り、あとは神谷川沿いに進んで中山道宮ノ越宿に達していた。

 「権兵衛街道」は米を運んだ街道でもあったことから、別名「米の道」とも呼ばれていたそうである。

注1)詳しい資料がないので@管理人の推測です。m(_ _)m

>>国道361号線

 1975年(昭50年)4月にR361が誕生した際、木曽〜伊那間のR361のルートは権兵衛街道に沿うルートが選定された。あいにくと車道として整備されたのがいつ頃なのかは資料不足で分からないのであるが、国道に指定される頃には県道か林道としての車道があったものと思われる。

 ところが姥神峠と権兵衛峠のともに東側(伊那側)の区間が急勾配であったことなどから、車道として整備することができなかったため、 両峠の東側(伊那側)の区間は登山道のままとなってしまった。登山道が国道指定されたのである。当然のことながらバイクならびに車の通行が不可能な区間となる。その通行不能区間に挟まれて通行可能なR361車道区間があったことになる。

 地図上で見ると、木曽郡楢川村羽渕集落内を西側(木曽福島側)端点として、権兵衛峠を東側(伊那側)端点とするR361が存在したことになる。両端で他国道に接続することもなく、完全に独立した国道がポツンと取り残されたようにあったのだ。

 権兵衛峠から伊那側へは経ヶ岳林道という林道があり、一応通り抜けは可能となっていたようだ。やがてこの林道を国道指定した上で整備・改良して通行出来るようにしようという運動が起こった。そして1982年(昭57年)、この経ヶ岳林道はR361として指定された。あくまでも当時はまだ机上の計画段階であった「伊那木曽連絡道路」(R361BP)が開通するまでの暫定的な国道としてである。

 ひとまずR361は権兵衛峠を越えて伊那側に延びてきた。しかし東側(伊那側)端点は伊那市羽広のr203(県道与地辰野線)との交差点となった。他国道はもちろんのこ

とR361本道にすら接続しない状態が続くことになった。以来、両端で本道や他国道と接続しない国道として、3ケタ国道ファンの巡礼”道”となる。

 しかし、2002年(平14年)12月4日のR361姥神峠道路(姥神トンネル)の一部供用開始により、権兵衛峠の独立区間はR19と結ばれることなった。誕生後約27年目にしてやっと西側端点が上位国道と接続したのである。これ以後は単なる盲腸線のような状態になってしまった。

 しかし、その状態も長くは続かず、2006年(平18年)2月4日のR361権兵衛峠道路の開通により、権兵衛峠を越えていたR361はその指名を終えて国道指定を解除されて旧道となった。

【写真】権兵衛峠道路開通まで伊那市与地にあった「伊那木曽連絡道路」の説明看板。

■R361権兵衛峠道路

 

 

 地域高規格道路『伊那木曽連絡道路』の一部として建設されたのがR361権兵衛峠道路。長野県木曽郡楢川村(現:塩尻市)奈良井〜長野県伊那市与地の間に建設され た7.6kmの道路である。

 事業化されたのは1991年(平3年)のこと。長野県上伊那郡南箕輪村字北沢山〜長野県伊那市与地間の長野県整備区間(L=1.5km)が最初に事業化された区間。翌92年(平4年)に工事着手されて1996年(平8年)に完成している。開通までの間、伊那市側に高規格道路が1.5kmほどあったのは、この長野県整備区間が暫定供用されていたためである。工事車両を通すため先に建設したのだろう。

 権兵衛峠道路のうち残る6.1kmの国土交通省整備区間が整備区間に指定となり工事が着手されたのは1995年(平7年)4月のこと。 地域高規格道路『伊那木曽連絡道路』(L=20km)が計画路線に指定された(1994年(平6年)4月)翌年のことである。

  権兵衛峠道路は途中に権兵衛トンネル(L=4470m)という長大トンネルを建設しなくてはならないため難工事となった。工事着工約8年半後の2003年(平15年)11月10日、権兵衛トンネルが貫通。その後も順調に建設が進み、2006年(平18年)2

月4日に、R361姥神峠道路の塩尻市(旧:木曽郡楢川村)羽渕〜塩尻市奈良井間(L=2.3km)と同時にR361権兵衛峠道路(L=6.1km)が供用開始。長野県整備区間と併せて、全区間(L=7.6km)が完成・供用開始となった。

 R361権兵衛峠道路の区間が事業化されてから約15年もの歳月がかかったことになる。

【写真】建設中のR361権兵衛峠道路の一部。2002年9月21日撮影。

注意>>市町村名は当時の名称です。

国道361号線権兵衛峠旧道

  【1998年走行レポート】

 @管理人がR361権兵衛峠を初めて越えたのは1998年(平10年)10月9日のこと。「R361完走」を目的として伊那側から走行を開始した初日のことでした。暫定国道区間(経ヶ岳林道)に入ってしばらくすると雨が降り出し、権兵衛峠を越える頃には本降りになってしまいました。雨の中、峠道を下り羽渕のr493交差点まで下りて行っています。当時は現役国道だったので、雨の中、権兵衛峠などにあるR361国道標識を撮影しています。

 またその頃はR361権兵衛峠道路が建設真っ最中の頃。道路で姿を見せかつ走ることが出来たのは長野県整備区間の1.5kmほどの間だけでした。どこにバイパス道路が出来るのかすら全く分からない状況でした。

 レポートはサイト開設時のR361レポを修正して掲載しています。

【レポートは長野県伊那市→長野県木曽郡楢川村方向(伊那→木曽方向)です。】

 長野県伊那市与地のR361通行止め地点(端点)から少し戻り、r203(県道与地辰野線)を北に向かい伊那市羽広に出る。ここでR361本線からではなく県道(r203)からR361が分岐する。権兵衛峠を越える経ヶ岳林道を暫定的に改良。国道として使用しているため、このような珍しい状態になったのだ。ちなみに権兵衛峠を越した木曽郡楢川村側の端点もR361ではなく県道(r493)接続で、地図を見ると他の国道に接続しない浮いた状態になっている。(実際は車両通行不可能な登山道で続いている。)

 伊那市羽広からのR361は、さすがに元林道だけあって1〜1.5車線の急勾配・急カーブが連続する区間。路面は全面舗装されているのでオンロードバイクでも走れるが、路面には石が転がっていることもあるので注意が必要だ。幾つものカーブを曲がり標高が高くなると、樹林間から南アルプスを眺めることが出来る。

 カーブを幾つか曲がるとやがて標高1522mの権兵衛峠に到着。峠には広場(ダート)と公衆便所があった。麓から上がる登山道(R361?)があるらしいが、確認はしていない。峠の伊那側にもダートの広場があった。

 峠を越して長野県木曽郡楢川村に入る。楢川村側のR361は急勾配・急カーブがあるものの、道幅は1.5車線あり伊那市側よりも走りやすい。奈良井川沿いの谷底区間に入ると1.5〜2車線幅の平坦な道となり楢川村羽渕に至る。楢川村羽渕で奈良井川を渡ってR361はr493(県道姥神奈良井線)に接続する。R361はここから脇道となって進むのだが、最終的にはバイク・車の通行不可能な道となって姥神峠を越えて木曽郡日義村に抜ける。

1.伊那市羽広のR361経ヶ岳林道分岐点。

  この先を左に向かう。標識にはR361として

  表記されている。

2.R361に入る。この付近はこんな感じだが、す

  ぐに町中に入り、しばらくの間は町中の生活

  道路が続く。

3.町中を抜けて郊外へ出る。98年当時はこんな

  場所だった。今は「みはらしファーム」という農業

  公園になっている。

4.経ヶ岳林道区間に入る。1〜1.5車線狭路

  が延々と続く。路面は舗装済み。

5.一応国道であることを示している。

  (権兵衛峠→伊那市方向を撮影)

6.権兵衛峠を越えた所に国道標識があった。

  (楢川村→権兵衛峠方向を撮影)

7.写真7の近くにあるもう一枚の標識。

  権兵衛峠からR19方向のもの。

8.雨の中、山道を下り羽渕へ。峠越えが終わ

  る。ここにも標識が2枚あった。

9.写真8を左に向かい橋を渡るとr493のヘキサ

  標識があった。

注意>>市町村名は走行当時の名称です。

◆1998年10月9日走行。写真はすべて同じ日に撮影。

<<MEMO>>

 この頃(1998年)はフィルムカメラ使用だったので撮影枚数が限られており、写真はあまり撮影していません。雨中走行だったのでなおさらです。権兵衛峠の広場にある東屋(便所?)に入り、フィルム交換をしたことを覚えています。

 走行当日は雨でした。林道区間に入ると雨が降り出し、峠付近まで来ると少し強く降っていました。東屋でフィルム交換&休憩している間に雨は少し弱まり、空も明るくなってきたので出発。峠の標識を撮影してから羽渕に下り、一息つきました。この後はr493経由でR19に出ています。

 当時はR361姥神峠道路や権兵衛峠道路の建設工事は始まっておらず、木曽郡楢川村(当時)内のR361は谷間を進む静かな狭路が続いていました。

●走行DATA

長野県木曽郡楢川村〜長野県伊那市

【伊那市→木曽郡楢川村方向を走行】

>>走行日:1998年10月9日

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