国道256号線旧道
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◇概況 |
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●沿革 R256は、元々は長野県飯田市(起点)と岐阜県中津川市(終点)を結ぶ国道として1963年(昭38年)4月に誕生した。清内路峠を越える区間が最初に国道として指定された区間となる。(地図@) 12年ほどそのままの状態が続いたが、1975年(昭50年)4月に起点が長野県茅野市に変更された。これによりR256は長野県南東部を縦断する国道となった。この時のルート変更時、R256は長野県下伊那郡上村と飯田市の間は秋葉街道に沿って設定されたR152と重複していた。R152重複区間の小川路峠と(当時の)R256単独区間にあった地蔵峠は未開通であり、分断国道でもあった。(地図A) |
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ルートはこのままかと思われていたが、1993年(平5年)4月に、かなり大規模なルート変更が行われた。 (1)長野県茅野市〜長野県下伊那郡上村の間をR152に移管し、R256は長野県下伊那郡上村で打ち切り。 (2)R152との重複区間であった長野県飯田市〜長野県下伊那郡上村間をR256に移管。同区間はR256単独国道区間に 変更。 (3)岐阜県中津川市から岐阜県郡上郡八幡町経由で岐阜県岐阜市まで延長。 (4)起点を岐阜県岐阜市に、終点を長野県下伊那郡上村に変更。 という変更が行われ、現在の形になったのである。(地図B) この観点から見ると、現在のR152長野県上村〜長野県茅野市の間はR256旧道となるのだろう。 【TOP写真】:清内路峠BP旧道に残っていたR256標識。 |
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○国道256号線旧道 |
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◆沿革 ●清内路古道 清内路峠は長野県木曽郡木曽町と下伊那郡清内路村の間にある標高約1200の峠である。この峠を越える道は「清内路道(湯丹沢道もしくは細野街道)」と呼ばれていた。美濃・木曽谷と伊那谷を結ぶ最短ルートとして古くから存在していたとかで、江戸時代末期に水戸浪士が西上するために越えたことで有名な峠である。 この清内路古道ともいうべき清内路道は、現在のR256とは全く別のルートを通っていたらしい。現在のR256からかなり南側寄りを経由しており、清内路村上清内路から南沢山近くを通り、現在の岐阜県中津川市落合(中山道落合宿)に至っていた。 1952年(昭27年)頃の地図まではルートが記載されていたらしいが、現在の地図には記載されていないとのこと。また、古道自体もほとんどが自然に還ってしまったとか。わずかに道らしいモノと所々に石畳が残っている程度だという。 ●清内路道 現在の清内路道と呼ばれるルートは、中津川市落合(落合宿)から中山道と共に北上して妻籠宿近くで分岐。そこから現在のR256のルートで清内路村に至っている。このルートがいつ頃出来たのかは資料がなく不明である。 明治時代、このルートを元にしてかどうかは分からないのだが、現在のR256の前身となった道が建設されたようだ。これが大正時代に県道飯田中津川線として整備。戦後、主要地方道となった後、1963年(昭38年)にR256に昇格した。 (この項については資料が少ないため、推測で書いています。m(_ _)m) |
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●国道256号線清内路峠バイパス R256の清内路峠を越える区間は、1963年(昭38年)に国道として指定された最初の区間。前身は県道なので、車道として整備はされていたのだろう。峠は標高1192m に位置しているので、峠を越える道は急勾配と急カーブが連続するいわゆる『酷道』であり、冬期は路面凍結・積雪で通行が非常に困難な道であった。 そのような道ではあったが、R19とR153を結ぶ最短ルートということもあり、また沿線には温泉や妻籠宿などの観光地があるため、車や観光バス・運輸トラックなどの通行量が多い道であった。一応は整備・拡幅され、2車線幅の道にはなっていたが、峠前後の急カーブなどはどうしようもなく、大型車同士の離合などで渋滞などが起こり、通行上のネックとなっていた。 その状態を解消すべく建設されたのが『清内路峠バイパス』。このBPでメインとなるが清内路TN。峠を越えていた旧道よりも100mほど標高の低い所を貫く全長1642mの高規格TNである。TNは1999年(平11年)7月に完成。前後の取付道路の整備・完成が終わり、TN自体が供用開始されたのは2000年(平12年)7月31日である。 |
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TNの完成により、清内路峠を勾配の緩やかなほぼ直線の道路で通過出来るようになった。しかしTNを出て長野県南木曽町保神までの区間は相変わらず急勾配・急カーブの狭い2車線道が続くので、劇的な時間短縮には至っていない。南木曽町側の道路改修を待たねばならない。 清内路TNの供用開始により、それまで峠を越えていたR256は旧道となった。それと共に道は閉鎖されて通行不可能となっている。管理人@あめふらしは、たまたまTN供用開始2週間ほど前に(現旧道の)R256清内路峠を走行。閉鎖直前の最後の姿を記録することが出来た。 |
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○国道256号線清内路峠BP旧道 【現役国道時代】 |
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【レポートは長野県清内路村→長野県南木曽町方向(R256終点→起点方向)です。】 >>走行日:2000年7月21日 |
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清内路峠BP旧道は通行不可能です。 |
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昔から清内路峠は妻籠経由で木曽谷と伊那谷を結ぶ道の難所であったが、それは現在でも変化はなく急カーブ・急勾配の連続するR256の難所でもある。 BP分岐点から本道に進むと、2車線幅のまま急勾配・急カーブが連続する区間に入った。最初はセンターラインがあったが途中からはセンターラインのない2車線幅の道となり峠を目指す。急カーブの道路脇にはバースとしたタイヤの残骸が、路面には焦げたタイヤの跡がこびり付いている。走り屋にはたまらない峠道のようだ。さすがに昼間なので走り屋はいなかった。 1.5kmほど進むと左下に真新しい道とTNが見えてきた。これがR256清内路峠BPだ。センターラインも引き終わり、トンネル内の照明も着いていたので近々供用開始のようだ。そのためか、現R256は一部路面が荒れていたりしたが修復されないでいた。荒れていると言っても、一部の舗装が剥がれていたり凸凹が出来ていたり砂利が浮いているぐらいで、注意して走れば問題ない路面状態だった。 峠のカーブはかなり改良工事を繰り返したようで、そこかしこのカーブに工事の後が残っていた。狭い2車線幅の急カーブを幾つか曲がるとスノーシェッドが現れた。ここが標高1192mの清内路峠の頂上(分水嶺)である。 峠を越えると長野県木曽郡南木曽町に入る。道少し狭い2車線道となってR19に向かって下って行くのだが、こちらも急カーブ・急勾配の連続で、路面が少し荒れていることから停まって写真を撮るのは危ない状況が続く。山深い所を走るために展望は余りない。いくつか急カーブを曲がると、いきなり整備された舗装の新しい道に出た。BPとの合流地点であった。合流地点の近くには展望所とパーキングが建設されていた。 <<更新前のR256より修正して転載>> |
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○国道256号線清内路峠BP旧道 【旧道時代】 |
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【レポートは長野県清内路村→長野県南木曽町方向(R256終点→起点方向)です。】 >>走行日:2002年9月15日 |
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■清内路村側分岐点【長野県下伊那郡清内路村】 |
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2000年(平12年)7月末に供用開始となった清内路TNにより、峠を越えていた道は旧道となった。それから2年ほど経過した2002年(平14年)9月に旧道の状態を調べるべく現地に向かった。 旧道は現R256(清内路峠BP)の七々平橋南詰直前から分岐していた。現道から右に急角度で分岐して行く2車線道がR25 6旧道である。ただ旧道入口には『この先、木曽方面へは通り抜けできません』という通行止めを予告する看板とゲートが設置されていた。このゲートは道幅の約2/3だけしかないので進入は可能だった。 用心しながらゲートを通過する。すぐの右カーブを曲がると、狭い2車線幅の坂道となっていた。道路沿いには1軒の民家が建っている。このため分岐点で頑丈なゲートが設置されてなかったのだ。民家を過ぎると左の急カーブ。民家を取り囲むような感じで狭い2車線道が続いている。 民家を過ぎると交通量が皆無になるのだろう。路肩路面には落ち葉が積もっており、センター付近の1車線分ぐらいしかアスファルトが見えていない。路面状態は比較的良い状態で、大きな亀裂もなく十分通行可能な状態だった。カーブを2つほどクリアすると、やがて急な右カーブが現れた。ここは比較的広くなっている。大型車同士の離合のためだろう。旧道となってから2年ほど経過するが、このカーブにはR256おにぎり標識が残っていた。 そのカーブを曲がると、現R256(清内路峠BP)を左側に見下ろしながら狭い2車線幅の緩やかな坂道を上って行く。しかしなあら、正面にはガードレールが設置されていた。端は人一人分が通れることが出来る隙間があったが、バイクは通り抜けることは出来ない。ここから先はバイク・車での進入は不可能となっていた。清内路村側分岐点からゲート設置地点まで、約1.4kmである。 一瞬、歩いて峠まで行こうかとも考えたが、時間的な問題と通行止めに強行突入するのも気が引けたので、ここで引き返すことにした。 |
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■南木曽町側分岐点【長野県木曽郡南木曽町】 |
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清内路村側からの進入が出来ないならば反対側からと考えて、清内路TNを快走して南木曽町側の旧道分岐点に向かう。全長1642mの高規格道路の清内路TNを抜けると、R256旧道の南木曽町側分岐点に到着する。現役時代は峠から下ってくると急な右カーブになっていた所だ。 ところが旧道入口は頑丈なゲートで完全に封鎖されていた。頑丈な南京錠付きで、勝手に入ることはもはや不可能となっていた。清内路村側にも頑丈で背丈の高いフェンスが設置されたそうなので、旧道区間は一般者が簡単に入ることが出来なくなってしまった。 |
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<<MEMO>> |
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■概況・交通量など 最近は、沿道に民家や農地などがない限り旧道が通行出来なくなる傾向にあるようです。R256清内路峠旧道も一般車の通行は出来なくなっています。 そうでもしないと、不法投棄が横行して清内路峠がゴミに埋もれてしまいかねません。また車がほとんど走らなくなったワインディングは、「走り屋」達の格好の遊び場と化してしまいます。現役時代の頃、カーブには黒々としたタイヤ痕が残り、バーストして捨てられたタイヤやゴミがあちこちに放置されていたとう状況であったことも考えると、やむ得ない処置かも知れません。 通行止め区間の路面状態は、走っていないので分かりません。ただ峠を越える送電線は旧道経由なので、維持管理のため中部電力の作業車や、林業関係の車などは通行していると思うので、自然に還ることはないと思います。 ■注意点 ゲートから先は進入しないようにして下さい。 |
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●走行DATA |
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R256清内路峠BP旧道【現役時代】 >>走行日:2000年7月21日 |
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R256清内路峠BP旧道【旧道時代】 >>走行日:2002年9月15日 |
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○国道256号線旧道 |
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厳密に言えば、現在のR152長野県下伊那郡上村〜下伊那郡大鹿村〜上伊那郡長谷村〜上伊那郡高遠町〜茅野市の区間はR256旧道となる。この区間は1車線幅の狭路区間が長く、いわゆる『3ケタ酷道』と呼ばれる区間でもある。 この区間がR256からR152になったのは1993年(平5年)のこと。それからかなり年月が経過しており、沿道に設置された国道標識はほとんどR152に取り替えられてしまっている。名残と言えば、一部の案内標識などにR152の標識ステッカーをR256の上に貼っているのを確認することが出来るぐらいである。 ところが長野県下伊那郡大鹿村大河内の町中にR256の標識が残っていた。現在の町はずれを進む2車線道のR152ではなく、町中を通る旧道沿いに残っているのだ。残念ながら道沿いには立っておらず、道沿いにある壁の裏側に忘れ去られたように立てかけられている。R256だった時代にどこかに設置されていた標識で、R152になったときに撤去されて持って来られたものなのだろう。(旧道のR256標識参照) |
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<<MEMO>> |
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■概況 見つけたのは2000年(平12年)7月のこと。たまたま町中の商店に買い物に寄るために旧道を走ったら見つけた次第です。 かつてはR256だった道なので、R256旧道として取り扱っています。今でもあるかどうかは分かりません。 ■注意点 町中の生活道路となっているので、走行時は注意して下さい。 |
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●走行DATA |
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長野県下伊那郡大鹿村大河内 >>走行日:2000年7月21日 |
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【国道256号線旧道終わり】 |
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