旧道国道標識

 

 バイパス開通後、国道指定を解かれてしまうと、ほどんどの場合は国道標識は撤去されます。

ところが、国道指定を解除されてからも何らかの理由で撤去されずにそのまま放置される場合もあります。

ここでは、旧道を走って見つけた旧道の国道標識を集めてみました。

詳しい場所はあえて記していません。現地を訪れて捜しましょう。面白いかも?(^^)

現地には各自の判断で訪れて下さい。進入禁止となっていたら諦めましょう。

☆★☆掲載リスト(発見順に掲載)☆★☆

旧道のR229標識

紀見峠の国道170号線の標識

旧道のR424標識

旧道のR166標識

旧道のR173標識

旧道のR256標識

旧道のR169標識

 

(注意)内容は発見当時の状況で書いています。現在では撤去されていることもあります。

旧道のR229標識

 太櫓越峠を越える旧R229にあったR229国道標識。すでに倒れかけておりこのまま朽ち果てるのでしょう。

 場所は、R229檜山TN大成町側入口手前の分岐点から旧道を進み、臼別温泉への道の分岐点手前にありました。ちなみに峠を越える旧R229はダートなのですが、ゲートが設置されており通行止めとなっていました。

(1998年9月発見)

紀見峠の国道170号線の標識

 紀見峠を越える区間はR371の旧道なのですが、この旧道区間にR170の標識があるのをご存知でしょうかか?しかも2枚も。共に風景に溶け込んでしまっており注意しないと見逃してしまいます。(2007年3月末時点ではまだ健在でした。)

 なぜ紀見峠にR170の標識が?R170は東高野街道〜高野街道に沿った国道として、1963年に高槻〜河内長野〜橋本間の国道として誕生しました。紀見峠の標識は、この2代目R170の時代に立てられました。紀見TN開通後の1982年(昭57年)4月に、R170は高槻〜河内長野〜泉佐野間に変更され(3代目R170)、河内長野〜橋本間はR371に編入。編入前に既に旧道と化していた紀見峠区間の標識は、そのまま忘れ去られ現在に至ったものと思われます。(詳しくはこちら

 ちなみに初代R170は、1953年(昭28年)に制定された和歌山〜松阪間で現在のR42のルート。R170は、1958年(昭33年)にR42に昇格したために一度消滅した経緯を持つのです。大阪外環状線は4代目R170ということになるのでしょう。

紀見峠のR170標識 其の壱

◇河内長野側の旧道分岐点〜紀見峠の間にあります。北行き(和歌山→大阪方面)車線用に設置されている標識です。

 旧道分岐点から紀見峠に向かって進んで行くと気付きません。紀見峠からR371に下って行けば分かります。運転している

 と気付かないかも知れません。その場合は、何度か往復してみて下さい。(^^) (2007年3月存在確認)

1.最初、どこにあるか分かりません。完全に風

  景にとけ込んでいます。草木に埋もれていま

  すね。(1998年撮影)

2.春先だと草木は生い茂っていないので、まだ

  分かりやすいです。それでも場所を知ってい

  ないと難しいかも・・・(2000年撮影)

3.標識の拡大写真。中央部が錆びていますが

  『1』と『0』が確認出来ます。『170』と書かれ

  ていたのでしょう。

紀見峠のR170標識 其の弐

◇こちらも河内長野側の旧道分岐点〜紀見峠の間にあります。南行き(大阪→和歌山方面)車線用に設置されている標識で

 す。こちらは旧道分岐点から紀見峠に向かって進んでいかないと発見できません。草木が生い茂る夏場は発見しずらいかも

 知れません。(2007年3月存在確認)

1.1998年に撮影した写真です。どこにあるのか

  全く分かりません。正面の木に注目。何か見

  えませんか?

2.1999年に撮影。別角度から見てみると存在

  が分かります。KSRUの後ろに立っているの

  が確認できます。

3.こちらは下半分が錆びていますが、『170』と

  確認することが出来ます。小さめのおにぎり標

  識です。

旧道のR424標識

 紀伊半島西部の快適なR424も、元々は紀伊半島の3ケタ酷道だった道。整備・改良されてBPが完成・供用開始されていますが、現在でも走行可能な旧道があちこちに残っています。

 それら旧道にも何本かの標識が残っています。(詳細:R424旧道 【1】 【2】

白馬TN旧道のR424標識

◇和歌山県金屋町〜和歌山県中津村〜和歌山県美山村を通るR424白馬TN旧道は、極狭路の激坂が連続する極悪路で

 す。全長約8kmほどですが、その凄まじさは他の通行可能な旧道の状態を遙かに超えています。そんなR424白馬TN旧

 道には3本のR424標識が残されていました。それらを見に行くためには、すさまじい極狭路をクリアしなくてはなりません。

 ふらっと見に行くのは難しい旧道の標識です。1枚目は1998年頃から存在を知っていました。2枚目/3枚目は1999年

 10月に発見。2003年6月、撤去されずに存在しているのを確認しています。

 注意>>和歌山県金屋町側から見て数えています

◆1枚目の標識

 1枚目の標識は簡単に見つけることが出来ます。R424白馬TN旧道金屋町側分岐点近くにあり、歩いてすぐの所に立っています。現R424からも存在を確認することが出来ます。

 元々はR424おにぎりと「幅員減少」の警告標識が団子状態で設置されていたのでしょうか。もしそうだとすると珍しい組み合わせですね。年を経て「幅員減少」の標識の留め具が緩んで落ちてしまったのでしょう。2002年12月、存在を確認しています。

 私がR424白馬TN旧道探索をするきっかけとなった旧道標識です。

◆2枚目の標識

 2枚目の標識は分水嶺付近にあります。和歌山県金屋町と中津村の境に位置する標識だったようで、

『中津村』『金屋町』と書かれた地名標識も併設してありました。

 元々は近くの別の場所にあった金屋町→中津村方向の標識だったのですが、林道の工事に伴って今の位置に移されたようです。その際、向きを逆にしておかれたため、中津村からみて『(ここから)中津村』という状態になっています。通る車など皆無に近いので問題ないのでしょう。

 ここに至るまでは下手すれば転落しかねない激坂の極狭路をクリアしなくてはなりせん。

◆3枚目の標識

 3枚目の標識は和歌山県中津村と美山村の村境付近にありました。『美山村』の裏は『中津村』と書かれた地名標識が設置されています。R424おにぎり標識は片面だけで、金屋町→美山村方向の標識であることが分かります。通る車のほとんど無い山奥に1人でたたずむ旧道の国道標識。このまま朽ち果てて行くのでしょうか。

 2枚目をクリアして3枚目までは比較的楽な極悪狭路をクリアすればよいのですが、ここから現R424に下る、もしくは美山村弥谷からここまで至るには極悪の極狭路をクリアしなくてはなりません。

甲斐ノ川BP旧道の標識

◇和歌山県龍神村甲斐ノ川〜同村福井地区を通るR424甲斐ノ川BP旧道は、断崖下を通る狭路です。沿道に集落があるこ

 とから今では生活道路となって余生を過ごしています。道路自体は整備されているので通行は可能です。ここには2枚のR

 424国道標識の存在を確認していました。うち1枚は撤去されてしまいましたが、もう1枚はまだ健在ですが横を向いてしま

 っています。(R424旧道本文参照

 ここでは撤去された標識を掲載します。現役時代から撮影していたので、貴重な写真が残っていました。

1.1996年11月、現役国道時代に撮影。

  このころは甲斐ノ川TNは建設中でした。

  道もちゃんと整備されていますね。

2.2000年5月に撮影。BPが供用開始してお

  り、旧道となって久しい頃です。沿道の草の

  成長が月日を感じさせます。

3.2002年12月に撮影。いつの間にか標識は

  撤去され、支柱だけが残っています。草木は

  かなり成長しました。

旧道のR166標識

 東吉野村内の旧R166には、案内標識に『国道166号線』の表記やガードレールにR166標識ステッカーなどが結構残っています。そんな東吉野村の木津峠と東吉野村杉谷集落内の旧R166にはR166国道標識が残っていました。この区間のR166BPは東吉野村内で最後に供用開始した区間なので、旧道に現役時代の名残が数多く残っているのでしょう。

 旧道の標識ではありませんが、R166大宇陀町捨生交差点角にも古いタイプのR166標識が立っています。ほとんど錆びていますが、こちらは立派なR166本道の現役標識です。

 ちなみに高見峠の区間では、三重県内で国道ステッカーは何枚か見かけましたが、全区間を通して標識は残っていませんでした。

◇木津峠

 新木津TN開通により旧道となった木津峠の旧R166にあった標識。ポールの塗装が剥げ落ち始めています。東吉野→大宇陀方面の標識です。

 付近にはR166を示す案内標識などもあり、旧国道の遺物が多く見られました。旧国道は県道に降格されていますが、通行は可能です。路線バスが走っているので撮影する時は気を付けて下さい。

 2005年6月に訪れたところ、支柱ごと撤去されてしまいました。

(2000年3月発見/03年7月確認/05年6月撤去確認)

◇奈良県東吉野村杉谷出合橋

 東吉野村杉谷出合橋にあった旧R166標識。案内標識がかなり古いタイプ。高見峠→大宇陀方向を撮影しています。橋を渡った向こう側がr28(県道吉野室生寺針線)との交差点で、左に向かうと現R166に向かいます。

 全体的に古く、歴史を感じさせる標識でした。案内標識には、上から『←鷲家○km』『6.5km

(?)滝野→』『18km室生→』と記されています。(○は判別不可能。(?):恐らくそう書いているのでしょう)(2000年3月発見/01年5月・03年7月確認 /05年6月存在確認))

◇三重県飯高町木梶地区

 三重県飯高町木梶地区の旧道沿いにもR166国道標識が立っていました。錆びていますが『166』と判読することができます。支柱は四角柱でした。

 こちらも古いタイプ。数字の『6』のデザインが違うので、出合橋にあった国道標識とは別の時期に設置されたタイプでしょう。すぐ近くに初期デザインタイプの案内標識があったので、昭和30年代に設置された物かも知れません。

(2003年7月発見)

旧道のR173標識

 大阪府池田市と京都府綾部市を結ぶR173の旧道は、通行止め区間もありますが健在で、旧道沿いには現役時代の名残があちこちに残っていました。その中でも大阪府能勢町のはらがたわ峠旧R173と京都府綾部市の質山峠の旧R173にはR173国道標識が残っていました。

(2000年5月発見)

◆はらがたわ峠

 はらがたわ峠旧道のR173標識は道端にあり簡単に見つけることが出来ます。池田→綾部方向だと左側に立っていますが、注意していないと見落とすことがあります。周辺の旧道は2車線舗装路で簡単に訪問することが出来ます。

 少し倒れかかってはいますが健在でした。大きさ的には少し小さめの国道標識で、紀見峠にあるR170と同じタイプではないでしょうか?

(2000年5月発見/2004年2月確認/2005年8月確認)

◆質山峠

 質山峠旧道のR173標識は、廃道となった1車線道を走って行かねば見ることは出来ません。R173標識は草が絡まり、数年先には何が何やら分からなくなってしまうかも知れません。このまま朽ち果てて行くのでしょうか。地名は『綾部市須知山』と書かれています。

 質山峠旧道の北側分岐点にはゲートが設置されてしまい進入できません。綾部市市街側、ゴミ処理場への道からの分岐点は確認していませんがゲートが設置されているものと思われます。道もほとんど通行出来ない状態になっているんじゃないでしょうか。

旧道のR256標識

 南信州にある長野県下伊那郡大鹿村は中央構造線を見ることが出来る村。大鹿村は南北にR152が走っているのだが、大鹿村大河原の街中に何故かR256の標識があります。

 R256は南隣の長野県下伊那郡上村から岐阜県岐阜市を結ぶ3ケタ国道。その国道の標識が何故R152が走る大鹿村にあるのでしょうか?

 その答えは簡単です。もともとR152の長野県上村以北の区間は昔はR256だったからです。1993年(平4年)4月の改定で、それまで長野県上村から西(長野県飯田市)に向かっていたR152を長野県茅野市経由で北(長野県上田市)に向かわせて区間を変更し、長野県茅野市〜岐阜県中津川市間だったR256を長野県上村打ち切りとしました。その結果現在R152が走る長野県上村内にR256の標識が残ることになったのです。

 ここにある標識は、昔のR256時代に大鹿村大河内地区のどこかにあった標識でしょう。道自体は旧国道なので、写真にある橋の近くに立っていたモノなのかも知れません。標識自体は支柱ごと橋の欄干の外側に立てかけられた状態で置かれているので、どこかで立っていた標識を支柱ごと抜いてここに放置したようです。

(2000年7月発見)

橋に停めてあるあるバイクの横(欄干のと木の間)に

『おにぎり標識』が見えるのがおわかりだろうか?

欄干にもたれかかるように放置されていたR256標識。

どこかから抜かれてここに持って来られたようです。

 2000年7月に、R152中沢峠〜R152上村までと、R256長野県飯田市〜長野県喬木村の行き止まり近くまで走ったのですが、この区間にR152もしくはR256の標識や名残を見つけることは出来ませんでした。

案内標識のR152やR256の文字の上にステッカーを貼ってあるモノは何枚かありましたけど。

 長野県長谷村以北には在るかも知れませんが、変更があってから約7年経過しているのと長野県は標識の付け替えなどをしっかりとやる県のようなので、現存している可能性は少ないと思われます。

旧道のR169標識

 紀伊半島縦断国道のR169には旧道が多く残っています。その中の大滝ダム区間と伯母谷地区の旧道に、R169おにぎり標識が残っていました。

 大滝ダム区間は、2003年4月から試験貯水が始まり 一度水没しました。同区間にあったおにぎり標識は水没前に撤去さてたようで、井戸橋の橋脚下にあった標識は支柱ごと撤去されていました。

 伯母谷地区のR169伯母谷道路旧道にある標識は、旧道北区間にあった交互通行区間にありました。南側(熊野寄り)の交互信号機設置場所付近で、熊野→吉野方面(北行き)車線の標識が残っていました。

 付近一帯は旧道となった後、切り出された材木の置き場所と化しています。材木が置かれていなかった吉野→熊野方面(南行き)車線の標識は撤去されているところから、熊野→吉野方面(北行き)車線の標識は、この材木に隠されたか撤去作業しずらい状況下にあったために残ったのではないかと推測しています。

(2001年5月発見/2003年5月存在確認)

1.大滝ダム区間旧道にあったおにぎり標識。

  2車線区間にあった。南行き車線の標識。

  この付近は 地滑り対策工事現場となった。

2.大滝ダム区間旧道のもう一枚のおにぎり標識。

  こちらは北行き車線向けの標識で、井戸橋の

  橋脚横にあった。

3.熊野側の交互信号跡近くにあった伯母谷地

  区旧道の標識。傾いています。

  (2003年5月撮影)

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