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国道42号線旧道(2)

矢ノ川峠旧道

●矢ノ川峠旧道

 矢ノ川峠は三重県南部、三重県尾鷲市と熊野市との市境にある標高約808mの峠。現在、R42は矢ノ川峠を尾鷲側より矢ノ川TN、大又TNという長大トンネルで一気に駆け抜けている。

 今でこそ快適な道路で駆け抜けているが、峠を越える旧道は現在の道とは比較にならないほどの『酷道』となっている。 またその歴史も長く、元になった道が開通してからかれこれ130年弱ほど経過している。

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矢ノ川峠越え道の歴史

 

◆三重県内の「熊野街道」

 三重県内の熊野街道(古道)は、別名「伊勢路」と呼ばれた街道で、伊勢神宮と熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)を結ぶ参詣の道であった。三重県熊野市〜尾鷲市間ではR311に沿うような形で海岸線に近い所を通っており、現在の矢ノ川峠を経由してはいない。

 (現在の熊野市)木本からは海沿いに進みやがて内陸へ入り、以後、松本峠〜大吹峠〜逢神峠〜二木島峠〜曽根次郎坂太郎坂〜羽後峠〜三木峠〜八鬼山という経路を経て尾鷲へ下っていた。この先はさらに馬越峠を越えて一石峠〜始神峠〜荷坂峠(ツヅラト峠)を経て紀伊長島方面へ向かっていた。

◆明治時代の矢ノ川峠新道

 県道となっても道自体は江戸時代の古道のままで、いくつもの峠を越えることから、明治時代になると別ルートが建設されることになる。特に八鬼山越えの峠道がかなりの急勾配だったそうだ。この古道代行ルートとして建設された いわゆる「明治新道」が矢ノ川峠経由の「熊野街道新道」ということになる。

  資料がないので詳細は不明だが、1880年(明治13年)3月、矢ノ川峠を越える新道が完成。この矢ノ川峠越えルートの新道が三重県道「熊野街道」に指定され、旧来のルート(熊野古道)は街道から指定解除されている。

 木本からの「矢ノ川峠越え」新道は、木本の町中から西郷川沿いを北上して評議峠を越え、小坂峠を越えて現在の熊野市飛鳥町小阪に出る。現R42の宮川沿いの「佐田坂」経由ルートとは別ルートとなる。小阪からは大又川に沿って進み、ウネウネと山腹を進んで矢ノ川峠を越えて現在の三重県尾鷲市に入る。その後もウネウネと急斜面の坂道で山腹を下り、大橋と呼ばれた場所付近からは矢ノ川に沿って尾鷲の町中に下っていたようだ。この「矢ノ川峠越え」新道にはまだトンネルはなく、あくまでも山の尾根づたいに進み山の斜面を急斜面で上り下りしている道であった。

 1888年(明治21年) 、「矢ノ川峠越え」新道は荷車などが通れるほどに改修されるが、これは途中の大橋付近までだったとか。大橋から峠にかけての区間は荷車の通行が甚だ困難な道路

状態になっていたそうだ。まだ車道にはほど遠い状態であった。

 なお八鬼山越えルートは急勾配の坂道ではあるが、距離が短いことから新道開通後もよく利用されていたらしい。矢ノ川峠から八鬼山越えルートの道に向かって新道が1895年(明治28年)に建設されたそうだ。

◆大正時代の矢ノ川峠新道

 1920年(大正9年)の(大正)道路法の施行にともない、それまでの県道「熊野街道」は、三重県道「津木本線」と三重県道「木本新宮線」となる。このうち矢ノ川峠を越えていたのは「津木本線」ということになる。

 矢ノ川峠の道は、明治時代の新道状態のままでかなりの悪路のままだったようだ。どちらかというと登山道に近いような道だったのだろ。それでも道路改良は 引き続き行われていたようで、1922年(大正11年)7月には郵便車や乗合自動車、ハイヤーなどの交通が開始された。 ただし夏期限定であったことからも、かなりの悪路であったことがうかがえる。

 この状態を解消するべく、尾鷲側斜面の大橋(麓寄り)と小坪(峠寄り)の間に索道(ゴンドラ)が建設されることになった。索道は1927年(昭2年)に完成。これにより乗合自動車は途中で分断され、尾鷲〜大橋=<<索道>>=小坪〜木本という形で運行される形になった。

 尾鷲市史には『搬器は二人乗り客用八個、貨物用二個を備え、六分間隔に出されて、一時間に上下40人を輸送した』という記述がある。今で言うとスキー場のリフトみたいな物だったのだろうか?

◆昭和時代の矢ノ川峠新道

1)昭和新道の建設

 峠道の抜本的な改修は昭和時代に入るまで待たなくてはならなかった。改修工事が始まったのは1934年(昭9年)9月末のこと。熊野市史には『昭和九年県知事が紀州路視察の際、矢の川峠のみ悪路のため自動車に乗れず駕籠で峠越えをしたため・・・<<中略>>・・・大改修工事が県営工事で着手された。』とある。あまりに酷い道路状況に驚き、県知事直々の命令で工事が開始されたのだろうか? 詳しい経緯は不明であるが、同年4月に大泊〜小阪間、同年9月に二つ木屋〜小坪間の工事が開始された。

 このうち二つ木屋〜小坪間の工事は2年の歳月を要して1936年(昭11年)9月中旬に竣工した。距離は26.6km、橋梁16カ所、隧道5カ所(計202m)であった。矢ノ川峠新道の難所区間である大橋〜小坪間を大きく迂回するようなルートを通るようになったが、勾配は大きく緩和された。

 この昭和新道は矢ノ川隧道を越えた付近で旧道と合流するため、ループを描くような形で建設された。現在残る旧道がループを描いているのは、こういう建設の経緯があったためなのだ。

 なお、矢ノ川峠の昭和新道開通にともない、大橋〜小坪間の旧ルートは廃道となったようである。また木本〜尾鷲間に省営(後の国鉄)バスが運行されるようになったため、索道も廃止されている。

【写真右】:矢ノ川峠旧道に残る第五矢ノ川隧道。「昭和新道」として1936年に完成。

2)国道41号線の誕生

 大泊〜小阪間の工事は、1938年(昭13年)3月に小阪隧道が完成。しかし、その後は戦争により工事は中断される。戦後の1947年(昭22年)に工事が再開され、木本〜大泊〜小阪間の

新道(佐田坂新道)は1949年(昭24年)10月末に完成することになる。

 この間の1945年(昭20年)1月に三重県道「津木本線」と「木本新宮線」は、(大正)国道41号線(松坂和歌山線)に昇格。三重県南部初の国道となる。矢ノ川峠を越える区間も当然のことながら国道となった。大泊〜小阪間も評議峠経由ルートから佐田坂経由の新道にルートが変更されている。

3)国道42号線の誕生

 1953年(昭28年)5月、それまでの(大正)国道41号線は「二級国道」の一つである国道170号線(和歌山県和歌山市〜三重県松阪市)として指定された。現在のR170とは明らかに違う道で、この(初代)国道170号線こそが現在のR42の前身 となった国道である。

 1958年(昭33年)9月に国道170号線を「一級国道42号線」に昇格する政令が公布。翌年の1959年(昭34年)4月1日、一級国道42号線(和歌山県和歌山市〜三重県津市)が誕生した。今に至るR42の誕生である。(等級は1965年(昭40年)に廃止される。)

 国鉄バスも引き続き運行されていたが、R42昇格後約3ヶ月後の1959年(昭34年)7月15日に紀勢本線が全通したことで廃止されている。

4)国道の大改修

 国道42号線に昇格後も矢ノ川峠を越える区間は昔ながらの悪路のままであった。路面はもちろんダートのままで、道幅は1車線ほどしかなく急勾配・急カーブが続いていた。トラックやバスの離合は甚だ困難な状態であった。

 道路の改修工事は戦後しばらくしてから県が主体となって行われていたが、「一級国道」昇格後は政府の国道整備計画による道路の改修・整備が行われることになり、1963年(昭38年)度末に新ルートが決定となる。矢ノ川峠区間は麓からしばらくの間は旧来のルートに沿って改修・整備されることになったが、峠前後の区間は長大トンネルを設けて別ルートの新道に付け替えられることになった。

 工事は1965年(昭40年)12月に開始されたが、この工事は難工事となった。3年の歳月と総工費約30億円の費用をかけて尾鷲側より矢ノ川トンネル(2076m)、弓山トンネル(127m)、大又トンネル(1626m)の3トンネルが設けられ、千仭、万丈、帰山の3橋梁が完成。

 1968年(昭43年)4月6日、矢ノ川峠改修工事竣工式が開催。ここに現在に至るR42矢ノ川

峠新道が完成した。その効果は絶大で、それまで約2時間40分もかかっていた矢ノ川峠区間の移動時間が1時間弱まで短縮された。以後、旧ルートは通る車は激減し『忘れ去られた道』となる。

 

 

 

【写真右】:現在のR42矢ノ川トンネル熊野市側抗口。全長約2kmもの長大トンネル。

5)R42熊野尾鷲道路の建設

 R42矢ノ川峠新道であるが、旧道ほどではないが急勾配・急カーブが連続する難所に変わりはなかった。高速化が要求される昨今においては、1時間弱という通過時間は『長い』ということになってしまった。また大雨の際の交通規制の存在や増加する交通量に対処すべく、抜本的な改良が行われることになる。それが『R42熊野尾鷲道路』である。明治の矢ノ川峠新道から数えると実に4回目の新道建設となる。

 『熊野尾鷲道路』は、三重県熊野市と尾鷲市の間に建設される予定の総延長18.6kmの自動車専用道路。将来建設される

近畿自動車道紀勢線(仮称らしい)と接続して紀伊半島一周高速自動車網の一部分となる予定。ルート的にはR42とR311の

ほぼ中央を通り抜ける。かつての熊野古道に近いルートを通ることになるようだ。道路のほとんどはトンネルが占める予定で、長大トンネルで移動時間と距離を短縮する。

 2005年(平17年)度からは尾鷲寄りの区間から建設が開始され、まずはトンネルの建設工事から始まるようだ。他区間でも調査と用地買収・設計などが行われることになっている。完成がいつ頃かは未定だそうだ。

      【写真右】:クネクネ進む現R42も改良が求められている。写真は矢ノ川トンネル尾鷲市側抗口付近を旧道より

            撮影したもの。

<<参考資料>>熊野市史/尾鷲市史/その他

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