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●国道42号線 履歴 1959年(昭34年)4月1日:和歌山県和歌山市〜三重県津市の国道として誕生。 1993年(平5年)4月1日:三重県津市〜静岡県浜松市を延長、 起点を静岡県浜松市とし、静岡県浜松市〜和歌山県和歌山市の国道となる。 現在に至る。 |
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●変遷・沿革 国道42号線の前身というか先祖となるのはかつての熊野街道。熊野街道のうち、紀伊路〜大辺路〜伊勢路が国道42号線の先祖(?)にあたる。 車道としての国道42号線祖先は、1879〜80年(明治12年〜13年)に制定された和歌山/三重県道「熊野街道」。その後、「熊野街道」は1920年(大正9年)に和歌山県道「和歌山新宮線」、三重県道「津木本線」、同県道「木本新宮線」となり、これが1945年(昭20年)1月に(大正)国道41号線(和歌山松坂線)として国道に昇格した。 1953年(昭28年)、新たな道路法が施行。このときに国道41号線である和歌山松坂線は、当時の二級国道の国道170号線(初代)に指定。これが現在の国道42号線の前身となる。国道170号線が登場してからも沿線各市町村では一級国道昇格運動が続けられ、1959年(昭34年)4月に一級国道42号線が和歌山県和歌山市を起点、三重県津市を終点として設定された。その後、一級・二級の区別はなくなり、単なる国道42号線となる。 国道昇格後、各地では次々と整備・改良工事が行われ、年々快適な国道に進化。西の難所である水越峠、東の難所である荷坂峠・矢ノ川峠も改良され難所ではなくなる。現在は、国道42号線の後身とも言うべき自動車専用道(近畿自動車道)が建設されている。 1993年(平5年)4月、国道42号線は大きくルートが変わる。三重県松阪市から国道23号線と重複して三重県伊勢市に向かい、かつての熊野街道のルートに近い形になった。ところが更に三重県伊勢市から同県鳥羽市まで延長。海を渡って対岸の愛知県渥美半島先端の愛知県渥美郡渥美町(2005年10月より愛知県田原市)に上陸。ここから遠州灘沿いに進み、静岡県浜松市まで延長。起点は静岡県浜松市、終点が和歌山県和歌山市となり、現在の静岡県浜松市〜和歌山県和歌山市の国道となった。 旧道は走行可能な区間もあれば、廃道となり走行不可能になった区間まであちこちに残っている。ここでは『西』の難所である「水越峠」と『東』(というよりR42最大)の難所である「矢ノ川峠」を中心に紹介して行く。 参考文献>>日高町史/由良町史/熊野市史/その他 |
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◆Update:2005年07月10日 |
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