国道166号線旧道(6) |
■飯高町内旧道 ■飯南町内旧道 |
◆国道166号線飯高町内旧道 |
松阪市飯高町(旧:飯南郡飯高町)内のR166は一部区間を除けば、整備された2車線道に改良されている。R166の先祖は和歌山街道(高見越伊勢街道)であるが、旧街道と重複しているのはほんの少しだけで、ほとんどは別ルートで建設された大正時代以降の道を元にしている。 飯高町内の県道津和歌山線(R166の前身)は、昭和時代に入ってからは自動車の普及やバス路線の開設などにともなって車道としての整備・改良が行われ、局所的な道路付け替えと道幅拡張が行われた。旧集落内やかつての宿場町など拡幅が困難な場所や急な曲がり角の改良には、局所的な道路の付け替えや櫛田川などへの新橋の架橋が行われている。『飯高町郷土誌』によると、昭和7年(1932年)には宮前〜野々口〜作滝〜赤桶間に新橋の架橋を含めた新道を開設している。一部は現在のR166旧道である。 戦後は高見峠道路の建設が主体となったのか、町内の道路の改修はあまり行われていないようだ。同誌によると、昭和30年代になってから国道改修工事が行われたと記述されており、伊勢湾台風(昭和34年(1959)9月:台風15号)前までに宮前地区(昭和33年)、粟野地区(昭和34年)が改良された。伊勢湾台風によって飯高町内の道路は大きな被害を受けるが、その復旧工事も兼ねて改修工事も進められたようで、粟野橋架橋(昭和36年3月)、七日市地区(昭和37年)、飯高大橋架橋(昭和38年)と改良工事が進められた。 昭和40代以降はR166高見国道事業が実施されることになり、奈良県吉野郡東吉野村杉谷地先〜三重県飯南郡飯高町桑崎地先までの約11kmの改良工事が昭和41年度以降に開始されることになる。昭和59年(1984年)3月末に高見トンネルが供用開始されて高見峠を越える苦労が解消したものの、トンネル前後の区間は狭路が残ったため改良工事は引き続き行われた。 また昭和30年代に改良された道路の再改良工事も行われたようで、乙栗子バイパス(平1年1月)、赤桶バイパス(平5年11月)、R166高見国道高見工区(平5年12月)と、R166現道となる高規格道路が供用され、それまでの道は旧道となり、あちこちに断片的に残っている。 |
注>>ここでは飯高町内の旧道をまとめていますが、全ての旧道を走っていません。短い旧道などは省略しています。 |
考資料・文章引用元>>飯高町郷土誌(昭和61年刊) |
■国道166号線旧道【波瀬地区旧道】 ■国道166号線旧道【桑原地区旧道】 ■国道166号線旧道【乙栗子地区旧道】 ■国道166号線旧道【鍋倉地区旧道】 ■国道166号線旧道【宮前地区旧道】 |
>>Update 2009.05.30 |
○国道166号線飯高町内旧道 【波瀬地区旧道】 |
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R166現道は松阪市飯高町(旧:飯南郡飯高町)波瀬(はぜ)地区を快適な2車線道で通り抜けている。沿道には郵便局や「グリーンライフやまびこ」というドライブインなどがある。もちろん現道はバイパス道路で、旧道は波瀬の町中を経由しており、現道からもその姿を見ることが出来る。 波瀬地区旧道は国道指定解除後はr783(県道土屋原飯高線)となっていたが、R166現道に出る2車線の県道バイパスが開通してからは県道指定も解除されて、今は町道→市道となっているようだ。
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【レポートは飯高町波瀬→高見峠方向(東→西方向)です。】 |
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R166波瀬地区旧道の東側分岐点は波瀬大橋東詰となる。2車線道から右に分岐する1.5車線狭路が旧道。旧道に入るとすぐに波瀬地区の町中に入る。山間の静かな町だが、かつては和歌山街道(高見越伊勢街道)の宿場町として栄えた町で、どことなく昔の宿場町の雰囲気が残る。 町中を過ぎると1.5車線狭路坂道となる。東側分岐点から1kmほどで峠(?)を過ぎると左下にR166現道とr783の交差点が見える。緩やかで長い狭路坂道を下るとr783(県道土屋原飯高線)との交差点に到着。交差点手前には県道時代の名残がある。 県道交差点を過ぎると太良木川を渡月橋で渡って数軒の民家を通り過ぎる。その先では古い造りの「仲のせ波志」(中野瀬橋)を渡るが、橋の東西両詰にはガードレールが設置され、車での通り抜けはできなくなっている。「仲のせ波志」を渡ると、R1 66新中野瀬橋西詰に出る。ここが波瀬地区旧道の西側分岐点となる。東側分岐点から約1.6kmである。 |
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<<撮影年月の記載が無い写真はすべて2009年5月撮影>> |
<<MEMO>> |
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■概況・交通量など 西側分岐点にある旧道の橋「仲のせ波志」(中野瀬橋)ですが、昭和初期に作られた橋のようです。老朽化が激しいのか集落内への車進入を防止するためなのかは分かりませんが、橋の両端をガードレールで封鎖して車の通行をできないようにしてあります。徒歩・自転車やバイクでは通行可能です。 おそらく同じような時期に架橋されたであろう渡月橋が新しく付け替えられている(平16年頃)のに、こちらは付け替えられていません。いずれ計画があるのでしょうか? なお橋名と竣工年月は西詰の欄干に記されていましたが、判読困難な状態でした。橋面はR166現道の新中野瀬橋から判断しています。 ■ガソリンスタンド 旧道沿いにはありません。波瀬地区にはR166現道沿いにGSがありましたが、今は廃業しています。 ■注意点 波瀬地区の旧道は地区の生活道路となっています。走行時は歩行者や対向車に注意してください。 |
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●走行DATA |
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波瀬地区旧道 【東→西方向を走行】 >>走行日:2004年5月25日 |
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【西→東方向を走行】 >>走行日:2009年5月14日 |
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【合併情報】 ●2005年(平17年)1月1日付けで、一志郡嬉野町、一志郡三雲町、飯南郡飯南町、飯南郡飯高町の5町が三重県松阪市と対等合併して『三重県松阪 市』になりました。このうち飯南町と飯高町は、それぞれ『松阪市飯南町』『松阪市飯高町』となりました。 |
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【波瀬地区旧道終わり】 |
○国道166号線飯高町内旧道 【桑原地区旧道】 |
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松阪市飯高町(旧:飯南郡飯高町)桑原地区では、R166は桑原トンネル(L=135m)と2本の橋で、蛇行する櫛田川を直線的に横断して通り抜けている。旧道は櫛田川に沿って進む1.5車線狭路で、飯高町桑原地区・月出地区への生活道路として余生を送っている。 |
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【レポートは飯高町桑原→高見峠方向(東→西方向)です。】 |
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R166桑原地区旧道の東側分岐点は桑原トンネル東口前にある新八雲橋東詰。右に分岐する1.5車線狭路が旧道で、「月出の中央構造線」への入口にもなっている。 旧道は櫛田川に沿って進む平坦な狭路で、淡々と川に沿って進んで行く。飯高町桑原地区とその奥にある飯高町月出地区に向かう生活道路として整備されており、おそらくは町道として整備されているのだろう。 東側分岐点から500mほど進むと、桑原地区の集落と月出地区に向かう道路(町道or林道?)が分岐する。分岐点からは再び川沿いの1.5車線狭路を淡々と進み、やがて桑原トンネル西口にある桑原橋橋西詰の西側分岐点に到着する。距離にして約1kmの短い旧道だった。 |
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<<写真はすべて2004年5月撮影>> |
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注意>>市町村名は走行当時の名称です。 |
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■概況・交通量など 地区内の生活道路となっています。歩行者・対向車に注意してください。東西の旧道分岐点は、現道からの見通しが悪いので 現道への出入りの際は対向車に十分注意してください。 |
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●走行DATA |
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桑原地区旧道 【東→西方向を走行】 >>走行日:2004年5月25日 |
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【合併情報】 ●2005年(平17年)1月1日付けで、一志郡嬉野町、一志郡三雲町、飯南郡飯南町、飯南郡飯高町の5町が三重県松阪市と対等合併して『三重県松阪 市』になりました。このうち飯南町と飯高町は、それぞれ『松阪市飯南町』『松阪市飯高町』となりました。 |
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【桑原地区旧道終わり】 |
○国道166号線飯高町内旧道 【乙栗子地区旧道】 |
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松阪市飯高町(旧:飯南郡飯高町)乙栗子(おとぐるす)地区では、R166現道は櫛田川の南側(右岸)を通る。この区間はR166乙栗子バイパスと呼ばれ、平成元年(1988年)1月に供用開始となった。旧道は櫛田川の北側(左岸)を通る狭路道で、今では生活道路として余生を送っている。 |
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【レポートは高見峠→飯高町乙栗子方向(西→東方向)です。】 |
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乙栗子(おとぐるす)地区旧道の西側分岐点はR166現道の新乙栗子橋西詰で、左に別れる狭路が旧道となる。これまた典型的な旧道分岐点となっている。旧道分岐点からしばらくの間は町中を通るが、200mほどで民家は途切れ、あとは川沿いに進む平坦な1.5車線狭路道が続く。山間の農村といった感じの風景が続き、ぽつぽつと民家が建っている。 淡々と狭路を進み特に問題なく東側旧道分岐点となる乙栗子口橋東詰に到着する。西側分岐点から約1.1kmである。 |
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<<撮影年月の記載が無い写真はすべて2006年6月撮影>> |
<<MEMO>> |
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■概況・交通量など 地区内の生活道路となっています。歩行者・対向車に注意してください。 |
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●走行DATA |
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乙栗子地区旧道 【西→東方向を走行】 >>走行日:2004年5月25日/06年6月1日 |
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【合併情報】 ●2005年(平17年)1月1日付けで、一志郡嬉野町、一志郡三雲町、飯南郡飯南町、飯南郡飯高町の5町が三重県松阪市と対等合併して『三重県松阪 市』になりました。このうち飯南町と飯高町は、それぞれ『松阪市飯南町』『松阪市飯高町』となりました。 |
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【乙栗子地区旧道終わり】 |
○国道166号線飯高町内旧道 【鍋倉地区旧道】 |
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R166現道は松阪市飯高町(旧:飯南郡飯高町)鍋倉地区を櫛田川南側(右岸)を走りやすく見通しの良い2車線道路で通り抜けている。乙栗子地区と同様で、旧道は櫛田川を挟んだ現道の北側(川の左岸)を川の流れに沿って進んでいる。 鍋倉地区旧道西側分岐点には植樹があり、「一般国道一六六号線鍋倉地区開通記念植樹」という標が立っている。その裏面には「平成八年十月建設省紀勢国道工事事務所」と記されている。これから判断すると、この区間のバイパス(現道)は平成8年(1996年)10月頃に開通したと思われる。 |
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【レポートは 高見峠→飯高町鍋倉方向(西→東方向)です。】 |
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R166鍋倉地区旧道の西側分岐点は笠松橋西詰となる。直進するR166現道から別れる狭路が旧道だが、もともとは緩やかな左カーブを描いていたのだろう。旧道の一部は歩道と記念植樹を植えるスペースになっていた。 旧道に入ってから数軒の民家の前を通り過ぎると、旧道は平坦な1.5車線狭路となって櫛田川沿いに進んで行く。杉林の中を通る区間もあり、ローカル国道の面影を残す。路面状態は良好で荒れている場所はない。走りやすい旧道である。 西側分来てから1.2kmほどで工場の横を通り過ぎると1.5〜狭い2車線道となり、工場横から500mほどで東側旧道分岐点となる鍋倉橋東詰に到着する。西側分岐点から約1.7kmであった。 |
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<<撮影年月の記載が無い写真はすべて2006年6月撮影>> |
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注意>>市町村名は走行当時の名称です。 |
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■概況・交通量など 地区内の生活道路となっています。歩行者・対向車に注意してください。 |
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●走行DATA |
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鍋倉地区旧道 【西→東方向を走行】 >>走行日:2004年5月25日/06年6月1日 |
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【合併情報】 ●2005年(平17年)1月1日付けで、一志郡嬉野町、一志郡三雲町、飯南郡飯南町、飯南郡飯高町の5町が三重県松阪市と対等合併して『三重県松阪 市』になりました。このうち飯南町と飯高町は、それぞれ『松阪市飯南町』『松阪市飯高町』となりました。 |
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【鍋倉地区旧道終わり】 |
○国道166号線飯高町内旧道 【宮前地区旧道】 |
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松阪市飯高町(旧:飯南郡飯高町)東部、飯高町の中心地となる飯高町宮前地区周辺のR166現道は、見通しの良い2車線道となっている。沿道には道の駅『飯高駅』があるが、町の中心地南側を通っている。現道はバイパス道路で、いつ頃供用されたかは資料がないので不明だが、道の駅が平2年(1990年)7月に完成しているので、その前後に供用開始されたものと思われる。 旧道は町中を通る狭路で、飯高町下滝野〜宮前〜野々口をR166現道を挟んで南北を通っている。この旧道は昭和7年(1932年)に整備された車道で、昭和7年3月に完成した野々口橋で櫛田川を渡っている。なお、飯高町野々口〜赤桶(あこう)間も昭和7年に整備されているが、この区間の道路は拡幅・整備されR166現道となっているようだ。 |
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【レポートは高見峠→飯高町宮前方向(西→東方向)です。】 |
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■松阪市飯高町【飯高町野々口〜飯高町宮前】 |
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松阪市飯高町(旧:飯南郡飯高町)赤桶(あこう)からR166現道を東に向かって走ると、櫛田川に沿って大きなカーブを曲がって進んで行く。2つ目の大きな左カーブを曲がり、見通しの良い直線区間に入った辺りで左に狭路が分岐しているのだが、これが宮前地区旧道の西側分岐点となる。道の駅から高見峠に向かって走ると見落としやすい。 西側の旧道分岐点があるのは飯高町野々口地区。ここから宮前地区を経て下滝野まで至る旧道は昭和7年(1932年)に車道として新設された道路となる。旧道に入ると狭い2車線幅の道で野々口地区の集落内を通り抜ける。見通しの良い道路で、すぐ 先に赤いトラス橋が見えている。 西側分岐点から約600mで野々口橋に到着。この橋は昭和7年3月に完成した橋で、赤桶橋(現在は付け替え)と共に、県道津和歌山線(←和歌山街道)の新道の一部として建設されている。野々口橋は東西の橋詰の欄干に常夜灯(?)のようなランプが設けられた、当時としては洒落た造りのトラス橋といえる。架橋から80年近く経過していながら、今だ現役でがんばっている。 櫛田川を野々口橋で渡ると飯高町宮前地区に入る。平坦な狭い2車線道をしばらく進むと町中に入る。旧道は花岡神社の北側を通り宮前の町中を進んで行く。昔の宿場町は神社南側の通りにあるので、旧道沿いには民家が並んでいるだけとなっている。やがて小さな森の横を通り抜けるとR166現道との交差点に到着する。西側分岐点から約2.5kmとなる。 |
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■松阪市飯高町【飯高町宮前〜飯高町下滝野】 |
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酒屋の前で旧道はR166現道と交差するが、ここで終わりではなくまだ続く。旧道は現道を斜めに突っ切るような感じで交差すると、1.5車線狭路坂道を下って深谷川を深谷橋で渡る。すぐ左上にはR166現道の新深谷橋があって、現道を見上げるような感じで橋を渡ることになる。 深谷橋を渡ると飯高町下滝野地区に入る。橋を渡った直後は薄暗い所を行く1.5車線狭路坂道を進むが、ほどなくして下滝野の町中に至り、センターラインのない狭い2〜2車線道となって東に向かう。茶畑の前にR166国道標識が残っていたので、この道筋が旧道であることが分かる。 旧道はR166現道の南側に広がる町中を淡々と進み、約1.8kmでR166現道と飯高町下滝野と飯南町有間野を結ぶ市道の交差点、市道の粥見橋北詰でR166現道と合流する。 飯高町野々口の西側旧道分岐点から約4.3kmである。 |
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<<写真はすべて2008年7月撮影>> |
<<MEMO>> |
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■概況・交通量など この区間の旧道は飯高町野々口〜宮前〜下滝野間の町中を行く生活道路になっています。宮前地区ではかつての宿場町を避けるような形で町北側を通っており、旧宿場街は旧道とR166現道で挟まれたような形になっています。 和歌山街道(高見越伊勢街道)は宮前からは珍布峠を越えて赤桶に向かっていたので、宮前から西は旧道・現道とも旧街道に沿っていません。宮前から東はしばらくは旧街道と旧道は重複していますが、飯南町との境付近から別れているようです。 ■注意点 町中では歩行者・自転車に注意してください。また現道との交差点や合流点は見通しが悪い場所があるので、現道を走る車に要注意です。 |
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●走行DATA |
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宮前地区旧道 【西→東方向を走行】 >>走行日:2008年7月10日 |
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【合併情報】 ●2005年(平17年)1月1日付けで、一志郡嬉野町、一志郡三雲町、飯南郡飯南町、飯南郡飯高町の5町が三重県松阪市と対等合併して『三重県松阪 市』になりました。このうち飯南町と飯高町は、それぞれ『松阪市飯南町』『松阪市飯高町』となりました。 |
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【宮前地区旧道終わり】 |
松阪市〜松阪市飯南町(旧:飯南郡飯南町)間の先祖となるのも和歌山街道(高見越伊勢街道)となる。明治維新後の明治7年(1874年)頃から松阪〜辻原間の街道改良工事が行われていたが、辻原村(現:松阪市辻原)の”瀬戸坂”、六呂木村(現:松阪市六呂木)の”とりはみ坂”、粥見村(現:松阪市飯南町粥見)の”大見坂”の三大難所が立ちはだかり、飯南町粥見までの街道改良はなかなか進展しなかった。 明治18年(1885年)に六呂木村の”とりはみ坂”の新道の建設工事が開始された。この新道は隧道で難所の”とりはみ坂”を貫くというもので、明治22年(1889年)に小片野村(現:松阪市小片野)に出る隧道が完成。この隧道を経由して、松阪から飯南町横野まで人力車がやってくるようになった。 同じ頃に粥見村の”大見坂”に代わる新道の建設も開始された。新道は隧道ではなく、欠の浦を経由する道路を建設することになった。しかし道路予定ルートの岩盤が切り立ち、急斜面をなしていることから建設は容易ではなく、人馬道程度の道を建設するのがやっとの状態だった。粥見まで人力車がやってくるようになったのは、畑井の切り通しが行われ、欠の浦の道の拡幅された明治37年(1904年)であったという。この頃になって現国道の元となる道が現れたことになる。 『飯南町史』には、大正時代以降の飯高町内の県道津和歌山線(←県道和歌山街道)についての記述がほとんど無いが、昭和時代初期に至るまでの間に、自動車の進出やバスの整備に伴い道路として整備が進んでいる。本格的に車道として整備が始められたのは国道昇格後の昭和28年(1953年)以降となる。 特に昭和34年(1959年)9月の伊勢湾台風により、飯高町内の国道166号線は大きな被害を受け、復旧工事とともに路線変更や拡幅、橋梁改良などの工事も実施され、現道に近い状態の2車線道となった。 飯南町内には断片的に旧道が残っているが、多くは町中を通る生活道路として余生を送っている。 |
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参考資料・文章引用元>>飯南町史(昭和59年刊) |
■国道166号線旧道【粥見地区旧道】 |
>>Update 2009.05.30 |
○国道166号線飯南町内旧道 【粥見地区旧道】 |
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R166現道の西谷川(飯南高校の東を流れる川)〜粥見神社前(r710交差点)までの区間は、昭和40(1965年)に完成したバイパス道路で、それまでの国道つまりは現在の旧道は粥見の町中を行く市道(←飯南町道)粥見中央線である。今は町の生活道路となって余生を送っている。 粥見神社前(r710交差点)〜R368分岐交差点の間も旧道が存在しており、現道の山側を通る道が旧道となる。こちらはまだ走行していない。
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【レポートは飯南町→飯高町方向(東→西方向)です。】 |
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松阪市飯南町(旧:飯南郡飯南町)粥見地区の旧道分岐点は、R166とr710(県道飯南三瀬谷停車場線)との交差点となる粥見出鹿交差点。以前のR166とR368の交差点で、粥見神社東側にある。 粥見出鹿交差点を左に向かうと2車線道に入る。緩やかな坂を下ってすぐの所でR368旧道が左に分岐するが、この道筋は和歌山別街道となる。R368旧道分岐点では粥見神社南側の町中を通る狭路が右に分岐するが、この町中を通る狭路は、昭和19年(1944年)1月に信貴山の麓を経由する現旧道が開通するまでは県道津和歌山線(←和歌山街道)だった道路。国道166号線として指定される前に旧道となった。 r710となっている粥見地区旧道を南に向かう。R368旧道分岐点からすぐのところにある右カーブを曲がるとY字交差点に至る。ここを右に向かうと市道(←町道)粥見中央線に入るが、この粥見中央線がR166粥見地区旧道となる。現国道が完成したのが昭和40年(1965年)のことなので、かなり以前に旧道となったため国道時代の面影などは全くない。町中を行く生活道路となっていた。町中は狭い2車線道で通り過ぎる。町中の本通りということなのだが、昭和28年(1953年)に現旧道が開通するまでは、現旧道のさらに南側を通っていたのが本通り(旧街道?)だったとのこと。 旧道は町中を淡々と進み、粥見出鹿交差点から約2.2kmの西谷川を渡る西谷橋東詰付近でR166現道と合流する。 |
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<<写真はすべて2008年7月撮影>> |
<<MEMO>> |
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■概況・交通量など 粥見地区の旧道は町中の生活道路となっています。 ■注意点 歩行者や自転車に注意してください。 |
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●走行DATA |
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粥見地区旧道 【東→西方向を走行】 >>走行日:2008年7月10日 |
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【合併情報】 ●2005年(平17年)1月1日付けで、一志郡嬉野町、一志郡三雲町、飯南郡飯南町、飯南郡飯高町の5町が三重県松阪市と対等合併して『三重県松阪 市』になりました。このうち飯南町と飯高町は、それぞれ『松阪市飯南町』『松阪市飯高町』となりました。 |
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【粥見地区旧道終わり】 |
>>国道166号線旧道【終わり】 |
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