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国道168号線旧道(3)

天辻峠旧道

●天辻峠旧道

 奈良県五條市西吉野町(旧:吉野郡西吉野村)と五條市大塔町(旧:吉野郡大塔村)と

の境にあるのが天辻峠。吉野川水系と十津川水系を分ける分水嶺の峠でもある。現在の旧道はその天辻峠よりも50mほど下に大正時代に建設された隧道で峠を越えていた。現在は1959年(昭34年)に開通した新天辻隧道で峠を越えている。

>>国道168号線天辻峠旧道【概説】

>>国道168号線天辻峠旧道【1999年レポート

>>国道168号線天辻峠旧道【2000年レポート】 (全区間走破)

>>国道168号線天辻峠旧道【2002年レポート

>>国道168号線天辻峠旧道【2004年レポート

 

>>国道168号線天辻峠旧道【2006年レポート】(全区間走破)

>>Update 2006.12.23

○国道168号線天辻峠旧道

 【概説】

◆天辻峠

 吉野川水系と十津川水系の分水嶺の峠でもある天辻峠は、付近では最も標高の低い鞍部の峠として古来より交通の要所となっていた。最も標高が低いとは言うものの標高は約800mあり、天辻峠と麓との高低差は、五條側の立川渡とは約560m、十津川側の阪本とは約350mもあり、峠と麓を結ぶ坂道はかなりの急勾配となり西熊野街道(十津川街道)最大の難所となっていた。

 江戸時代、天辻峠からは尾根づたいに西北方向の和歌山県高野町富貴方面へ、東南方向へは天川方面への道が分岐していたので、天辻集落には問屋旅館が出来るほど栄えていた。

◆天辻隧道の開通

 明治時代にはいると道路(街道)も近代化が始まる。西熊野街道は明治末に五條から改良工事が始まり、天辻峠付近まで工事が進んできたのは大正時代に入ってからで、大正末期の1922年(大正11年)のことだった。この年、天辻峠の下およそ50mの地点に 全長149mの天辻隧道が開通。

それまで急勾配の坂道を上り下りして峠を越えていたが、この隧道の開通で峠越えの苦労はかなり解消されたという。天辻隧道を越えるバス路線(十津川村長殿まで)も1925年(大正14年)に開設され、6人乗りの小型バスとはいえ初めて十津川村内に到達したバスとなった。

◆新天辻隧道の開通

 1953年(昭28年)5月、天辻隧道を含めて県道五条新宮線は二級国道168号線に指定される。

しかし天辻峠を越える道は自動車交通路としてはあまりにも道幅が狭く、また急勾配が連続することから早期の改修が望まれていた。

 おりしも吉野熊野総合開発計画によるダム建設ラッシュ時の頃でもあり、ダム建設や代替道路、移

転集落などへの資材搬入路としてトラックなどの交通量も増加していたので、改良は急務となっていた。そのため、天辻峠から100mほど下の地点に新トンネルの建設が開始され、1959年(昭34年)8月に全長1174mの新天辻隧道が開通。広い道幅と揺るやかな勾配の車道の登場により、天辻隧道を含む道路は旧道となり、そのまま現在に至っている。

 ちなみに天辻峠の下には、この2本の道路トンネルの他にも、猿谷貯水池から西吉野発電所に向かう導水用の天辻トンネル(全長9613m)と完成しながらも廃棄された国鉄五新線天辻トンネルがあり、実に4本のトンネルが存在していることになる。

資料>>「西吉野村史」「十津川」「大塔村史」

○国道168号線天辻峠旧道

 1999年レポート

【レポートは十津川村→五條市方向(南→北方向)です。】

■国道168号線天辻峠旧道【十津川村側分岐点〜天辻隧道】

 国道地理院発行の地図を見ると、R168『新天辻峠隧道』東側に旧道らしき道とTNがあることが判明。まずは旧道の入口を探すことにする。五條市側の旧道分岐点がはっきりとしないので、十津川村側の旧道分岐点を探す。R168はよく走る道なので、おおよその察しが付いていたのですぐに見つかった。

 R168旧道入口は見逃しやすい。新天辻峠隧道の南寄りにある道の駅『吉野路大塔』から500mほど五條市方面(北)に進むと、山中に分岐する完全1車線の舗装された狭路坂道が見えてくる。この道がR168旧道。急勾配の坂道を進むと民家が1軒ある 。走行時にたまたま住人に会い、話を聞いてみるとR168旧道であることが確認できた。

 民家を越すと、完全1車線の狭い道が続く。R168が国道として指定されたのは1953年(昭和28年)のこと。道の雰囲気は路面が舗装された以外は昔のままなのだろう。路面には落ち葉が積もり、コケが生えている区間も一部あったが、思っていたほど荒れてはおらず進むことが出来た。

 坂道を上りきると、『隧道』という言葉がそのまま当てはまる昔のトンネルが現れた。入口上部には『道隧辻天』(右→左読み)と書いてある。これがR168旧道の『天辻隧道』。このTNが開通したのは1922年(大正11年)のこと。1959年(昭34年)に新天辻隧道が完成して現役を退いてから半世紀ほどが経過しているが、内部が崩れたり入口が閉鎖されることなく今だ健在で通行可能であった。

 TN内部には照明はなく、TN内は1車線のダートとなっている『ダート隧道』(注1)。真っ暗なTNをKSRUのライトだけを頼りにゆっくりと進んで行く。所々水溜まりがあるので、それらを避けて進んで行く。しばらく走るとコンクリート舗装された路面になった。TN内の十津川村側はダートなのだが、五條市側の数十mだけコンクリート舗装されているのだ。

 トンネルを抜けると、そこから先は完全1車線幅ダート道となる。時期が晩秋(初冬)だけあって落ち葉が積もっておりタイヤが滑りやすい。路面状態が悪く日没も近いことからこれ以上の走行は危険と判断し、300mほど進んで引き返した。

 なお、天辻峠のR168旧道は『林道永谷天辻線』となっていた。

(1999年12月4日の走行レポート一部編集)

注1:1999年当時はダート。2002年の防災工事の際に全面コンクリ舗装されています。

1.旧道の十津川村側分岐点。右に別れる狭路

  が旧道。

2.隧道まではこんな感じの狭路が続く。

  (五條市→十津川村方向を撮影)

3.開通当時の面影を残していた天辻隧道(十津

  川側抗口)。歴史を感じる隧道だった。

 

4.隧道銘板。右→左方向に読む。

5.五條側抗口前にあった林道標識。

 

注意>>市町村名は走行当時の名称です。

◆1999年12月4日走行。写真はすべて同じ日に撮影。

<<MEMO>>

 1999年(平11年)に初めてKSRUで天辻隧道を調査しました。まずはその時のレポートです。このときは天辻隧道五條側抗口前を出たところで日没を迎えつつあったために調査を断念し撤退しています。突発的に調査に向かったので、事前調査はほとんどしていない状態でした。調査不足ということもあったのですが、さすがに日没後に真っ暗なダート林道を走る勇気はなかったのです。

 隧道を出たところで写真を撮影していますが、逆光もしくは露出不足で使い物にならないため、隧道を出た付近の道路写真はありません。林道標識が隧道を越えたという証拠ですかね。

●走行DATA

天辻峠旧道

【十津川村側旧道分岐点〜天辻隧道間を往復走行】

>>走行日:1999年12月4日

【合併情報】

●2005年(平17年)9月25日付けで、奈良県吉野郡西吉野村と吉野郡大塔村の2村が奈良県五條市に編入されて、『奈良県五條市西吉野町』 と『奈良

 県五條市大塔町』になりました。

○国道168号線天辻峠旧道

 2000年レポート

【レポートは五條市→十津川村方向(北→南方向)です。】

■五條市側旧道分岐点〜ダート道開始地点

 R168西野TNから2kmほど南下すると、R168は新天辻TNに向けて急勾配・急カーブの連続する2車線ワインディングの峠道になる。天辻峠旧道の五條市側分岐点は、この峠道が始まる付近にあった。

 旧道は現R168のカーブを曲がった所で十津川行き(南行き)車線側より五條市方向に向かって 斜めに分岐している。五條市側から来た場合は見逃しやすく、またかなり進入しにくい。分岐点正面に空き地があるので(2000年5月時点)、そこに入ればいいのだが後続車や対向車があると入りにくいので、一度過ぎて安全な所でUターンして戻って来るのがよい。

 旧道分岐点付近の現R168は1997年〜98年頃に改修工事と大規模な斜面の防災工事が行われため、分岐点付近の旧道入口は立派になってしまい、一見すると農道か作業道の入口の様に見えてしまう。入口に付近に『林道 永谷天辻線』の標識があるのでR168旧道入口であることが分かる。

 改修されたアスファルト舗装の坂道を登ると、完全1車線幅の道は右にカーブしながら山深い中に入って行く。カーブを曲がり終えると路面には枝や落ち葉が無造作に散らばっており、時々作業車が通るのだろうか、車の轍の部分だけアスファルトが見えているという状態だった。 ガードレールなどという気の利いた物は一切なく、申し訳程度の高さのアスファルト路肩があるだけ。それでもないよりはマシだが、あまり役には立たないだろう。旧道分岐点から約400m進むと、舗装路はいきなり途切れてダートとな る。いよいよダート旧道(ダート林道)が現れる。

1.五條市側旧道分岐点。2車線道から分かれ

  る狭い舗装路が旧道。

2.道はこんな感じ。本道の改修工事で旧道も改

  良されていた。まず急坂を上って行く。

3.旧道は林道となっている。分岐点にあった林道

  標識。

4.坂を上りきるとご覧の通り。落ち葉や枝、切り

  出された木が散乱している。

5.比較的まともな舗装路でもこの状態。

  (十津川村→五條市方向を撮影)

6.ここで舗装路が途切れてダート区間に突入す

  る。この先はほぼ昔のままのようだ。

注意>>市町村名は走行当時の名称です。

◆2000年5月16日走行。写真はすべて同じ日に撮影。

■ダート開始地点〜落石現場

 ダート区間の道幅は完全1車線幅。路面状態は石がゴロゴロと転がっている少し荒れた路面で、その路面状態のまま少し勾配のきつい急カーブを何カ所か曲がる。普通のオフロードバイクなら楽勝なのだが、KSRUだと少ししんどい路面が続く。しばらく進むと路面状態は多少マシになり、固い地面のダートとなる。勾配も緩やかで急カーブも少なくゆっくり走れば問題ない区間が続く。ただし一部で自然に還り始めている箇所があるので注意が必要だ。

 五條側の旧道分岐点から2kmほど進むと道沿いの山肌が崩壊しており、そこから崩れ落ちた土砂や落石で道幅の山側2/3ほどが埋まっていた。(注)オフロードバイクなら問題なくクリア出来るが、残りの谷側約1/3の幅では軽自でもクリアが難しい位だ。この付近、以前に大規模な災害があったのか、落石現場の谷側には地滑りの後があり谷側の路肩は真新しいコンクリート壁が作られていた。

(注):落石があったのは2000年5月時点。現在では除去されているでしょう。

7.最初の急カーブ。もちろんダート。轍が深かっ

  た。KSRUだと少ししんどい。

8.ダート区間はこんな感じの道が続く。この付

  近の路面状態はしっかりしている。

9.かつてはここをトラックやバスが走っていた。

  (十津川村→五條市方向を撮影)

10.少し薄暗い山間の緩やかな勾配の坂道を

  進んで行く。

11.この付近は比較的道幅が広かった。固い路

  面だが、所々に石が埋もれているので注意。

12.落石現場。側壁が新しいのは数年前に大崩

  落が起こったためだろう。

注意>>市町村名は走行当時の名称です。

◆2000年5月16日走行。写真はすべて同じ日に撮影。

■落石現場〜天辻隧道〜十津川側旧道分岐点

 落石現場を過ぎると急勾配区間に入るのだが、ここから路面は荒れ始める。林道(旧R168)は雨が降ると川になるようで、雨水の浸食により路面が小さいながらも渓谷のように深くえぐられ、石がむき出しになっている坂道区間が続くのだ。轍の部分だけが深くえぐられて溝(渓谷)のようになっており、溝の間には草木が生い茂っていたりする。自然に還る寸前の状態だ。路面中央はほとんど自然に還っているので、仕方なく溝(渓谷)の部分を走る。パワーと車輪の直径が小さいKSRUだとクリアするのが大変で、足をつきながらLowでアクセルをほぼ全開にしてどうにかして坂道を登る。車ではクリアできない。普通のオフロードバイクでも、バランスを崩せば転倒しかねない路面状態だ。クリアに専念せねばならず写真を撮る余裕はなかった。

 最初の急勾配区間をクリアすると勾配は緩くなるが、路面には大きな石が転がり路面中央は草木が生い茂った状態が続く。崩土現場も1・2箇所ほどあった。しばらく走ると道端に捨てられた軽トラが現れる。ここを過ぎると再び急勾配の坂道が現れた。ここも先ほどの区間と路面状態は同じ状態なのだが昨秋の落ち葉が積もり滑りやすくなっている。路面中央の草木の発育も良い。

 同じ様な風景の中を苦闘しながら進み、何カ所目かのカーブを曲がるといきなり広場に出た。見覚えのある風景。正面に天辻 隧道が見えた。やっと旧道の北半分を走り終えた。五條市側の旧道分岐点(林道起点)から天辻隧道五條側(南側)抗口まで約3.5kmであった。極悪路なのでそれ以上に長く感じた。

 天辻隧道を越えるとその先は完全1車線ながらも舗装路となる。1999年12月と路面上はそう変化はなかったが、昨秋の落ち葉が積もっていたので路面に注意しながら走る。狭路の舗装路を約2km走ると、民家の前を通り抜けて現R168と合流した。

(2000年5月16日の走行レポート一部編集)

13.崩落現場を十津川村側から撮影。走行時、

  ここから隧道までは廃道に近い状態だった。

14.廃道に近い区間をクリアして隧道前に到着。

  (十津川村→五條市方向を撮影)

15.天辻隧道五條側抗口を撮影。林道標識が設

  置されている。隧道は改修前の姿。

16.隧道を越えると舗装路になる。1車線狭路の

  坂道を下って行く。

17.やがて民家が現れる。ここまで来るとゴール

  は近い。

18.十津川村側旧道分岐点に到着。最大の難所

  を無事にクリアした。

注意>>市町村名は走行当時の名称です。

◆2000年5月16日走行。写真はすべて同じ日に撮影。

<<MEMO>>

 1999年12月の初調査から約5ヶ月後、二回目の調査を行いました。今回は事前にネットなどで十分に下調べをした上でのトライ。それでも予想以上にひどい道でした。

 落石地点は大規模な地滑りが起こったとかで、しばらく復旧工事で通行止めになっていたそうです。真新しい側壁がそれを物語っています。廃道にせずに復旧させたということは林道としてまだまだ利用されるということでしょう。嬉しい限りです。

 調査したのは2000年5月のこと。旧道全区間を走破したのはこの時が初めてでした。落石ポイントまでの間は、ほぼ昔のままの状態でしょう。1車線狭路のダート坂道が国道だったというのは、今の時代から見ると信じられません。かつてはこのダート道を車やトラック・バスが走っていたのです。走りやすい道でした。

 一方、落石ポイントから隧道までの間は川と化していたようで、流れる水で出来た川のような跡や窪み、さらには30cmほどもある草で生い茂っている場所があるなど、半分廃道となり自然に還っているような場所がありました。昔はもっと走りやすかったのでしょうが、地形などの関係で荒れ果ててしまったようです。この区間、クリアするのに精一杯で、写真を撮る余裕はありませんでした。

 再訪して撮影しようとしましたが、この後改修工事などが始まったため、再び撮影するまで4年の歳月が流れます。

●走行DATA

天辻峠旧道

【五條市→十津川村方向(北→南方向)を走行】

>>走行日:2000年 5月16日

【合併情報】

●2005年(平17年)9月25日付けで、奈良県吉野郡西吉野村と吉野郡大塔村の2村が奈良県五條市に編入されて、『奈良県五條市西吉野町』 と『奈良

 県五條市大塔町』になりました。

○国道168号線天辻峠旧道

 2002年レポート

 2000年5月に一応走破はしたものの、荒れ果てていた区間の写真を撮影していないことが気になっていた。走る機会がないまま2年ほど経過し、2002年7月末にようやくR168天辻峠旧道を走る機会を得たので早速現地に向かった。今回は十津川村側からのトライである。

 十津川村側旧道分岐点から旧道に入る。このとき、分岐点に『通行止め』という看板があったが気にせずに隧道に向かった。隧道に至る狭路は以前のまま。何も問題なく進んで行く。

 しかし天辻隧道まで来ると衝撃の光景を見ることになる。抗口にフェンスが設置されて全面通行止めとなっていたのだ。老朽化によりついに廃道(廃隧道)となったのか、それとも文化財として保護されたのか・・・。

 実は隧道の改修・補修工事であった。内部には足場が組まれ、いろいろな機械が置かれていた。スズメバチの巣のように抗口にぶら下がっているのは内部を照らす照明。どうやらかなり大がかりな補修工事が行われているようだった。

 工事は2002年12月末までを予定。その後は通り抜けることが出来るようなのだが、実際に通

り抜け出来るのは2003年4月以降となる。

 このときは天辻隧道を通り抜けられなかったので、残る区間を走る気がなくなり天辻峠旧道調査を中止してしまっている。工事が終わる翌年まで調査は延期となった。

【写真】フェンスで通行止めとなった天辻隧道十津川村側抗口。工事中だった頃の写真。

<<MEMO>>

●走行DATA

天辻峠旧道

【十津川村側旧道分岐点〜天辻隧道(十津川口)間を往復走行】

>>走行日:2002年7月30日

【合併情報】

●2005年(平17年)9月25日付けで、奈良県吉野郡西吉野村と吉野郡大塔村の2村が奈良県五條市に編入されて、『奈良県五條市西吉野町』 と『奈良

 県五條市大塔町』になりました。

○国道168号線天辻峠旧道

 2004年レポート

【レポートは十津川村→五條市方向(南→北方向)です。】

■国道168号線天辻峠旧道【五條市側分岐点】

 2003年(平15年)4月以降に3度目の調査に向かうつもりが、いろいろと忙しく訪れる機会がないまま冬を迎えてしまった。結局、3度目の調査に訪れたのは2004年(平16年)4月となってしまった。どうも2年おきに調査に訪れているようだ。

 天辻峠に向かう前に、まずは五條市側の天辻峠旧道分岐点を確認しておく。変化といえば、以前は壁にもたれかかるように置かれていた林道標識が旧道入口に立っていたぐらいか。旧道分岐点ではそれ以外に変化はない。

 今回は天辻隧道側から下ることにしていたので、調査はそこそこにして十津川村側分岐点に移動した。

1.五條市側の旧道分岐点。右に別れる狭路

  が旧道。

2.変化と言えば、昔はただ単に置かれていた

  林道標識が立てられたぐらいだ。

3.旧道分岐点近くのかつてのR168。狭い2車

  線道のカーブが連続していた。

注意>>市町村名は走行当時の名称です。

◆2004年4月16日走行。写真はすべて同じ日に撮影。

■国道168号線天辻峠旧道【十津川村側分岐点〜天辻隧道】

 十津川村側旧道分岐点から天辻峠旧道に入る。道は相変わらずの狭路1車線道。アスファルト舗装なのでそう問題なく走ることが出来る。99年以来全く変わっていない。揺るやかな坂道を上って行くと天辻隧道が見えてきた。2002年の調査の時は工事中で通り抜けできなかったが、同年年末頃に工事は終わている。フェンスやゲートが設置されて通行できなくなっているのではないかと思ったが、そのような物はなく通行可能だった。

 到着して驚いた。十津川側(南側)隧道抗口はコンクリートで固められたありきたりのトンネルと化していた。いかにも大正時代の隧道というかつての重厚な作りの面影はなくなっている。隧道銘板と竣工年などの部分以外は真新しいコンクリートでコーティングされている。内部も同様で、路面はもちろんのこと壁・天井もすべてが真新しいコンクリートで固められていた。初めて来た人が見れば、真新しい林道トンネルと思うことだろう。もとは1922年(大正11年)完成の85年近い隧道なの だ。補強・補修工事とはいえ残念で仕方がない。

 救いなのは五條側(北側)抗口が以前のままであること。抗口付近こそコンクリで補強されているが、全面的にコンクリで固められているわけではない。完成時の天辻隧道の雰囲気を残すのは五條側抗口だけとなってしまった。

1.改修されてありきたりのTNとなってしまった

  天辻隧道。

2.最上部の石(煉瓦?)と銘板にわずかな名残

  が・・・。

3.内部もご覧の通り。路面、内壁、天井すべてが

  コンクリで固められた。

注意>>市町村名は走行当時の名称です。

◆2004年4月16日走行。写真はすべて同じ日に撮影。

■国道168号線天辻峠旧道【天辻隧道〜工事現場手前付近】

 天辻隧道を抜けて吉野郡大塔村(現:五條市大塔町)から吉野郡西吉野村(現:五條市西吉野町)に入る。隧道から五條市側(北側)は2000年以来訪れていない。路面はここからダートになる。隧道前の50mぐらいの間は狭い2車線道ぐらいの道幅のあるフラットダートとなっているが、その先からは急勾配の1車線狭路ぐらいの幅しかないダートとなる。

 ダートの路面であるが、最近頻繁に車両が通ったようで新しい路面(土)が出てきている。以前は草がはえ放題で、流水の跡が残っていた路面もフラットな状態となりかなり走りやすくなっている。2000年の時は苦労して上った坂道も難なく進んで行くことが出来る。重機が入り路面を整備したようだ。全面舗装化の前工事だろうかと思いながらも先に進む。

 やがて斜面の復旧工事現場に到着した。どうやら大規模な土砂崩れがあって林道(旧道)が埋まり、林道と斜面の復旧工事のために林道を整備したようだ。工事現場からさらに先に進もうかと思ったが、先では別の工事(復旧工事?)をしているようなので走破を断念。工事現場で引き返した。

4.五條側抗口。こちらは以前のままだった。

  昔の面影はこちら側にしか残っていない。

5.五條側抗口前からダートが始まる。狭い2車

  線道ぐらいの道幅がある。

6.隧道北側の区間は急勾配のダート坂道。

  (五條市→十津川村方向を撮影)

7.昔は草むらに近い状態だった。

  (五條市→十津川村方向を撮影)

8.整備されて走りやすいダート林道となった。

  (五條市→十津川村方向を撮影)

9.土砂崩れの復旧工事現場。工事のため整備さ

  れたようだ。ここで引き返した。

注意>>市町村名は走行当時の名称です。

◆2004年4月16日走行。写真はすべて同じ日に撮影。

<<MEMO>>

 2004年での調査でも完走できず、途中引き返しとなりました。付近の地質がもろいのか、土砂崩れなどの災害が多発する旧道のようです。走るのなら5月ぐらいがベストかも知れません。

 天辻隧道ですが、レポートの通り”ありきたりの”コンクリトンネルと化してしまいました。大正隧道の面影は五條側抗口にしか残っていません。隧道が通行禁止になったり、林道自体が許可車以外通行禁止にならなかっただけでも良しとしましょうか。

 その後、通行止めにはなっておらず、また舗装されたという話は聞いていませんので、2006年辺りに5回目の調査に行ってみます。

●走行DATA

天辻峠旧道

【十津川村側分岐点〜工事現場付近を往復走行】

>>走行日:2004年4月16日

【合併情報】

●2005年(平17年)9月25日付けで、奈良県吉野郡西吉野村と吉野郡大塔村の2村が奈良県五條市に編入されて、『奈良県五條市西吉野町』 と『奈良

 県五條市大塔町』になりました。

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