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国道169号線旧道(2-2)

大滝ダム旧道

○国道169号線大滝ダム旧道

  【2003年レポート】

■吉野郡川上村【大滝地区】

 R169現道は吉野郡大滝地区の町中を抜けると急勾配の2車線坂道を上って行く。この坂道が始まる付近が大滝ダム旧道と付け替え道路の分岐点となる。2001年レポートにも書いた通り、旧道は大滝ダム本体の建設にともない、工事専用道路となってしまった。

 平15年(2003年)3月末頃から大滝ダムの試験湛水が開始され、ダムには徐々に水が貯まり始めていた。事実上大滝ダムが竣工したわけで、大きな工事は終了していた。ダム本体周辺の工事もほぼ終了。平15年5月に旧道分岐点から見たかぎりでは、工事車両の姿はなくなり、あちこちにあったプレハブ小屋などは多くが撤去されていた。

 また分岐点にあった案内標識の表記が変わり、今まで工事現場へ向かう道が『通行止』と印されていたのが、道そのものが「消去」されてしまっていた。大滝ダム本体部付近のR169旧道は、地図上はもちろんのこと現地においても「消滅」してしまったようである。

1.大滝ダム旧道分岐点手前にあった案内標

  識。旧道を示す部分にはシールが貼られて消

  されている。(0304)

2. 平15年5月に撮影した旧道分岐点。向こうに

  完成した大滝ダムの本体の姿が見える。旧道

  入口にはゲートが設置されている。

3.旧道分岐点から大滝ダム本体方向を見る。

  鉄骨で建設された工事用道路が見える。

  いずれ撤去されるのだろうか?

 

 

4.写真3を拡大。拡幅されいるとは言え、旧道の

  道路がわずかに残っている模様。

 

 

<<撮影年月の記載が無い写真はすべて2003年5月撮影>>

*以前のレポートを修正・訂正し、写真を差し替えて再掲載しています。

■吉野郡川上村【(新)迫地区】

 平14年(2002年)度末、つまりは平15年(2003年)3月末をもって大滝ダム本体工事はほぼ完了した。同年4月(一説には3月下旬)よりダムは試験貯水を開始。私が現地を訪れた4月10日には、川上村(新)迫地区付近から北側(ダム本体寄り)にはすでにかなりの量の水が溜まっていた。

 付け替え道路が全通するまでは川上村(新)迫地区の町中に入る直前で、現R169から別れて川岸の旧道に下る連絡道が分岐していた。この連絡道も含めて川岸の旧道に下る全ての連絡道は平14年(2002年)10月1日より全面通行止めとなり、川岸の旧道は一般車通行止めとなっていた。ダム工事に関する周辺施設の残りの工事と点検のためだろう。

 川岸に下る連絡道路は撤去されずに残っていたが、平15年5月時点で連絡道路の下1/3ほどはすでに水に浸かっていた。将来は湖面へ下りる作業道として活用されるのだろう か?現在は簡易ゲートが設置されているが、いずれはしっかりしたゲートが設置されると思われる。

5.道の駅の吉野寄り(北側)にあった連絡道路

  分岐点。ここの案内標識も連絡道路は消去さ

  れていた。(0304)

6.連絡道路入口。ガードレールと鎖でゲートが

  設置され、バイク・車での進入は不可能となっ

  た。(0305)

7.連絡道路 を含め、川沿いを進む大滝ダム旧道

  は平14年10月1日から全面通行止になってし

  まった。(0211)

*以前のレポートを修正・訂正し、写真を差し替えて再掲載しています。

■吉野郡川上村【(旧)寺尾地区〜(旧)迫地区】

 道の駅『杉の湯川上』より北側(ダム本体寄り)には、以前は川岸を進む旧道の姿を見ることが出来た。しかし 試験湛水が始まった平15年(2003)年4月に訪れた時にはすでに完全に水没してしまっていた。

 川上村(旧)寺尾地区 に最後まで残っていた鮎釣りの店があった付近も、その近くにあった旧北塩屋橋も含めて全てが湖の底に沈んでしまっている。川岸を進んでいた旧道は完全に水没してしまい、確認することすら不可能となってしまった。

 水没を免れていたのは高い所を通っていた2本の工事作業用道路のみ。それも見えていたのは4月の話で、5月に訪れると2本のうち低い方の作業道路の7割ぐらいは水没していた。満水状態になり水位が上昇すると 8割ぐらいは水没する可能性が高い。しかしその後、白屋地区での亀裂発生を受けて水がぬかれたため、平15年秋以降は再び姿を現している。

平15年(2003)4月

1.北塩屋橋から上流方向を見る。右端に見える

  のが工事用道路。川岸の旧道は完全に水没

  している。

2.北塩屋橋から下流方向(ダム本体方向)を見

  る。旧北塩屋橋のあった付近は完全に水没。

  橋脚は姿を消している。

3.写真1の工事用道路。待避帯のある下の道路

  が曲がりくねって川岸に下りていたが、川岸の

  旧道も含めて水没している。

平15年(2003)5月

1.水位はさらに上昇。右端の工事用道路の半

  分以上が水没している。

2.4月撮影の写真とは撮影地点が少し違うが、

  水位が上昇して護岸が水没している。

3.北塩屋橋を上流方向から撮影。工事用道路が

  水没している。4月は撮影していなかった・・・。

平15年(2003)8月

1.地滑りを受けて水位を下げ始めた頃。まだ道

  は出現していない。

2.試験灌水中断時にほぼ近い。水位は下がり

  始めていた。

3.写真左にある斜面の下、褐色になっているライ

  ンまで水に浸かったことになる。

平15年(2003)9月

1.かなり水位が低下し、工事用道路が再び姿を

  現した。

2.水に浸かっていたところは草木は枯れて褐色

  になっている。

3.水位はかなり下がった。姿を現した工事用道路

  には泥が積もっていた。

■吉野郡川上村【(旧)迫地区】

 道の駅『川上杉の湯』手前から吉野川沿いに下る連絡道路は、平14年(2002年)10月より全面通行止めとなっていた。水没する前に撤去されるのではないかと思ったが、費用がかかるようで連絡道は撤去されずにそのまま放置されている。

 その連絡道も、連絡道と川岸の旧道との接続部分付近はすでに水没しているので通行不可能となってしまった。この先、水位が上昇すれば連絡道路の途中まで水に浸かることになる。連絡道路は(ダム湖清掃用ボート等を下ろしたりする)作業道か何かに使用するのだろうか? 平15年4月の時は、全体の約1/3が水没していたが、5月に訪れた時には半分近くまでが水に浸かっていた。

 連絡道路と川原の旧道との接続部分周辺は、川上村(旧)迫地区の町があった所。役場跡や丹生川上神社上社があったが、その多くは水没していた。平15年4月の時点では、一部の用地はまだ水没を免れており、その近くの旧道はまだ存在を確認することが出来たが、5月に訪れた時には完全に水没していた。

 山腹の移転用地の一角に「やまぶきホール」「森と水の源流館」という施設が出来た。昨年の通行止め以降、この施設の下付近ではコンクリートによる人工の湖岸が建設され、龍のモニュメントと水上展望台(浮き桟橋らしい)が設けられた。湖岸公園のような施設なのだろうか? 位置的には(旧)迫地区にあった丹生川神社上社跡近くとなる。ちなみに、この付近のR169旧道は吉野川岸を進む狭い2車線道であった。

  平15年4月時点では、この湖岸公園の少し先(南寄り)に橋の一部が見えていた。(旧)高原土場地区にあった吉野川を渡っていたコンクリート製の橋(国道ではなく集落を結ぶ昔からあった橋)の、H型をした柱の先端部分だ。橋は撤去されずにそのまま放置されたようだが、5月に訪れた時は完全に水没してしまい姿を消していた。

 聞いたところでは、龍のモニュメントが完全に隠れるまで水 がたまるそうだ。計画では夏になるとダム湖の水位を下げて龍のモミュメントが現れるようになるのだとか・・・。

平15年(2003)4月

1.(新)迫地区から川岸の旧道に下りる連絡道

  路。4月の時点で下約1/3が水没している。

  川岸の旧道はすでに水没。

2.かつての丹生川上神社(上社)があった辺り。

  龍のモニュメントが設置され、満水時は水没

  することになっていたそうだ。

3.対岸道路から上流方向を撮影。奥に見える橋

  はR169現道。この位置からまだ水位は上昇す

  ることになる。

平15年(2003)5月

1.水位はさらに上昇。真ん中の作業道分岐付近

  にまで達する。

2.浮き桟橋を見ると水位の上昇具合がよく分か

  る。

3.諸々のものを飲み込んで水位は上昇して行く。

  水位はさらに上昇することになっていた。

平15年(2003)8月

1.作業道分岐付近まで水位が上昇した模様。

  水位が下がり始めている。

2.浮き桟橋が延びきっている。この後、水位は

  下がり桟橋は川岸に放置される。

3.この付近には川岸を通る旧道や橋、迂回路な

  どがあった。

■吉野郡川上村【(旧)高原土場〜(旧)人知地区】

 (旧)高原土場地区も完全に水没してしまった。この付近でR169旧道は吉野川を渡り、川の東岸に移動していた。護岸工事建設に伴う付け替え道路だったので2車線幅の道だった。この道からはダム湖を渡る立派な白屋橋を見上げることが出来たが、この付近も完全に水没してしまっている。

 工事用作業道となっていた西岸を進む旧道は、平15年4月の時はまだ水没しておらず姿を確認できたが、東岸を進んでいた2車線の付け替え道路は水没しってしまっており、橋の上から確認することは出来なかった。また(旧)人知地区も水没し始めていたが、R169旧道は少し高い所を通っているので、まだその姿を確認することができた。

 平15年5月には全て水没してしまい姿は完全に消えてしまったが、同年10月には再び姿を現した。その後は白屋地区の地滑り対策工事の作業道路として利用された。 

平15年(2003)4月

1.白屋橋を見る。平15年4月は撮影しておら

  ず、平12年4月撮影写真を掲載。川岸の旧

  道の状態がよく分かる。

2.白屋橋から上流方向を見る。川の右岸にあっ

  た旧道(迂回路)は水没。左岸の旧道も水没

  しつつある。

3.(旧)高原土場地区。平15年4月は撮影してい

  ないので、平12年4月撮影写真を掲載。

  左岸が本来の旧道で、右岸が迂回路。

平15年(2003)5月

1.試験灌水が始まって二ヶ月ほどでここまで水

  位は上昇した。すべて水没している。

2.左岸にあった旧道も護岸も全てが水没。

  写真左側上方に白屋集落がある。

3.(旧)高原土場地区はすべて水没している。

  左の護岸を基準に位置を推定するしかない。

平15年(2003)8月

 

1.地滑りを受けて水位を下げ始めた頃。褐色の

  ラインまで上昇した。

2.かなり上昇したことが分かる。満水時の約50

  %近くまで水が貯まったそうだ。

 
平15年(2003)9月

1.かなり水位が低下したが、旧道は現れていな

  い。旧道が現れるのは10月になってから。

2.こちらもかなり水位が下がるが、旧道の姿は

  見えない。

3.水位がかなり下がり、水没していた橋の一部

  が再び姿を現している。

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