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●国道169号線 履歴 昭和28年(1953年)5月18日:和歌山県新宮市〜奈良県大和高田市の国道として誕生。 昭和50年(1975年)4月1日:和歌山県新宮市〜三重県熊野市の経路を、和歌山県新宮市〜和歌山県熊野川町〜奈良県十津川村〜和歌山県北山村 〜三重県熊野市に変更。 平成5年(1993年)4月1日:奈良県奈良市〜大和高田市を延長し、奈良県奈良市〜和歌山県新宮市の国道となる。同時に起点を奈良市、終点を新宮市 に変更。 現在に至る。 |
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●変遷・沿革 吉野川〜北山川に沿って進む国道169号線こと「東熊野街道」は、十津川沿いに進む国道168号線こと「西熊野街道」と共に紀伊半島を縦断する街道の後身となる。 一般的には国道169号線は「東熊野街道」と呼ばれているが、これは吉野以南の最初に国道指定された区間のことを指す。東熊野街道のルートは時代によって変わっているので、現在の国道169号線直接の先祖となるのは明治時代に整備された道路となる。その明治時代に建設されたルートも、その多くがダム湖に沈んでしまっていたり、廃道となったりしているので、明治時代の道路がそのまま現国道となって残っている区間はそう多くない。 奈良市〜桜井市間はかつての『上街道(かみつ道)』、桜井市〜吉野郡大淀町間は『中街道(なかつ道)』、『芦原越街道』の後身となる。これら吉野以北の区間と三重県内の区間についての変遷・沿革は各旧道の項を参照にされたい。 1)江戸時代の東熊野街道 東熊野街道は、西熊野街道と共に吉野山系を縦断する二大幹線の一つであった。吉野郡吉野町上市で伊勢街道(高見越伊勢街道)から分岐し、吉野川北岸沿いに宮滝に至り、ここから五社峠(現R169五社トンネルの上にある)を越えて吉野郡川上村に入る。川上村からは伯母峯峠を越えて吉野郡上北山村西原に下り、以南は北山川水系沿いに南下。吉野郡下北山村内は上池原から池峯〜寺垣内〜浦向〜桑原経由で三重県に入っていた。三重県熊野市桃崎からは大又川沿いに南下し、太平洋側の熊野市木ノ本に通じていた。 18世紀中頃の享和二十一年(1736年)に出版された『日本輿地通志』には、東熊野街道は『伯母谷路』と記されており、それによると上市から桃崎まで十九里二十二間(約75km)の距離があったという。 東熊野街道の最大難所は当時も今も伯母峯峠であった。江戸時代の東熊野街道は現在の伯母峯峠を通らずに、川上村伯母谷の東寄りに位置する伯母峯(1267m)付近を越え、その南にある辻堂山の東寄りをかすめ、北山川と小橡川の間の尾根を通って南下。河合・西原・小橡(ことち)の各集落に分かれて下っていた。現R169よりも東寄りのコースを南下していた。 現在の伯母峯峠を越えるルートに変更されたのは江戸時代末期の文政年間(1818-1829)のことで、西原在住の岩本弥兵衛の尽力でもって新道が開かれ、西原から伯母峯峠を越えて伯母谷に至り旧来の街道と合流していた。この頃になって、ようやく現在のR169に続くルートが見えてきたことになる。 2)明治時代 東熊野街道の改修は明治時代に入ってから始められた。明治9年(1876年)に、北山・川上両郷が東熊野街道の改修を決定。五社峠〜伯母峰〜七色一谷(紀州境)のルートで改修工事が開始された。この時の改修により、北山郷(現在の上北山村内)における東熊野街道は伯母峰を越えてからは、天ヶ瀬日浦を経て北山川・天ヶ瀬川の合流地点に急坂で下り、以南は北山川の河底に近い右岸を通って西原〜河合〜白川と南下。古代で河岸から離れて峠を越えて前鬼川の谷に出るというルートになった。工事は明治14年(1881年)に終わり、東熊野街道は道幅1.7mの道路に生まれ変わり、明治21年(1888年)、東熊野街道は県道に次ぐ甲種里道に指定された。 明治29年(1896年)、上北山村において東熊野街道再改修の動きが起こる。この頃になると、川上村と下北山村にはそれぞれ吉野川側と三重県側から車道が通じており、間にある上北山村内のみが道幅の狭い旧街道となっていたためだ。そこで川上村・上北山村・下北山村の3村は、川上村伯母谷から下北山村池原までの約40kmの改修を奈良県に願い出た。この請願により、明治33年(1900年)に東熊野街道は奈良県道に編入され、県道として改修工事が行われることになった。 工事は明治34年(1901年)頃から始まり、上北山村内は明治40年(1907年)、下北山村内は明治43年(1910年)頃に完成した。 この工事により、上北山村内での県道東熊野街道のルートは、天ヶ瀬と古代の両地区で大きく変わった。天ヶ瀬地区では日浦から急坂で下っていたのを、日浦の下方を通る緩やかな道に付け替えられ、古代地区では峠を越えていたルートを、北山川沿いの谷底を通る新道に付け替えられた。また河合地区では道幅が拡幅された。この改修により、東熊野街道は馬による荷車の通行が可能になった。 3)県道上市木ノ本線 五社峠は東熊野街道最初の難所となっていたが、明治時代に入ってからの改修工事により荷車が通れるほどに改修されていた。この五社峠の改修には土倉庄三郎が主導している。しかし大正時代に入ってから、新子・国栖を経由する吉野川沿いの道が県道として改修され、大正9年(1920年)に車道として開通した。 大正9年4月、(大正)道路法施行により、県道東熊野街道は県道上市木本線に指定された。これにより現在のR169の前身になる県道が誕生したことになる。 4)伯母峯隧道の開通 大正時代末期頃より自動車が普及し始めた。それに伴い県道も道幅や屈曲部、勾配などの部分的な改修工事が行われた。しかし伯母峰峠を越える区間は急坂と急カーブが連続するのと冬期の積雪などにより、自動車特に大型車の通行は危険を伴うものがあった。この状態を解消すべく、明治道が通る伯母峰峠下約50mの位置にトンネルが建設されることになり、昭和15年(1940年)6月に全長145mの伯母峯隧道が開通した。 5)国道169号線 戦後の昭和27年(1953年)に(昭和)道路法が制定され、翌28年(1953年)5月に施行された。この道路法により、県道上市木本線と県道高取大淀線と県道五條上市線の一部が国道169号線に指定された。 和歌山県新宮市起点で終点は奈良県大和高田市で、和歌山県〜三重県〜奈良県を通過する紀伊半島縦断国道であった。 昭和50年(1975年)4月には三重県熊野市以南の経路が変更となり、三重県熊野市〜和歌山県北山村〜奈良県十津川村〜和歌山県熊野川町(当時)〜和歌山県新宮市と現在のルートになった。このときの経路変更により未開通区間が発生して『分断国道』となったが、平成8年(1996年)7月の奥瀞道路(第一期)開通により分断状態は解消されている。 ●ダム絡みの道路整備 国道指定後の道路整備は、特に奈良県内では、多くがダム建設絡みによるものであった。昭和39年(1964年)6月の池原ダム竣工により、上北山村河合〜下北山村池原にかけての約15kmの区間が付け替えられ、川沿いの明治道は水没して姿を消している。 昭和41年(1966年)からは大迫ダム建設に伴う付け替え道路の建設が始まった。この付け替え道路の開通については資料が見あたらないが、大迫ダムの本体工事が昭和45年(1970年)4月末から始まっているので、それまでに(同年3月末?)までに開通しているものと思われる。 また昭和48年からは大滝ダムの建設にともなう付け替え道路の建設が始められ、川上村大滝〜迫地区の付け替え道路が昭和63年(1988年)7月に開通。付替道路自体は平成14年(2002年)度までに全区間供用開始となった。平成15年(2003年)4月からは大滝ダム本体が竣工したため試験灌水を実施。明治道の後身となる旧国道は水没。しかし白屋地区の地滑りが発生したことで、その修復工事のために水が抜かれ、再び旧道は姿を現している。ただ大滝ダムの工事が終わった平成23年(2011年)度から、再び貯水を始めることになっており、その後は完全に水没して姿を消すことになる。 ●ダム絡み以外の道路整備 ダム建設による道路整備以外では、翌昭和40年(1965年)には新伯母峯トンネルが開通。伯母峯隧道は旧道トンネルと化したが、後に廃隧道となっている。昭和48年(1973年)11月10日には五社トンネルが開通し、R169の経路は東熊野街道とほぼ同じく五社峠経由となった。なお、旧道となった国栖経由のルートは、同年6月に県道国栖大滝線として県道指定されている。また明治道路の面影を残していた川上村伯母谷地区では、平成15年(2003年)1月に伯母谷道路が全通。ループ区間を含む快適なトンネルで通り抜けることが出来るようになった。 昭和50年(1975年)4月の経路変更により誕生した南端区間のうち、田戸隧道を含む区間は平成20年(2008年)7月の瀞峡トンネル開通による奥瀞道路(第一期)の全通により快適な2車線道で通り抜けられるようになった。新宮市熊野川町内も道路改良が進んでおり、蟻越峠越え区間以外の区間では整備改良が進んでいる。その蟻越峠区間も、奥瀞道路(第二期)区間が事業化されたので、数年後には快適な道路とトンネルで通り抜けることができるようになる。 吉野郡上北山村内では平成19年(2007年)1月の崖崩れを受けて、地質の脆い事故現場を迂回するバイパス道路が建設中である。上北山道路と呼ばれるバイパス道は、総延長1.1km(うちトンネル部分が0.9m)で、工期は平成23年(2011年)3月末までの予定で建設中である。(供用開始時期は未定) 平成21年(2009年)9月時点で、北側のトンネル抗口が姿を現しており着々と工事が進んでいる。開通後の現道の扱いが注目される。 また北部の奈良県橿原市〜高市郡高取町では、R169高取バイパス道路の建設が進められており、将来的には芦原峠北側からR24大和高田バイパスへ接続させる計画となっている。 |
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参考資料>>大淀町史(昭48年刊)/吉野町史(昭47年刊)/川上村史(平1年刊)/上北山村の地理(昭39年刊)/下北山村史(昭48年刊) 奈良県史(地理)(昭60年刊)/大和百年の歩み 政経編(昭45年刊) |
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◆Update:平成22年(2010年)3月 23日 |
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