国道169号線旧道(5) |
■伯母峰峠旧道 ■天ヶ瀬地区旧道 |
◆国道169号線伯母峰峠旧道 |
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■概要 吉野郡川上村と上北山村の間にある標高991mの伯母峰峠は、吉野川水系と熊野川水系を分ける分水嶺となっている峠。 江戸時代の東熊野街道時代からの難所であるが、現在のR169は新伯母峯トンネルで通り抜けている。新伯母峯トンネルという名の通り、現在のトンネルは昭和41年(1966年)1月に開通した2代目にあたり、初代というか旧トンネルは伯母峰峠下50mの地点にあった。この初代トンネルも伯母峰峠を越えていた東熊野街道のバイパス的なトンネルとなるので、厳密に言えば、新伯母峯トンネルは峠を越える3代目の道路ということになり、峠には旧道と旧旧道が存在することになる。 ■経緯 江戸時代の東熊野街道は、現在の伯母峯峠を通らずに、川上村伯母谷の東寄りに位置する伯母峯(1267m)付近を越え、その南にある辻堂山の東寄りをかすめ、北山川と小橡川の間の尾根を通って南下。河合・西原・小橡(ことち)の各集落に分かれて下っていた。現R169よりも東寄りのコースを南下していた。 現在の伯母峯峠を越えるルートに変更されたのは江戸時代末期の文政年間(1818-1829)のことで、西原在住の岩本弥兵衛の尽力でもって新道が開かれ、西原から伯母峯峠を越えて伯母谷に至り旧来の街道と合流するようになり、現在のR169に近いルートを通るようになった。明治時代に入ると、この道が整備されて荷車や馬牛の通行が可能になった。 大正9年(1920年)4月、東熊野街道は県道上市木ノ本線に指定される。R169の前身となる道路だ。大正時代後期に入ると、県道は車道として整備されるようになった。昭和時代に入ると吉野地方にも自動車が走るようになり、県道も道幅・屈曲・勾配などの改修が行われたが、部分的に改修されるだけで抜本的な改修ではなかった。 伯母峯峠区間も車道として整備されることになるが、東熊野街道時代からの難所である伯母峯峠は、急坂・急カーブが続く狭路坂道で、冬期は深雪があるなど、大型バスやトラックの通行は大変危険であった。そのため伯母峯峠下約50m下の地点に、全長145mの伯母峯隧道が建設され、昭和15年(1940年)6月に完成。これにより峠の通行は幾分軽減された。 |
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昭和28年(1953年)5月、県道上市木ノ本線は国道169号線に指定される。昭和30年代に入ると自動車の普及が進み、通行量も年々増加していった。そのため急坂・急カーブの狭路が続く伯母峯峠を越える道は不便となってきた。そこで大トンネルを新たに開設することで、これらの障害を取り除くことになり、峠下268m下を通るトンネルが建設されることになった。工事は昭和36年(1961年)3月着工、昭和38年(1963年)7月に坑道が貫通し、昭和41年(1966年)1月に開通した。これが現在の新伯母峯トンネルである。 新トンネルの開通により、峠近くの伯母峯隧道を越えるルートは旧道となった。旧道となってからは、峠付近から分岐する大台ヶ原ドライブウェイへの連絡道路としての役目を 担うことになり、引き続き車道として使用されることになる。大台ヶ原DWは、昭和33年(1958年)8月に県道大台ヶ原伯母峯線として指定されている。同年11月に工事着工となり、昭和36年(1961年)6月に開通している。(新伯母峯トンネル開通後、 上北山村内の旧道が県道指定されていたのかどうかは資料が無くはっきりしない。) 大台ヶ原DWは昭和56年(1981年)3月31日まで有料道路であったが、同年4月1日以降は無料開放されて一般県道となった。そして昭和57年(1982年)4月1日に、格上げされて主要地方道のr40(県道大台ヶ原川上線)となり、新伯母峯トンネル北口から峠までの旧道もr40となった。 |
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一方の峠南側の上北山村内の旧道は村道和佐又伯母峯線に降格された。村道となってからも南側からの大台ヶ原ドライブウェイ連絡道路としての役目を担っているが、狭路坂道が続くためあまり活用されていない。 旧道の伯母峯隧道であるが、新伯母峯トンネル開通後しばらくして廃隧道となった。現在は南側(上北山村側)抗口が残るだけで、内部は土砂で埋められており通り抜けすら出来ない状態になっている。また峠を越えていた初代道路も、県道の整備や山斜面の防災工事などになり現在はほとんど消えており、わずかに一部が残る程度である。 |
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関連ページ>>地図で見るR169伯母峰峠旧道 |
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参考資料・文章引用元>>川上村史(平成元年刊)/上北山村の地理(昭和 39年刊)/下北山村史(昭和48年刊) |
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■国道169号線伯母峰峠旧道【2002年レポート】 |
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>>Update H21(2009).10.01 |
○国道169号線伯母峰峠旧道 【2002年レポート】 |
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【レポートは上北山村→川上村方向(南→北方向)です。】 |
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■吉野郡上北山村【和佐又〜大字西原】 |
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R169伯母峰峠旧道の南側(上北山村側)分岐点は、新伯母峰トンネルから1.5kmほど南に下った付近 で分岐するダート道が旧道である。旧道は上北山村村道和佐又伯母峯線になっている。 緩やかなダートの坂道を下ると、平坦な広場のような所に出る。『通行止』の看板やゲートはなく、進入可能のようなのでそのまま先に進む。この付近は昔の現役国道時代からそのままの状態となっているようで、1車線幅のダート道が続く。路面は固いのでそう問題なく走ることが出来るが、少し進んだ所にある右カーブを曲がると急勾配の坂道となった。坂は轍が深く砂利も深い。普通のオフロードバイクならば難なく走り抜けることが出来るのだが、KSRUだと少しもたつく。ゆっくりと進みながら坂道を登ってゆく。 坂道を登りきって左カーブを曲がると、道は整備された1.5車線幅の舗装路となった。谷側には立派な側壁が出来上がっており、つい最近整備・舗装工事が終わったことが分かる。地元の林業関係車ぐらいしか走らないダート旧道を舗装して立派な道にする必要があるのかどうか疑問を抱く。 しかしこの舗装路は700mほどで終わり、その先はダート道に戻っていた。ダートとは言っても路面舗装直前の整地された 砂利道で、昔の道の面影は全くない。しばらくは勾配のあるダートの坂道を進む。短い舗装路が再び現れたりするが、ほとんどは舗装直前の砂利道区間で開通(供用開始)前の道路を走っているような気分になる。 旧道分岐点から3kmほど進むと急な右カーブにさしかかる。 平成13年(2001年)4月末に来た時は、この付近に詰所が建てられており、旧道の約2/3を崩して側壁を建設する大規模な工事が行われていた。この時は歩行者と工事車両以外は全面通行止めで引き返したが、平成14年(2002年)8月時点では詰所はなくなり道も完成しており通り抜けることが出来た。 この付近の道は、カーブを緩やかにするために別ルートで建設されていた。現道のすぐ向こう側に廃道となったダート旧道が残っていたのだが、この道はやがて草木に覆われて消失してしまうのだろう。 |
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<<撮影年月の記載が無い写真はすべて2001年4月撮影>> *以前のレポートを修正・訂正し、写真を差し替えて再掲載しています。 |
■吉野郡上北山村【大字西原〜伯母峰峠】 |
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北山川源流の一つとなる谷(谷名不明)を渡る付近(写真9の地点)から先は、全面的に改良された狭い2車線道となっていた。村道の改良事業として整備されたようなのだが、舗装されてはおらず砂利道のままである。 舗装直前の砂利道をしばらく走る。路面は固く締まっているので大変走り易くなっているのだが、所々で雨水を側溝に誘導するため の段差が設けられていた。土を盛った段差ではなく、写真9のような感じで木材や土嚢で段差が設けられているので、速度を出して走るのはやめておいた方が良い。 急勾配の1.5 〜狭い2車線坂道を淡々と進んで行くと、やがて道は舗装路・未舗装路の混在区間となる。舗装路はかなり以前に舗装されたようで、路面には落石や土砂が転がっていた。落ち葉や枯れ枝などが転がっている所もあり、舗装路だからと気を緩めることは出来ない。 旧道分岐点から5kmほど進むと旧道は舗装路が続くようになる。道は1.5車線幅の狭路となるが、道の状態から察するにかなり以前に整備された区間のようだ。路面には拳大以上の大きさのある落石が転がっており、山肌に近い付近には崩れた土砂がそのまま放置されている区間もあった。 旧道分岐点から5.5kmほど進むと 廃隧道となった伯母峯隧道南(上北山村側)前に到着。抗口には金網が張られており進入不可能となっているが、それ以前にこのトンネルはすでに廃棄され土砂置き場になってしまい隧道自体埋まってしまっている。 伯母峯隧道前を過ぎるとR169旧道ではなく、R169旧道とr40(旧大台ヶ原ドライブウェイ)との連絡道路となる。この区間は舗装された1.5車線道。しかしこの区間(約400m)は土砂崩れが激しく大きな岩がゴロゴロ転がっていた。この区間をクリアして、旧道分岐点から約6kmでr40(奈良県道大台ヶ原公園川上線)の大台口 トンネル南口(上北山村側)前に到着した。 到着して驚いたことに、この分岐点にはゲートが設置されていた。南側の旧道分岐点付近に『通行止』の看板がなかったので、てっきり通行可能かと思っていたのだが、どうやらまだ工事中で通行止が続いている様子であった。 平15年(2003年)11月に訪れた所、舗装工事は全く行われておらず工事は途中で止まったままとなっており、舗装直前の砂利が 敷かれた状態のまま放置されていた。整備は行われていないようで、舗装区間もダート区間も枯葉や枯れ枝、さらには斜面からの落石や土砂などで路面は徐々に覆われつつあった。路面は一部荒れつつあり、このまま放置されるといずれは元の状態に戻るかも知れない。 |
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<<写真はすべて2002年8月撮影>> *以前のレポートを修正・訂正し、写真を差し替えて再掲載しています。 |
■吉野郡川上村【伯母峰峠〜わさび谷】 |
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【レポートは川上村→上北山村方向(北→南方向)です。】 |
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R169伯母峰峠旧道の北側(川上村側)分岐点は、新伯母峯トンネル北(川上村側)口の直前となる。トンネル直前で分岐して大台ヶ原へ向かうr40(県道大台ヶ原公園川上線)がR169旧道である。 r40は1〜1.5車線幅の舗装路。県道に降格されたとは言え、元国道なのでそれなりに整備はされている。r40は最初の急カーブを曲がると深い杉林の中を進むようになる。急勾配の坂道と小刻みなカーブ連続する山中路で、対向車に注意しながら進む。 しばらく進むと林が切れて明るくなる。道幅も1.5〜狭い2車線幅となって山腹を進むが、谷側は深い谷となっている。クネクネと幾つか 見通しの悪い急カーブを曲がりながら進んで行く。3kmほど進むと狭い幅のトンネルに到着した。大台口 トンネルだが、このトンネル北側200mぐらいは旧大台ヶ原ドライブウェイとして建設された道でR169旧道ではない。R169旧道とドライブウェイの境となる伯母峯隧道の北口は、何故かその姿は見あたらないのでどこまでがR169旧道なのかは不明である。 大台口 トンネルを抜けて南側に出ると吉野郡上北山村に入る。トンネルの南口前でr40から分岐する道があった。旧R169へ向かう連絡道である。 |
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<<写真はすべて2001年4月撮影>> *以前のレポートを修正・訂正し、写真を差し替えて再掲載しています。 |
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◆2002年レポート終わり |
<<MEMO>> |
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■概況・交通量など R169伯母峰峠旧道は平15年(2003年)以降は訪れていません。平15年はただ通り抜けただけなので記録を取っていないため、データはすべて平14年(2002年)時点のものとなります。R169現道は頻繁に走っていますが、上北山村側の分岐点付近は停まることなく通過しています。なので現時点(平21年時点)で分岐点がどうなっているのかは分かりません。 上北山村側分岐点付近は、平19年(2007年)1月30日に発生した崖崩れで、通行中の乗用車が巻き込まれるという惨事が起こった場所です。その時のニュース映像や写真を見ると、崖崩れが旧道にまで達していたように記憶しています。R169を全面通行止めにして復旧工事を行いましたが、旧道(村道)も復旧されたのかどうかは未確認です。おそらくは復旧させていると思いますが・・・。 平成21年(2009年)9月に現地に行き確認したところ、南側分岐点の旧道入口は閉鎖されています。途中のどこかで土砂崩れと路肩決壊により復旧工事中だとか。工事期間は平成22年(2010年)1月末までの予定だそうです。北側分岐点(大台口トンネル北口前)へは行っていないので状態は分かりませんが、しばらくは通り抜け不可能となっています。 ■注意点 峠北側のr40区間は、大台ヶ原へ向かう車が頻繁に走ります。対向車には注意して下さい。r40は冬期通行止めになる区間で、12月中旬〜翌年3月末頃までは通行できません。峠南側の旧道区間も事実上は冬期通行止めでしょう。晩秋・早春走行時は路面凍結・積雪に注意して下さい。 |
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●走行DATA |
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伯母峰峠旧道 【上北山村→川上村方向を走行】 >>走行日:平13年(2001年)4月26日/平14年(2002年)8月4日 |
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【川上村→上北山村方向を走行】 >>走行日:平15年(2003年)11月18日 |
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取材協力(同行走行):たぬたぬさん(02.08.04) |
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【伯母峰峠旧道終わり】 |
■概要 R169現道は吉野郡上北山村天ヶ瀬地区で、天ヶ瀬川を天ヶ瀬橋で渡る。天ヶ瀬橋北詰から右に狭路が分岐しているが、この道が集落内を経由してR309へ至る天ヶ瀬地区旧道となる。この旧道が江戸時代の東熊野街道筋かと言うとそうではなく、旧道は明治時代に整備された県道東熊野街道の後身ということになる。江戸時代の東熊野街道から数えると、旧道は3代目、現道に至っては4代目のルートということになる。天ヶ瀬地区旧道は、距離は短いながらも変遷が多い道である。 ■経緯 江戸時代末期、現在の伯母峰峠を越える新道が開通していたが、車道として改修・整備されたのは明治時代に入ってからのことである。明治9年(1876年)に、北山・川上両郷が東熊野街道の改修を決定。五社峠〜伯母峰〜七色一谷(紀州境)のルートで改修工事が開始され、明治14年(1881年)に終わり、東熊野街道は道幅1.7mの道路に生まれ変わり、明治21年(1888年)、東熊野街道は県道に次ぐ甲種里道に指定された。 この時の工事で、天ヶ瀬地区の東熊野街道は天ヶ瀬日浦を経て北山川・天ヶ瀬川の合流地点に急坂で下り、以南は北山川の河底に近い右岸を通って西原へと向かうようになった。日浦集落は、今の天ヶ瀬集落の少し北寄りの尾根に近い所にある集落である。 |
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明治33年(1900年)に東熊野街道は奈良県道に編入され、県道として改修工事が行われることになった。工事は明治34年(1901年)頃から始まり、上北山村内は明治40年(1907年)頃に完成した。この工事により、上北山村 天ヶ瀬地区の県道東熊野街道のルートは大きく変わった。「上北山村の地理」によると、『天ガ瀬の今西茶屋より日浦を通り天ガ瀬川合流点に急坂を下っていた道を、日浦を通るのを避けて、日浦の下方を通る緩やかな道に着替えられ、(以下略』とある。江戸時代末期の東熊野街道の道筋から数えると3代目のルートとなった。 |
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大正9年(1920年)、県道東熊野街道はに県道上市木ノ本線となったが、明治末に整備された道筋がそのまま県道上市木ノ本線となったのは言うまでもない。昭和時代に入り、乗用車が普及し始めると、県道も車道として部分的に改修が行われたが、大きなルート変更はないまま戦後を迎え、昭和28年(1953年)5月に国道169号線に指定される。 天ヶ瀬地区では、明治時代2回目の改修・整備された道筋に沿っていたのだが、急カーブが多い狭路であることから近代的な道路に整備されたようで、深い谷を跨ぐ橋が架橋されほぼ直線で通り抜けるルートになった。いつ頃に整備されたのかは資料がなく不明であるが、昭和51年(1976年)撮影の航空撮影写真に今の天ヶ瀬橋の姿はないところを見ると、昭和50年代中頃〜後半にかけてであろう。 天ヶ瀬橋開通で天ヶ瀬地区の集落内を通る道は旧道となり国道ではなくなったが、旧道に架かる(旧)天ヶ瀬橋南詰からR16 9現道までの間はR309となっている。 |
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関連ページ>>地図で見るR169天ヶ瀬地区旧道 |
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参考資料・文章引用元>>上北山村の地理(昭和39年刊) |
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■国道169号線天ヶ瀬地区旧道【平成21年(2009年)レポート】 |
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>>Update H22(2010).03.23 |
○国道169号線天ヶ瀬地区旧道 【平成21年(2009年)レポート】 |
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【レポートは川上村→上北山村方向(北→南方向)です。】 |
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■天ヶ瀬地区旧道 |
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吉野郡上北山村天ヶ瀬地区の旧道北側分岐点は、R169現道の天ヶ瀬橋北詰となる。北詰直前にR309の分岐を示す標識があるので、北詰から分岐する狭路はR169旧道で、天ヶ瀬橋を渡った南詰で分岐する狭路がR309となる。 北詰からの旧道は1.5車線幅の狭路となり、天ヶ瀬橋左岸を通って行く。轍の部分以外の路面には落ち葉が積もっているが、集落内に入ると落ち葉などはなくなりアスファルト舗装路となる。やがて江戸時代の東熊野街道と合流する。その先にある左カーブを曲がると(旧)天ヶ瀬橋で天ヶ瀬川を渡り、橋の南詰でR309と合流する。北側分岐点から約300mである。 この(旧)天ヶ瀬橋の柱には『昭和12年(1937年)3月架橋』という銘板があり、昭和初期の改修・整備工事で架橋されたのだろう。かれこれ70年以上前に建設されたコンクリート製の橋であるが今だに現役である。後述する西原地区旧道群の橋も 似たような形をしているので、同じ時期に架橋されたのかも知れない。 (旧)天ヶ瀬橋南詰からはR309となる。1.5車線狭路の緩やかな坂道を上り、300mほど走って天ヶ瀬橋南詰でR169現道との交差点に到着。ここが天ヶ瀬地区旧道の南側分岐点となる。 |
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<<写真はすべて平成21年(2009年)9月撮影>> |
■旧東熊野街道 |
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天ヶ瀬地区の旧東熊野街道筋は、現道の少し上にある天ヶ瀬地区の日浦という集落を経ていた。国土地理院発行の地図には『日浦』という地名が明記され、R169現道から点線が日浦地区を経て天ヶ瀬地区に続いている。この点線が旧東熊野街道筋ということになるのだろう。 実際にはどうかというと、R169現道の高田和橋旧道から舗装林道のような道路が分岐している。R169からもその一部を確認することが出来る。この道が国土地理院発行の地図に記された点線であり、日浦集落に向かう道のようなのだが、道路入口はフェンスによるゲートが設置されていた。残念ながら入ることが出来ない状態になっている。 天ヶ瀬地区の集落内で、R169旧道は尾根から下ってくる登山道と合流する。人が一人歩けるほどの幅しかない路で、旧道の舗装路から別れると急坂となり、葛折りの坂道で尾根に向かっている。旧東熊野街道筋は日浦から急坂で天ヶ瀬へと下っていたらしいので、この登山道が旧東熊野街道であろう。 |
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<<写真はすべて平成21年(2009年)9月撮影>> |
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◆平成21年(2009年)レポート終わり |
<<MEMO>> |
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■概況・交通量など 天ヶ瀬地区の旧道はかなり以前から存在をしっていたのですが、実際に走ったのは平成21年(2009年)9月が初めてでした。距離的には短く、全長約600mの旧道です。静かな山間の集落を通り抜ける生活道路です。 高田和橋から分岐する道と天ヶ瀬集落内に下ってくる路は、おそらく明治時代中頃に整備された東熊野街道(←江戸時代の東熊野街道)だと思われます。時間があれば集落内からの路を上ってみます。 ■注意点 悪天候・大雨時は注意してください。 |
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●走行DATA |
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天ヶ瀬地区旧道 【北→南方向を走行】 >>走行日:平成21年(2009年)9月24日 |
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【天ヶ瀬地区旧道終わり】 |