>>R169旧道TOP

>>R169旧道(2)

国道169号線旧道(3)

八幡トンネル旧道

柏木地区旧道

大迫ダム旧道

◆国道169号線八幡トンネル旧道

 吉野郡川上村白川渡にあるのがR169八幡トンネル。r228(県道中奥白川渡線)分岐点の吉野町寄りにある 全長107mのトンネルで、平成11年(1999年)3月 末に開通している。調べてみると川上村白川渡には昭和34年(1959年)に八幡トンネル(L=90m)が開通しているとのことで、平成11年開通の現トンネルは昭和34年開通のトンネルを改修したものと思われる。

 昭和34年以前については吉野川に沿って進んでいたようで、現在も1車線狭路が残っている。この道は現トンネルの建設工事の際に迂回路として使用された。道幅が狭いために確か交互信号か係員誘導による交互通行だったように記憶している。また一部道幅の狭い場所は鉄骨で仮道を造るなどして大型車に対応していた。現トンネル開通後(改修後?)は仮設道路も撤去されて、元の姿に戻っている。なお、現在の旧道は車の通行は不可能となっている。

>>Update H21(2009).10.01

○国道169号線八幡トンネル旧道

  【2004年レポート】

【レポートは川上村→下北山村方向(北→南方向)です。】

 八幡トンネル旧道はトンネル抗口前から分岐している。典型的なトンネル旧道の分岐で、2車線幅のトンネル北口から左に分岐する1車線狭路が旧道となる。旧道は蛇行する吉野川に沿って進む ほぼ平坦な1車線狭路道なのだが、旧道入口にはトラ縞模様の逆U字柵が設置されているので、車での進入はできなくなっている。なので徒歩なり自転車・バイクで入る際は”自己責任”ということになる。

 隙間からKSRUで入る。八幡トンネルが開通して元の旧道に戻ったとはいえ、路面はかなりきれいな状態であるが、これは一時期迂回路として使用されていた名残なのだろう。落ち葉や落石が多いので、それらに気を付けて進んで行く。途中に雨量か何かの観測機器らしきのがあり、また電線が旧道経由ということで廃道にならず維持されているようだ。

 観測機器を過ぎると緩やかな右カーブを曲がり、のり面の下を通る過ぎると程なくして八幡トンネル南口に出た。距離にして約300mの旧道である。

1.旧道北側分岐点。左に分岐するのが旧道。

  柵が見えている。(0411)

2.入口にはトラ縞模様の柵がある。車での進入

  はできない。(0411)

3.旧道は整備されて舗装がきれいにされている。

  少し進んでから北側分岐点を見る。

4.左側に吉野川を見て進む。何かの観測機器

  横を通る。

5.断崖下を通る。のり面はコーティングされてい

  る。この先が南側分岐点。

6.南側分岐点から旧道を見る。北側と同じくトラ縞

  模様の柵が設置されている。

 

 

7.八幡トンネル南口が旧道南側分岐点。右に

  向かう狭路が旧道。(0411)

 

 

<<撮影年月の記載が無い写真はすべて2003年4月撮影>>

◆2004年レポート終わり

<<MEMO>>

■概況

 八幡トンネル旧道は電線が通っていることもあり、それらの維持管理のため廃道にならず維持されています。ただ車での通り抜けはできません。徒歩・自転車かバイクでの通行となりますが、基本的には通行禁止なので、あくまでも”自己責任”での通行ということになります。

 路面の舗装がきれいな状態ですが、おそらく南側斜面で行われたのり面工事の際にきれいに舗装されたと思われます。R16

9は何度も走る道なので八幡トンネルも何回も通り抜けていますが、旧道は平16年(2004年)秋以来走っていません。現道から見る限りではほとんど変化ないものと思われます。

●走行DATA

八幡トンネル旧道

【北→南方向を走行】

>>走行日:平成15年(2003年)4月10日/平成16年(2004年)11月3日

【八幡トンネル旧道終わり】

国道169号線柏木地区旧道

 吉野郡川上村上多古地区を抜けると、R169は吉野川に沿って南に向かう。上多古地区の集落を抜けて左カーブを曲がり上多古川を渡ると、柏木集落の脇を通り抜けて柏木トンネルを抜けると谷間に入り大迫ダムに向かう。この柏木地区〜柏木トンネルにかけての区間はバイパス道路とな る。

 昭和52年(1976年)撮影の空中撮影写真には、柏木トンネル以北(吉野町寄り)の柏木集落をパスするバイパス道路が確認できるので、この頃までにバイパス道路の半分以上は開通していたことになる。 その後、昭和60年(1985年)12月末の柏木トンネル開通により現在の経路がR169となった。旧道は柏木集落内を経由し、現道を横切り吉野川に沿って進み、最後は現在喫茶店の敷地となっている場所を通っていた。

 現在も柏木集落内の旧道は健在ではあるが、柏木トンネルの旧道は土砂崩れにより通り抜け不可能となっている。かなり以前に土砂崩れが起きたものの、復旧する様子は全くないまま放置状態となっている。

 

参考資料・文章引用元>>川上村史(平成元年刊)

■国道169号線柏木地区旧道【2004年レポート】

>>Update H21(2009).10.01

○国道169号線柏木地区旧道

  【2004年レポート】

【レポートは吉野郡川上村→上北山村方向(北→南方向)です。】

■吉野郡川上村柏木【北側分岐点〜交差点】

 R169は八幡トンネルを出て少し進み上多古地区の集落を抜けた 後、吉野川と上多古川の合流点付近で左カーブを描きながら南に向かう。吉野川対岸の北和田地区への橋を過ぎると吉野郡川上村柏木地区に入る。柏木地区旧道は柏木地区に入った付近で分岐する。2車線道のR169現道から右に分岐する1.5車線道が旧道。かつての東熊野街道の後身に当たる道で、車道に整備されて今日に至る。

 北側(吉野町側)分岐点から旧道に入ると、1〜1.5車線幅の狭路で町中を進む。旧道は地区の生活道路となっていた。町中には昔ながらの建物も多く、旧街道の面影が残っている。200mほど進むと 町が途切れ、左下に2車線道の現道が見えてくる。最後はやや急な狭路坂道を下って、R169現道との交差点に到着する。

1.柏木地区旧道の北側分岐点。この先、右に分

  岐する狭路が旧道。

2. 町中に入る。1.5車線幅の狭路で淡々と進

  んで行く。

3.旧道は生活道路となっていた。旧街道の面影

  が残る。

4.白い建物は柏木郵便局。

  (川上村→吉野町方向を撮影)

5.やがて 町を抜ける。ローカル道らしい光景。

  (川上村→吉野町方向を撮影)

6.やや急な坂道を下ると、R169現道と交差す

  る。

 

 

7.R169現道から見る。左に分かれる坂道が旧

  道。

 

 

<<写真はすべて2004年11月撮影>>

■吉野郡川上村柏木【交差点〜土砂崩れ現場北側】

 旧道は柏木地区集落の南側(下北山村側)でR169現道と交差する。ほんの少しだけ交差するが、旧道は再び右に分岐して現道から別れる。この付近は1.5〜狭い2車線道となっているが、何かの資材置き場のような状態となっていた。幸いにも作業車などはなく通り抜けることが出来た。大きな左カーブを描く道を100mほど進むと、柏木トンネル北口(吉野町寄り抗門)前に至り、現道とクロスして先に進む。典型的なトンネル旧道のパターンをふんでいる。

 現道を車が走っていないことを確認して現道を渡る。旧道入口に『通行止』という看板があったので、進める所まで進んでみることにする。旧道は鬱蒼とした杉林の中を進む1車線狭路となっていた。車の通行量はほとんどないようで、路面一面は落ち葉で覆われていた。見通しの悪い1車線道を進む。トンネル前から300mほど進むと道幅が少し広がるが、それもすぐに終わって道幅は狭くなり、再び1車線狭路となる。そして100mほど進むと民家(木材加工所?)前を通り抜けると、少しだけ道幅が広がる。そしてその先は崩れ落ちてきた土砂や岩石で覆われており通り抜け不可能となっていた。トンネル前から約500mである。

 崩れ落ちた土砂や岩には草木が生い茂っているところをみると、かなり以前に崩落してから放置されたままになっている模様だ。本来ならば廃道になっているであろう旧道なのだが、民家があるため廃道にならずに済んでいるようだ。

8.一度現道と交差するが、すぐに右に別れる。

  すぐ向こうに柏木トンネルが見える。

9.分岐点から旧道を見る。この付近、何かの資

  材置き場兼作業場のようになっていた。

10.山中の旧道ではよくある光景。

  (川上村→吉野町方向を撮影)

11.柏木トンネル北口前で現道と交差する。

  トンネル内から来る車に要注意。

12.現道を横切り旧道入口へ。『通行止』の看板

  があった。

13.旧道は鬱蒼とした杉林の中を進む。路面状態

  はご覧の通り。(川上村→吉野町方向を撮影)

 

14.500mほど進むと民家か作業所の前を通

  る。

15.写真14の先で道は消えていた。かなり以前

  に崩れたまま放置されている模様。

 

<<写真はすべて2004年11月撮影>>

■吉野郡川上村柏木【土砂崩れ現場南側〜柏木トンネル南口】

【この項のみ、レポートは吉野郡上北山村→川上村方向(南→北方向)です。】

 通り抜けできないので旧道を戻り、柏木トンネルを越えてトンネル南口に出る。今度は南側から旧道を走ってみることにした。

 トンネル南口付近は、かなり広いスペースがある。おそらくトンネル工事の時にスペースを確保した名残だろう。そしてトンネル南口の右側に分岐している道が旧道となる。旧道は狭い2車線道ほどの道幅がある。旧道に入ると放置されたままになっている資材や詰め所があった。一時期、何かの作業場として利用されたのだろう。その作業場を過ぎると1車線狭路となり、路面一面落ち葉で覆われた悪路となった。

 作業場から先に進入する車は極めて少ないないようだ。左側は断崖となっており、一応フェンスが張られているのだが、大きな岩がいくつも金網を突き破って落ちてきている。荒れ放題のまま放置されており、事実上廃道となっているようだ。旧道探索ではたまに出くわす光景なのだが、あまり長居したくない場所だ。

 少し進むとアスファルト舗装が見えてきた。場所によっては落ち葉があまり溜まっていない場所もあるようだ。そしてトンネル南口から300mほど進むと土砂崩れ現場に到着。すぐ先には先ほどの民家(作業所?)が見えている。土砂崩れの幅はそう長くはないようだが、徒歩でクリアするのは危険なので引き返した。

 なお、平成21年(2009年)9月に確認したところ、南側旧道分岐点入口は閉鎖されており、進入は不可能となっている。

16.柏木トンネル南口。右に分岐するのが旧道。

  電線が通っている。現在は進入不可能。

17.分岐点すぐの場所。放置された資材や詰め

  所があった。

18.写真17の地点を過ぎるとご覧の状態に・・・。

  フェンスを破って落石が転がる。

19.路面は土砂や落ち葉で埋もれている。

  (川上村→上北山村方向を撮影)

20.ここも土砂崩れの現場。道の半ば付近まで

  土砂が積もっていた。

21.こういう場所があるとホッとする。

  (川上村→上北山村方向を撮影)

22.この付近からはマシになる。道路中央部に

  コケが生えている程度。

23.やがて土砂崩れ現場に到着。南側は事実上

  廃道となっていた。

24.崩落現場の向こうには民家が見えている。

  歩いて通り抜けは大変危険。

<<写真はすべて2004年11月撮影>>

■吉野郡川上村柏木【柏木トンネル南口〜南側分岐点】

 柏木トンネル南口前が旧道の南側分岐点ではなく、R169柏木地区旧道はもう少し続く。柏木トンネル南口から南(上北山村方向)を見ると、現道を斜めに横切った付近から狭路が分岐しているのが見える。この道が旧道の続き。現在は『不洞窟』という洞窟への入口となっているが、路肩に古いタイプの案内標識が立っているので、旧国道であることが分かる。

 道幅は1.5車線幅ほど。少し見通しの悪いクネクネした道で路面状態は良い。というのも、南側分岐点付近は払い下げられたようで、『ホラ!あな』という喫茶店が建っていた。旧道は喫茶店の建物真下にある駐車場を通り抜け、やがて南側分岐点である不洞窟橋南詰に至る。

25.柏木トンネル南口から斜めに旧道は続く。

  ここから向かいの緑色の看板に続く。

26.『不洞窟』入口と書かれた道が旧道で、もう

  少し続く。

27.R169現道との交差点近くの路肩には古いタ

  イプの案内標識が立っている。

28.写真27の拡大。『橿原』と『大和上市』と記さ

  れている。

29.旧道は1.5車線の平坦路。この先の建物に

  向かう。

30.喫茶店の建物下は駐車場となっていた。駐車

  場となった旧道は珍しいのではなかろうか?

 

31.喫茶店を過ぎると現道との合流点に到着す

  る。この付近は払い下げられたのだろう。喫

  茶店への道路だが、実は旧国道。

32.上北山村側から撮影。喫茶店の入口に見え

  るが、不動窟橋南詰で左に分岐するのが旧

  道。

 

<<写真はすべて2004年11月撮影>>

◆2004年レポート終わり

<<MEMO>>

■概況・交通量など

 柏木地区の旧道は、柏木集落内・柏木トンネル・不洞窟付近の3区間に分けられます。うち柏木トンネル旧道だけが通り抜け出来ない状態で、他は通り抜け可能となっています。

 柏木集落内は対向車や歩行者に注意する必要があります。柏木トンネル旧道区間はほとんど通る車はありません。土砂崩れ現場付近にある民家(作業所?)への専用道路と化しているので、走る車はこの民家に向かう車だけでしょう。

 不洞窟付近の旧道は払い下げれたようで、喫茶店の敷地となり、旧道は駐車場の一部となってしまいました。通り抜ける際には喫茶店に出入りするお客と車に注意してください。

 なお土砂崩れ現場ですが、崩れた幅はそう長くはなく、歩いていけばクリアできそうな感じですが、かなり危険なので歩いてクリアしようなどとは思わないように・・・。足場が悪く、崩れて谷底に落ちるという可能性があります。

●走行DATA

柏木地区旧道

【川上村→上北山村方向を走行】

>>走行日:平16年(2004年)11月3日

【柏木地区旧道終わり】

国道169号線大迫ダム旧道

■大迫ダム

 昭和20年(1945年)8月に戦争が終わると、戦後復興のための国土開発構想がうちだされた。昭和22年(1947年)8月に『十津川・紀ノ川総合開発計画』が示されると、農林省(当時)が中心となって調査が行われた。いろいろな候補地があがったが、最終的に昭和24年(1949年)2月になって吉野郡川上村大迫に貯水池(ダム)を建設する計画が立案された。大迫ダムについては、奈良盆地の農業水利に関することから農林省の管轄となった。ちなみに下流に建設された大滝ダムは建設省(当時)の管轄となっている。

 計画が立案されると農林省は現地調査を開始し、昭和27年(1952年)には起工式が実施され、さらに地質調査などの本格的な調査が開始されたが、完成まで一筋縄では行かなかった。詳細は省略するが、昭和34年(1959年)9月の台風15号(伊勢湾台風)による計画変更とそれに対する反対運動、昭和42年(1967年)5月の地滑りの発生による反対運動の激化などで完成は遅れに遅れ、大迫ダムが完成したのは計画が立案されてから約26年後の昭和48年(1973年)6月となった。

■大迫ダムとR169

 大迫ダムによって川上村内の入之波・伯母谷・大迫・北和田・神之谷に渡る地域が水没することになる。それに伴い集落の移転地などが建設されるとともに、各地への道路の付け替えも行われた。R169関連では昭和41年(1966年)から付け替え道路の建設が開始される。

 それまで吉野川沿いに進んでいた明治道に代わり、標高の高い山腹を通る2車線道が建設された。この経緯に関しては詳しい資料がないので推測となるが、昭和44年(1969年)10月にダム本体基礎掘削工事が開始されているので、それまでに少なくともダム本体周辺の付け替え道路の一部完成しているはずである。

 昭和22年(1947年)撮影の空中撮影写真を見ると、川上村柏木地区から吉野川の左岸に沿って白い筋が見えている。今はダム湖の底となっている伯母谷川と吉野川の合流点付近で入之波地区に向かう道路 (現在のr224:県道大台大迫線の前身)が分岐し、R169(当時は県道上市木ノ本線)の道筋となる白い線が伯母峰峠に向かって南西に向かっている。その後、ウネウネと斜面を上って伯母峰峠へと向かっている。この道筋がそのまま国道指定されてR169となったはずで、伯母谷川沿いが上ってくる現在のr224は旧道ではない。このことは過去に発行された地形図でも確認できる。

 現在の旧道であるが、大迫ダム北側(吉野寄り)はダムに向かう道路として残っており通行可能である。ところがダム南側(上北山村寄り)の旧道は見あたらない。旧道のほとんどが大迫ダム湖の湖底に沈んでしまったこともあるが、現在発行されている地形図にも記されていないことからも、廃道となり自然に還ったものと思われる。

関連ページ>>地図で見るR169大迫ダム旧道

参考資料・文章引用元>>川上村史(平成元年刊)

■国道169号線大迫ダム旧道【2001年レポート】

国道169号線大迫ダム旧道【2009年レポート】

>>Update H22(2010).03.23

○国道169号線大迫ダム旧道

  【2001年レポート】

 大滝ダムの上流にあるのが大迫ダム。このダムも谷深い吉野川を堰き止めて建設たダムだ。吉野川沿いに進んでい た明治時代からの道路であるR169(東熊野街道)は、このダム湖の底に沈んでいる。

 R169は大迫ダムの手前から急勾配の坂道となる。その坂の途中から ダム前に向かう道が分岐している。案内などはなく見落としやすい分岐点だ。R169から分かれて吉野川沿いの1.5車線道を1kmほど進むと、大迫ダム事務所前に到着。この先はダム本体となっており道自体が消滅していた。この道路 が旧道なのか工事用道路なのかは不明だが、周辺にはこの道路しかないので、おそらく旧道の後身ではないかと思われる。

 大迫ダム横にあるR169現道とr224(県道大台大迫線)分岐点には、もう一本道路が分かれている。正確に書けば、かつて道路だった道だ。その道は緩やかな勾配の坂道で、そのままダム湖の底に向かっていた。途中でゲートが設置されており廃棄された状態となっているが、おそらくはダム本体建設時に使われた川岸の旧道との連絡道路(迂回路)の跡だと思われる。ダム周辺の道路の痕跡はこのぐらいで、大迫ダム南側(熊野側)の旧道は不明である。

1.R169 現道から大迫ダム事務所への道路入

  口。この付近からR169旧道が分岐していた

  のだろうか?(0105)

2.吉野川沿いの1.5車線道を淡々と進んで行く

  と、やがてダム本体前に到着する。この付近

  は旧道を拡幅したのだろうか?(0105)

3.やがて行き止まる。ここから先はダム湖の底に

  沈んでしまった。この付近の旧道は、ダム建設

  時に消滅してしまったのだろう。(0105)

4.ダム下流方向をダム上から見る。写真左側の

  道が旧道。(0503)

5.現在のR169とr224分岐点。両道路の間に

  使われていない道路がある。(0503)

6.その道はダム湖に下って行くが廃棄されてい

  た。おそらく建設時の迂回路だろう。(0503)

*以前のレポートを修正・訂正し、写真を差し替えて再掲載しています。

◆2001年レポート終わり

○国道169号線大迫ダム旧道

  平成21年(2009年)レポート

 過去に撮影された航空撮影写真や発行された地形図などを見たところ、どうやら旧道は伯母谷川と北股川の合流点付近から急カーブの連続する急坂で尾根に向かっていたようだ。今のR169は、大迫ダム横を過ぎると急カーブが連続する2車線道でウネウネと進んで行き、やがて羽衣トンネルで尾根の南東斜面に出る。トンネルを出たところで、右に向かって急カーブしており、後はウネウネしながら標高を上げて行き、伯母谷川沿いから上がってきたr224との交差点を過ぎて伯母谷道路に向かう。

 大迫ダム旧道の南側(熊野側)分岐点を推測すると、旧道は尾根の南東斜面を通っていたことになるので、北(吉野方面)から南下してきたR169現道が南東斜面に出る付近、つまりは羽衣トンネル南口付近ということになる。ここより南、r224交差点までの間には伯母谷川沿いから上がってくる道路(もしくは廃道)は見あたらないので、トンネル南口付近で合流していた可能性が高いので、羽衣トンネルを訪れて付近を調べてみた。

■大迫ダム旧道【羽衣トンネル南口付近】

 R169現道の羽衣トンネル南口を出ると、道は急な右カーブを描いて曲がってR169伯母谷道路へと向かう。 トンネル南口のすぐ左側は整地された広場となっていた。以前は資材置き場か重機置き場だったように記憶しているが、最近撤去したのだろうか、今は資材や重機の姿はない。

 道路の痕跡らしいものがないか探してみると、敷地の奥に道路らしい痕跡があった。そこから先は整地されておらず、1車線幅ぐらいのダート路が続いていた。揺るやかな坂道を過ぎると、葛折りのカーブを描く急坂ダート路となってダム湖に向かって下って行った。

 上から見ている限り、カーブの先の路面には草木が生えていた。沿道にあった木が大きく成長しており、ダート路の車道部分はかなり狭くなっていた。その先には平地になっているが、この付近まで水が上昇してくることはないようなので、疎らながら木々が成長して徐々に森林に変移しつつある。その辺りまで下って行けるようだったのだが、一人で歩いて行くのは危険ではないかという不安からカーブの手前で引き返している。m(_ _)m

 過去の地形図だと、旧道はそのまま直進して山の斜面に沿ってダム本体方向に向かうはずなのだが、カーブの所で道が途切れていた。廃道となった後に何らかの理由で、道ごと山の斜面を削ってしまったのだろうか?

 羽衣トンネル南口からダート路が分岐いていたことが分かったのだが、この道が旧道であるかどうかははっきり しない。大迫ダムの関連工事のために建設された工事用道路の可能性もある。新しい工事用道路をわざわざ建設するのは二度手間なので、旧道を元にして整備された工事用道路なのかもしれない。

1.羽衣トンネル南口。南口横に広い敷地があ

  る。柵が設けられている。

2.資材置き場だったように記憶している。旧道

  の痕跡は何もない。奥に進んでみる。

3.敷地奥まで来ると、一段下がってダート路が

  始まっていた。

4.坂の途中からR169方向を見る。こう見るとダ

  ート路そのもの。

5.坂の途中からダム湖方向を見る。1車線ダー

  ト路が続き、この先で急カーブを描く。

6.路は右下に続くが、草木に覆われて自然に還

  りつつあった。

 

 

7.ダート路が続く先は平地となり森になりつつ

  あった。この先の状態は不明。

 

 

<<写真はすべて平成21年(2009年)9月撮影>>

◆平成21年(2009年)レポート終わり

<<MEMO>>

 大迫ダムはかなり前に完成したダムです。それゆえ旧道の痕跡はあまり残っていません。入之波温泉に向かうr224が分岐する付近に、連絡道路らしき道(すでに廃道)の痕跡がある程度です。

 ダム北側(下流側)の道は、おそらく旧道を拡幅して出来た道でしょう。しかしダム南側(上流側)の旧道ルートは ほとんど消失しています。ダム南側の旧道は吉野川左岸〜伯母谷川左岸を急坂で斜面を上がって、R169現道の羽衣トンネル南口付近に出ていたと思われます。羽衣トンネル南口〜r224交差点の間のどこかに出ていた可能性もありますが、現在走る限りではこの区間に旧道の痕跡は見られません。

 羽衣トンネル南口付近の分岐点付近の旧道は、廃道後に別の工事(ダム関連の工事か伯母谷道路関連の工事か?)のための資材置き場か何かに転用されたと思われます。旧道を含めて平地にして土地を作ったのでしょう。なので分岐点そのものは無くなっていますが、少し奥に行くと道路の跡が認められます。

 この道路の他に旧道の痕跡が見つからない(見つけられない・・・)以上、今回の羽衣トンネル南口から分岐しているダート路が旧道であると思われます。確定できないのは、道が途切れているのと工事用道路に整備されたためで、推測の域から脱し切れていないためです。機会があれば現地調査を実施し、もう少し資料を探してみます。(平22年2月記事修正)

●走行DATA

大迫ダム旧道(北側)

【起点→終点方向を走行】

>>走行日:平13年(2001年)5月12日/平17年(2005年)3月31日/他

大迫ダム旧道(南側)

>>走行日:平成21年(2009年)9月24日

注意>>使用写真の撮影日のみを記載しています。

【大迫ダム旧道終わり】

>>国道169号線旧道(4)

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