奈良県吉野郡川上村と上北山村の境にあるのが伯母峰峠。

かつての東熊野街道の難所であり、昔は徒歩でこの峠を越えていました。

妖怪『一本だたら』の伝承が残るこの峠を、

現在のR169は新伯母峯トンネルで通り抜けています。

『新』と付くからには先代となる旧トンネルが存在するのですが、

そこには一つ大きな謎がありました。

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伯母峯隧道の謎 その2

伯母峯隧道の謎に関するメール

 【2003年12月06日 Update】 

伯母峯隧道の謎 その2

 現在の『新伯母峯トンネル』は1963年(昭38年)7月に貫通。1966年(昭41年)1月に完成・供用開始されました。それによって先代TNとなる『伯母峯隧道』はその役目を終えて静かに引退。トンネル自体が廃止されてしまったようです。

 手元にある1972年(昭47年)発行の地図には伯母峯隧道は記載されていますが、現在の市販されている大半の地図はもとより、国土地理院発行の地図にも伯母峯隧道が記載されていないところを見ると、新伯母峯トンネル開通後、数年後に伯母峯隧道は完全に廃棄されたようです。トンネル自体は現在でも残っていますが、写真を見てお分かりのとおり、トンネル内部は土砂で完全に埋まっており、南側(熊野側)抗口には金網が張られて閉鎖されています。通行することはもはや不可能となっています。

 ところがここに1つの大きな問題が・・・。トンネルの北側(吉野側)抗口の姿が見あたらないのです。なぜないのか、そしてどこにあったのか?その謎を解明するには、現地に赴くのが一番てっとりばやいということで、2001年10月に初調査。その結果、謎は更に深まりました・・・(^^;)

(TN開通の年数などは上北山村HPの年表によります)

○第三次現地調査(2003年11月18日)

■やっとこさ・・・(^^;)

 2002年11月にmorilinさんから頂いたメールは大変貴重な情報となりました。

>足元に土の間から姿を覗かせているそれは明らかに長方形をしており、材質もただの岩石ではなくコンクリートのよう

>でしたが、苔むした上に土砂と茂みが覆い被さって、余程注意して見ないと気付かないほどに自然と一体化していまし

>た。その長方形の構造物は、階段状に2段連なった形になっているようでした。(一部抜粋)

 この情報を元に、現地への取材を計画したのですが、頂いた直後にr40(県道大台ヶ原川上線)は冬期通行止めとなり2003年に持ち越しとなりました。

 翌2003年4月中旬頃よりr40は通行可能になりました。しかしながら伯母峯隧道よりも大滝ダムの取材に没頭してしまい時期を逃してしまいました。夏は草木が生い茂りかき分けて取材するのは得策ではないとしてパス。9〜10月は仕事の出張で現地に訪れる時間が取れなかったため、訪れる機会がないまま秋を迎えることになりました。

 2003年10月で大滝ダムの取材は一段落したので、やっと伯母峯隧道の調査をすることにします。2003年のr40(大台ヶ原ドライブウェイ)の冬期通行止め開始は12月1日から。それまでに現地に行って調査しようと計画を立て11月中旬にようやく現地を訪れることが出来ました。

■現地到着

 この日の14時前、KSRUで現地に到着します。まずは大台口TNまで上り、そこからR169に向かって下り始めます。第一次調査で見つけた旧旧道の遺跡を確認。そこから200mほど下ると緩やかな右カーブ(R169方向からの上りだと左カーブ)に到着しました。ここがmorilinさんのメールに書いてあった場所のようです。写真1がその現場。道路を横断する排水溝が目印です。この横のガードレールには『22』と書かれたプレートがありました。工事関係車対象のプレートでしょう。

 現地の道路は緩やかなカーブを描いています。ここに隧道抗口があったとすれば、(R169から上ってくると)旧道は右にカーブして隧道に入っていったと想像できます。今の大台口TNへ入るような感じと思えばいいでしょう。

 その隧道抗口があったと思われる場所が写真2です。ご覧の通り何もございません。

あるのは草木のみで、それらが生い茂っているだけです。時期が秋だったので、ほとんどの草は枯れ木々の葉も枯れて落ちていたので、現地を調べるには問題ない状態だと思います。

 バイクから降りて付近をウロウロして入ることが出来る場所を探します。写真1に写っている電柱の少し手前から山中に入ることが出来ることを確認します。枯れ枝などがあるのでバイクのグローブをはめたまま、プロテクターも付けたままでブッシュへ入って行きまし

1.このカーブ付近の斜面が怪し

  いとのメールがありました。

2.斜面を撮影。もちろん抗口な

  どありません。

た。地面は落ち葉で覆われ、腐葉土と化している場所もあって足下は滑りやすい状態です。安全靴を履いているので多少の枝であれば踏みつけても大丈夫だと分かっていますが、尻もちでもついて枝が刺さると大変なので慎重にルートを選んで草むらをかき分けて進みました。

■謎の構造物

 すぐに山の斜面にぶち当たります。そのまま山の斜面に沿って南に歩くと、すぐにあるモノに気が付きました。それが写真3に写っている石のようなモノです。morilinさんが発見されたのはこれでしょう。

 山の斜面に高さ30cmほどの平たい石のようなモノが横たわっています。埋もれているというのが的確でしょう。露出している面はコケがこびり付いており、上面には土砂・腐葉土が積もって草木が生えています。10年やそこらで出来上がるものではありません。少なくても30年は経過しているような状態です。

 さてこのモノ、天然物なのか人工物なのか分かりません。もし岩石だとして、岩石の割れ方や浸食の仕方などによってはこんな形になることもあるでしょう。しかし、どうみても角が整然とし過ぎています。これは人工物と考えて良いでしょう。

 露出しているのは角の一部分だけでほとんどの部分は草木に埋もれてしまっています。かなりの年月が経ったため土砂に埋もれてしまったと言う方が正確でしょう。よく見てみると、この構造物はそのまま奥に向かって続いているようです。5mほどはどうにか判別できるのですが、途中から完全に土砂というか草木に埋もれてしまい、どこまで続いているのか不明です。

3.林の中に突然姿を現した謎の構造物。天

  然物としては角が整然としています。平べ

  ったい岩石としても少し不自然です。

4.露出している面はコケで一面覆われてい

  ます。角の状態から人工物の可能性が高

  いようです。

5.面の拡大写真。ご覧の通りコケや草木が生

  えています。どうみても10年やそこらでこう

  なったとは思えません。

6.緑色の壁が面となって段となっている。緑

  色の壁はコケの生えた露出部分。

7.写真6の反対方向を撮影。なんとなく続い

  ているのがお分かりでしょうか?

8.写真7に線を入れました。こんな感じで続い

  ており、先の木の付近で判読不可能に。

■散乱する痕跡

 謎の構造物の端を求めて草むらを進んで行きます。やがて構造物は土砂に埋もれて分からなくなってしまいました。付近は草木で覆われておりこれ以上は地面を掘り起こさないことには分かりません。で、別角度から構造物を見てみようと草木をかき分けて向こう側に出ると、驚くべき物がありました。

 コンクリートの破片です。それもかなり大きなコンクリート片がざっと見ただけでも4個ほど無造作に転がっています。断面や表面の状態から、明らかにコンクリートであることが分かります。周囲にはコンクリートを作る際に混ぜられた小さな石も転がっています。割れた時に飛び散ったのでしょうか?

 右写真を見てもお分かりのように、どれも表面にはコケが付着しており、土砂や腐葉土に埋もれている物もあります。10年前ぐらいに不法投棄されてものではありません。かなり長い間、ここにあったものなのです。

 先ほどの構造物からの距離は約5mぐらい。そんなに離れてはいません。コンクリート片群からは、構造物は草木に隠れて全く見えませんが、延長線上に散らばっているものと推察されます。

 この他にも、埋もれているモノもあるのでしょうけど、斜面を掘り返すわけにはいかないので、現在確認できるモノだけを調査して行くことにしました。

 左写真は別角度から撮影した現場。説明しやすいように、特に目立つ3片には番号を付けました。以下はそれの説明です。

●コンクリート片@

 近くで撮影したのが写真1です。幅約40cm、高さ約30cm、長さ約1mほどの柱の形をした長方形型の塊です。ご覧の通り、明らかにコンクリート製の人工物であることが分かります。面にはコケが生えているので、かなりの年月が経っていることが分かります。

 この裏側は突起のようにコンクリートが飛び出ていたので、壁の一部だったようです。斜面に合ったのものが、斜面の崩落で崩れ落ちてこの位置に来たのでしょうか。この破片の回りには、大小様々のコンクリート片が埋もれていました。

1.近くから撮影した写真。断面から人工物

  であると判断。付近にもコンクリート片が

  埋もれている。

2.写真1の反対側から撮影。反対側の面は

  不整形で突起のようなものがある。こちら

  側はコケで覆われている。

3.すぐ近くの別の場所に、同じような形をした

  コンクリートが埋もれていた。木の根の状態

  から年月が経過しているものと思われる。

●コンクリート片A

 昔のコンクリートは、作る時に大きな石を混ぜて作っていたのでしょうか。それはともあれ、これは明らかにコンクリートの塊です。含まれている石の大きさとコケの付着具合から考えると、別々のコンクリート塊がひっついているように見えます。

 崩れてこうなったのか、崩れる前から別々のコンクリート塊が重なっていた(ひっついていた)のかは分かりません。断面を見ていると、コンクリート片Bと一体だったようにも思えてきます。

●コンクリート片B

 三日月型をしたコンクリート片です。面には二本の筋が入っているので、間違いなく人工物であることが分かります。

これには一面ではなく、端(縁)の方にコケが付着していました。他のモノと同様、かなりの年月が経過しているものと思われます。表面と塊の底の方のコンクリートは少し材質が違っているように見え、一番表層の部分が壁の一部分をなしていたようにも見えてきます。

 このコンクリート片の後方に注目すると、気になる状態になっていました。写真5を見るとお分かりの通り、塊の後ろにある斜面は土で覆われておらず、草木の根が丸見えとなっています。そして最上部が「傘」とうか「ひさし」のように突き出ています。写真6の角度から見るとよく分かります。@の部分がそれ。

 土がこのような不自然な状態のまま草木が育つことは考えられません。木の重みに耐えかねて崩落するはずです。コンクリート片の位置から考えて、コンクリ片Bはもともとは写真6の@の下にある部分にあって、ある時に崩壊したのではないかと推察しました。

 コンクリート片@だけがあったとは考えられないので、この一帯に散乱しているコンクリート片がここにあったのかも知れません。

4.三日月型のコンクリート片。どうみてもコン

  クリートの塊に見えます。

5.コンクリート片Bを下側から見ると、向こう

  の斜面が不自然に見えませんか?

6.横から見るとはっきりします。@の部分が

  大変不自然。ここに塊があったのかも・・・

>>伯母峰隧道の謎 その2 続く

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