広橋峠明治新道 |
■広橋峠明治新道【2008年レポート】 |
○広橋峠明治新道 【2008年レポート】 |
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【レポートは黒滝村→下市町方向(南→北方向)です。】 |
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■黒滝側分岐点〜登石トンネル |
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旧道を広橋峠から黒滝村方向に下り、最初に現R309(広橋バイパス)と接する所に一部だけ残っている旧道がある。切り取られたように残る旧道なのだが、その途中から1車線狭路の道が分かれている。この道が明治新道。ここから広瀬谷まで長谷川沿いに進んでいる。国土地理院の地図にも点線で記されている。 1車線狭路の短い坂道を下ると、冷水橋という小さな橋で長谷川を渡って左岸に出る。ここからは平坦な1車線狭路で川沿いに進んで行く。路面は舗装されてはいるが、荒れ放題であちこち舗装がはがれており草木で覆われ土砂が積もりダート道のような状態になっている。広橋峠を経て下市町岩森に向かう現役車道としての役割は大正新道開通で終わってしまい、あとは広瀬谷集落に向かう生活道路として余生を送っていたのだろう。今は生活道路としての役割もなくなり、沿道にある田畑への農作業と電線の維持管理道路となっているようだ。 最初はコンクリ路面も見えていたが、しばらく進むと落石が混じる落ち葉で覆われてしまいダートに近い状態になっている。かつての丹生天川街道の面影を最も色濃く残っている区間だ。狭路は長谷川沿いにカーブを描きながら進み、1kmほどでR309登石トンネル北側に出る。 |
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<<写真はすべて2008年3月撮影>> |
■登石トンネル付近 |
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トンネル前でR309現道(広橋バイパス)を横切ってからも長谷川に沿って緩やかなカーブを描いて進んで行く。R309現道上から長谷川を挟んだ向かい側を進むのだが、しばらく行くと農家が勝手に作ったであろう壁で遮られてしまい通行できなくなっていた。道はダートの農作業道のような状態の平坦な1車線狭路が続く。 注)この区間についてはR309上から見ただけで走行していません。 |
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<<写真はすべて2008年3月撮影>> |
■R309接点〜庄屋辻 |
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登石トンネルを出てR309現道を下市市街方面に少し進むと右側にセンターラインのない2車線道が分岐する。広瀬谷や中村地区に向かう町道なのだが、この道が明治新道の今の姿となる。道的には先ほど壁で遮られた狭路の続きとなる。 R309との接点からはアスファルト舗装の2車線道として広瀬谷に向かっている。長谷川を挟んですぐ左側にR309広橋バイパスを見ながら進む。広橋トンネル南側抗口横を過ぎるとのんびりした山間の集落内に入る。ほどなくしてセンターラインのある2車線道と1.5車線道との分岐点に至る。明治新道は左に別れる1.5車線狭路に進む。 分岐点から30mほどで庄屋辻(塩屋辻)に到着。かつての丹生天川街道と洞川に向かう山上参り道の辻である。ここには今も道標が残っている。道はアスファルト舗装の道路となってしまったので、往事の面影を残すのは道標だけとなっている。 |
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<<写真はすべて2008年3月撮影>> |
■庄屋辻〜広橋峠 |
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庄屋辻を左に向かうと、明治新道は1.5車線幅の狭路坂道となって広橋峠に向かう。最初は緩やかな坂道なのだが進むにつれて勾配は徐々に急になる。峠にある元小学校の建物が見えてくると峠も近い。最後の急勾配の坂道を上りきると広橋峠に到着する。広橋峠でR309旧道(大正新道)と合流する。 かつての丹生天川街道の広橋峠は、現在の広橋峠とは別の場所にあったと大和下市史に記されている。つまりは今の峠から別ルートがあったものと推察される。下調べなして突発的に走ったため、このことを知ったのは帰宅後に資料を読んでからのこと。峠付近の道筋については機会があれば調査する予定である。 |
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<<写真はすべて2008年3月撮影>> |
■大杉バス停〜乳谷口バス停 |
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峠北側で明治新道が現れるのは広橋峠北側にある大杉バス停付近からとなる。広橋峠からここのまでの明治新道(丹生天川街道)の道筋は大正新道と重複していると思い、ここまでは大正新道を経由して移動している。 峠からR309旧旧道(大正新道)を少し下ると集落内にある大杉バス停に至る。写真25が明治新道分岐点。峠から見てみると、真ん中のR309旧旧道(大正新道)の両側に狭路坂道が分岐している。左側に分岐して麓に向かう狭路坂道が明治新道。反対側の右側の上り狭路坂道はかつての丹生天川街道(山上参り街道)の道筋に当たるそうで、この道筋が峠からここまでの明治新道なのかもしれない。 分岐点を過ぎると1.2車線幅ぐらいの狭路坂道となって山腹を下って行く。急勾配の坂道を少し下ると左側に広橋梅林が広がる。シーズン中は梅見の観光客で混雑するのだろう。梅林を過ぎるとコンクリートの簡易舗装の狭路坂道となる。山腹を下るので展望はすこぶる良いのだが、一部にガードレールのない箇所もあり油断は出来ない。今の明治新道は斜面に建つ民家の生活道路となっている狭路坂道なので道路自体は整備されている 急勾配の坂道を下る。所々にはR308暗峠並の急勾配坂道があったりする。今でも行き来は大変なのだが、大正新道開通までの間、この急勾配の坂道を人や荷車、牛馬が行き交ったというが、その苦労は大変なものであっただろう。 やがて左下にR309旧旧道(大正新道)が見えてきた。そして大杉バス停から約1.2kmで、旧旧道との交差点となる乳谷口バス停前に到着する。 |
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<<写真はすべて2008年3月撮影>> |
■乳谷口バス停〜下市町側分岐点 |
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乳谷口バス停の交差点からも1車線狭路坂道が続く。少し下って集落への細い道が分岐すると、薄暗い杉林の中を行くようになる。相変わらずコンクリ舗装の急坂が続く。見通しの悪いカーブのある区間で、路面はコケが生えたり落ち葉がたまっていたりする。通行する車はほとんどないようだ。 杉林を抜けると左下にR309現道が見えてくる。昔はここも杉林の中だったのだろうが、道路建設で山肌が削られたようだ。再び杉林の中に入るが、すぐ向こうには工場の建物が見えている。建物がなく杉林の中であれば旧街道の面影が濃く残る場所になったであろう。 杉林を抜けると岩森の町中に入る。民家の軒先をかすめながら、町中の生活道路のような狭路を進むとR309旧道(大正新道)との分岐点に到着した。乳谷口バス停から約800mである。 |
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<<写真はすべて2008年3月撮影>> |
<<MEMO>> |
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■広橋峠前後の明治新道 明治新道の調査は突発的に行ったため、各資料で知ったことだけを頼りに走行しています。大凡ではトレースしていると思います。ただ広橋峠前後のルートはよくわからないため、平20年(2008年)3月の調査時は調べていません。と言うよりも拡幅されて大正新道になったと思っていました。 『大和下市史』や『黒滝村史』によると、広橋峠前後の丹生天川街道(山上参り街道)の古道ルートは、写真25の地点にある右側の狭路に向かい、今の広橋峠より北側からアプローチしていたようです。元小学校の北側に古道の(旧)広橋峠があったようです。その狭路(山上参り街道の一つ)はそのまま尾根づたいに地蔵峠方面に向かっているようで、航空撮影写真にもその道筋がハッキリと写っています。機会があれば、広橋峠前後の区間を再度調査してきます。 ■概況 今の明治新道は一部に通行不可能な区間があるものの、道路自体は現存しており容易にルートを確認できます。たいていの場合、明治時代の古道は廃道同然となり自然に返っていることが多いなか、広橋峠の明治時代の道が舗装されたとはいえ現役 (実際はほとんど通行のない)道路として残っているのは貴重だと思います。明治・大正・昭和そして平成と4世代の道路が残るのも珍しいことかと。広橋峠の場合は、沿道に民家が数軒あるのと梅林があることが消えずに済んだ要因に挙げられるでしょう。 大杉バス停〜乳谷口バス停間は梅林へ向かう道だと知っていたので心配なく突入しましたが、乳谷口バス停から岩森方面に下る時は、いつ廃道となり引き返すことになるかと思って走っていました。予想に反してすんなりとクリアできたのでホッとした次第です。 ■アドバイス 交通量はほとんどありません。地元車ぐらいです。道として通行できるのは広瀬谷〜広橋峠〜岩森間となります。そのうち広瀬谷〜広橋峠は車の通行可能ですが、峠北側の大杉バス停〜乳谷口バス停〜岩森間は急勾配の狭路が延々と続くので車での走行はやめた方がよいです。脱輪したり事故を起こせば地元の方に迷惑になるので控えましょう。徒歩で上り下りするのが無難なところです。 ■注意点 冬期は路面凍結・積雪があるので走らない方がよいです。悪天候時もやめた方がよいです。 梅の花が咲く頃は観光客に要注意です。 |
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●走行DATA |
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広橋峠明治新道 【黒滝村→下市町方向を走行】 >>走行日:2008年3月 13日 |
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【広橋峠明治新道終わり】 |