国道309号線旧道(3) |
■戸毛バイパス旧道 ■水越峠旧道 |
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●戸毛バイパス旧道旧道 奈良県御所市戸毛(とうげ)〜吉野郡大淀町今木の区間にあるR309戸毛バイパスは、2000年(平12年)3月末に全線供用開始されたR309のバイパス。JR和歌山線の西側を整備された快適な2車線道で進んでおり、今ではこちらがR309として指定されている。 バイパス開通前の旧道は、JRの東側、葛城側東岸に広がる町中を通っていた。 |
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>>国道309号線戸毛BP旧道【概説】 >>国道309号線戸毛BP旧道【2001年レポート】 >>国道309号線戸毛BP旧道【2007年レポート】 |
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>>Update 2009.01.29 |
○国道309号線戸毛BP旧道 【概説】 |
御所市東南部の戸毛(とうげ)〜奉膳(ぶんぜ)地区は、下市街道と中街道の交わる町として栄えた。下市街道は御所と下市を結ぶ御所と吉野を結ぶ街道の一つで、戸毛で和歌山と奈良を結ぶ中街道と合流し、町中を通って奉膳で別れて東南方向へ向かっていた。 両街道はそのまま県道として指定され、下市街道は県道富田林下市線(注1)の一部に、中街道は県道五條高取線(r120)となった。県道富田林下市線は1970年(昭45年)4月に国道309号に指定され、以来町中を経由する狭路が国道となっていた。 しかし町中を通る狭路では交通量の増加に対処しきれなくなり、町の西側、JR和歌山線の西側に整備された2車線道が建設され、奉膳までの部分供用の後(いつ頃かは不明)、2000年(平12年)3月にR309戸毛バイパスとして全通している。これにより町中を通る狭路は旧道となった。
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注1:県道富田林大淀線と記述しているものもありますが、ここでは県道富田林下市線と記しておきます。 |
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参考資料>>『大淀町史』(昭48年刊)、『御所市史』(昭40年刊) |
【2001年レポート】 |
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【レポートは御所市戸毛→大淀町今木方向(北→南方向)です。】 |
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R24から大淀町方面に走り、大口峠を越すと2車線の快適な区間に入る。JR和歌山線西側を通るこの区間は戸毛BPというR309BP。BP部分供用開始後もしばらくの間は、末端区間は工事中でJRと近鉄を越した奉膳付近で終わりR309本線に合流していたが、2000年4月に走ると残る区間も完成しており、戸毛BPは全線供用開始されていた。 このBPの旧道がJR和歌山線を挟んで東側 の町中を走る道。R24から来ると、R309BPに入る右カーブから別れて直進する道が旧道である。 JR和歌山線の踏切を越えるとすぐにr120(県道五條高取線)が分岐するT字交差点へ着く。ここを右折してJRに沿って南下する。集落内を通過する区間は1.5車線幅の街道筋の道。昔の面影を残す街並みを過ぎると、近鉄吉野線をくぐり奉膳交差点に至る。ここでR309戸毛BPと交差するが、入口はR24方向のみである。奉膳交差点を過ぎると2車線区間となりしばらく走ると 吉野郡大淀町に入り、今木北交差点でR309本道と合流する。全長約3kmの旧道であった。 |
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<<撮影年月の記載が無い写真はすべて1999年12月撮影>> |
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◆2001年レポ終わり |
○国道309号線戸毛バイパス旧道 |
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【レポートは大淀町今木→御所市戸毛方向(南→北方向)です。】 |
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吉野郡大淀町今木にある今木北交差点で左に分岐するのが旧道。かつてはカーブを描いていた。旧道に入るとセンターラインのある2車線道となって進んで行く。400mほど進むと御所市に入り、さらに300mほど進むと戸毛バイパスをアンダーパスする。バイパスからの側道との奉膳交差点を過ぎるとすぐにr120(県道五條高取線)が左斜め後ろから合流してくる。その先からは1.5車線狭路になり、徐々に旧道らしくなる。 近鉄吉野口駅前を経由するr215(県道古瀬小殿線)との分岐点を過ぎると曽我川に沿って進み、近鉄吉野線のガードを過ぎてしばらく進むと戸毛地区の町中に入る。町中は1.5車線狭路道なのだが、生活道路となっていることもあって交通量は意外と多い。この付近の道は中街道の後身。もっと遡れば”巨勢路”と呼ばれた由緒ある道筋にあたる。”旧街道沿いの町”という感じの町中を抜けて、葛公民館前で左折するとJR和歌山線を越えてR309現道と合流する。 |
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<<写真はすべて2007年1月撮影>> |
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◆2007年レポ終わり |
<<MEMO>> |
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■概況・交通量など 御所と大淀を結ぶという役目はバイパスに譲り、今は生活道路となっています。町中の区間はr120(県道五條高取線)になっているようですが、地図を見ると現役のR309と記されています。バイパスが全通しているので、ここでは旧道として扱っています。なおR309標識は3枚確認しました。 町中を通る生活道路となっています。交通量も多く、また歩行者なども多いので走行時は注意して下さい。 |
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●走行DATA |
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R309戸毛BP旧道 【御所市戸毛→大淀町今木方向を走行】 >>走行日:1999年12月4日/2001年3月19日/他 |
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【大淀町今木→御所市戸毛方向を走行】 >>走行日:2007年1月16日/他 |
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注意>>この区間は現役時代含めて走行方向問わず頻繁に走行しています。走行日は使用写真の撮影日のみを記載しています。 |
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【R309戸毛BP旧道 終わり】 |
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水越峠は奈良県と大阪府の府県境に位置する峠。金剛山地の鞍部ということで、江戸時代くから峠を越える街道が通っていた。 当然車道も同じ鞍部を通るように建設されたが、峠から東側すなわち奈良県側は急勾配・急カーブが連続する狭路坂道であったため通行困難な峠道であった。その状態を解消すべく建設されたのが水越トンネル。1997年にトンネルが開通したことで峠を越えるルートは旧道となった。
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>>国道309号線水越峠旧道【概説】 >>国道309号線水越峠旧道【2001年レポート】 >>国道309号線水越峠旧道【2005年レポート】 >>国道309号線水越峠旧道【2007年レポート】 |
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>>Update 2009.01.29 |
○国道309号線水越峠旧道 【概説】 |
◆R309富田林〜御所間の先祖は『水越街道』か『富田林街道』か? 大阪府と奈良県の境にある水越峠は、金剛山地の鞍部に当たり、古来より富田林と御所を結ぶ街道の通り道となっていた。 江戸時代、水越峠を越えていたのは「水越街道」と呼ばれる街道で、現在の南河内郡千早赤阪村森屋で千早街道から分岐して水越峠を越え、現在の御所市名柄で下街道に合流していた。江戸時代は「富田林街道」ではなかったのである。 明治時代に入り全国的に街道の整備・改修が始まると、富田林村(現:富田林市)、中村(現:河南町)、千早村、赤阪村(ともに現:千早赤阪村)などの河南地区の村々から街道(道路)改修の請願書が出されるに至った。ただこの時に対象とした街道は富田林から千早峠を越えて五條に至る「千早街道」であった。 水越峠の話から少しそれるが、この千早街道は現在の堺市北区長曽根町付近で竹内街道から別れ、堺市美原区平尾地区に至り、ここから貴志方面に向かう街道(一説にはこちらが竹内街道と言われる)を分岐してから、現在の富田林市寺内町に向かっていた。現在のr35(府道堺富田林線)とr32(府道美原太子線)の一部がこのルートにあたる。寺内町で東高野街道(現:R170旧道)と交差してからは石川を渡り、現在の富田林市南大伴町、南河内郡河南町神山を経て千早赤阪村森屋に至り、さらに千早地区経由で千早峠を越えて五條へ向かっていた。当時の千早村は富田林よりも五條と繋がりが強かったので、千早街道の方が主要街道だったようである。 話をもどす。大阪府では1892年(明治25年)度から、この千早街道のうち東高野街道交差点以西を富田林街道と呼ぶことにした。街道を2つに分けて富田林街道を府道に、東高野街道交差点以東の千早街道を郡道にしたのである。府道と郡道とでは補助金額の割合が違うため、沿線の各村では連合して補助金額の割合を高めるよう運動を起こした。 話が前にもどるが、1891年(明治24年)に大阪府の府会郡部会で、大阪府下にある25街道を府道として認めるようとの更正案を作成するよう提案している。この25街道の中にやっと「水越街道」が出てくる。水越街道は先述の通り、森屋〜水越峠〜名柄間の街道であるが、この更正案ではこの水越街道に千早赤阪村森屋〜富田林寺内町間の千早街道と富田林街道を合わせて「水越街道」としていた。 千早街道(富田林街道)、水越街道などの建設費補助割合の増大というのが沿道各村の悲願であったため、各村々はいろんな方法で割合の増大を請願することになる。詳細はここでは省略するが、最終的には内務大 臣に大阪府知事と警部長の更迭を求めるまでに至り、知事と府会の対立にまで発展したそうである。そのような騒動があった中、大阪府は最終的に富田林から水越峠までの区間については補助割合の低い地方費支弁で 改修を行うことを土木局(現在の国交省?)に上申した。 土木局では水越街道の東半分を管轄する奈良県に照会する。奈良県は当時建設中(予定)の鉄道が将来開通した場合に、交通運輸の変動があることを予想して、水越街道を仮定県道に編入することにしていた。水越街道東側の奈良県内が仮定県道なのに、西側の大阪府内が郡道であるのはなにかとまずいのか、大阪府側も折れたようで、結局は富田林から水越峠の間を府道として編入することに決めた。この時、富田林から水越峠に至る街道(千早街道〜水越街道)が「富田林街道」として編入されて仮定県道(府道?)になった。 千早赤阪村内のR309を『富田林街道』と記している市販の地図があるが、それはこういう経緯があったのである。 |
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◆その後の富田林街道 各資料には明治期の変遷については詳しく書かれているのだが、大正時代以降についてはほとんど触れられていない。ゆえにここからはあちこちから集めた資料をもとに推察している。間違いがあれがご容赦のほどを。 富田林街道は富田林と御所を結ぶ府道として車道として整備されたはずである。府道富田林街道は、後に府道富田林下市線(御所市史の記述による。大阪府公文書では富田林大淀線と記載)になる。これがR309の前身となる。 |
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水越峠を越える区間は狭路で急カーブ・急坂が連続する区間で難所であった。そのため道路改良工事が行われることになった。奈良県御所市では御所市西寺田、名柄を通る狭路とは別に東西方向の幹線道路として御所市関屋までバイパス道路を建設(完成年不明)。つづいて関屋TN(R309関屋バイパス)と水越TN(R309水越道路) |
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を含むバイパス区間の建設に入る。 水越TNは全長2370mの長大トンネルゆえ建設工事は長期に及んだが、1997年(平9年)3月に完成。関屋TN共々供用開始となり、峠越えの道が旧道となったのである。 |
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参考資料>>『御所市史』(昭40年刊) 、『千早赤阪村誌』(昭55年刊)、『富田林市史A』(H10年刊)、『富田林市史B』(H16年刊) |
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■水越TN開通直後の水越峠旧道 |
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@管理人は水越TN開通後約2ヶ月後に水越峠旧道を走っている。以下はその時の写真。旧道となって間もない頃で、現役国道時代と全く変わらない状態だった。写真を見る限り今もあまり変化がないようにも見受けられる。 写真2にある大阪府側にあった国道標識はその後に撤去されているが、奈良県側にある国道標識については2007年になっても残っている。 |
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<<写真はすべて1997年5月撮影>> |
○国道309号線水越峠旧道 【2001年レポート】 |
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2001年(平13年)レポートは、1999年(平11年)3月撮影分を元にした99年レポートに2001年3月撮影分の写真を加えて加筆・修正したものとなっている。なので99年と01年の写真が混ざっています。 |
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【レポートは大阪府→奈良県方向(西→東方向)です。】 |
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■R309水越峠旧道【大阪府南河内郡千早赤阪村〜奈良県御所市関屋】 |
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大阪府と奈良県の境にある水越峠越え区間は、1997年(平9年)の水越TN開通により旧道となった。水越TN大阪側抗口手前から別れる1.5車線の道がR309旧道。手前の案内標識には『⇒水越峠』と表示されている。 峠の大阪府側は緩やかな勾配の1.5車線幅だが、しばらく走ると急カーブが現れる。2回ほど急カーブを曲がると水越峠の分水嶺に到着。分岐点から約1. 7kmだ。ここを過ぎると奈良県に入る。 峠を越すと旧道は大阪府側とは全く違う道となる。1.5〜狭い2車線が断続し、急勾配・急カーブが連続する酷道となる。車高の低い車だと底を擦りそうな道だ。峠から300mほど進むと最初の急カーブ。ここから急勾配の狭路を下って行く。2つ目のカーブを曲がると見通しの悪い小刻みなカーブが連続するが、センターラインのある狭い2車線道となっている。 急な勾配のある3つ目の急カーブを曲がり少し進むと『祈りの滝』前に到着。広い駐車場があり、水を汲みにくる人達の車が多い。『祈りの滝』の前を過ぎると緩やかな坂道となるが、すぐに1.5車線急勾配・急カーブが連続する区間に入る。右下にはこれから走る道が見える。回転半径が小さい2車線幅の急カーブを2つ曲がり終えると水越川沿いまで下る。薄暗い1.5車線幅の狭路を150mほど進むと 現R309と合流。大阪府側分岐点から約5kmである。 |
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<<撮影年月の記載が無い写真はすべて2001年3月撮影>> |
■R309水越峠旧道【奈良県御所市関屋〜奈良県御所市西寺田】 |
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旧道はここで終わりではない。現R309と合流して50mほどですぐに離れる。旧R309は1車線の田舎道となって進み、現R309と一度だけクロスすると以後は現R309より少し南側を東に進む。旧R309は集落内を進む1.5車線の道で、元ローカル国道っぽい区間。今では完全な生活道路となっている。御所市名柄で神社前を通る辺りは旧街道(葛城古道?)の雰囲気が少し残っている。その名柄地区を過ぎると集落を挟んだ北側に現R309が見える。名柄地区から2kmほどでR24との交差点である西寺田交差点に到着し、旧道区間は終わる。 途中にポツンと2本だけ立っていたR309の国道標識が付けられていたであろう柱と、R24交差点手前にある案内標識だけが、かって国道区間であったことを物語っている。 |
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<<撮影年月の記載が無い写真はすべて1999年12月撮影>> |
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◆2001年レポ終わり |
【2005年レポート】 |
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2001年以降も何度か旧道を走行しているが、R309を走る車が多かったり渋滞していたために抜け道として走ったりしたので写真撮影していない。(写真が見あたらない) 2001年以来、旧道調査として走ったのは2005年(平17年)3月となる。ほぼ4年ぶりのことなのだが、05年の時は時間の都合で水越TN(水越道路)区間の旧道のみの走行となっている。 |
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【レポートは大阪府→奈良県方向(西→東方向)です。】 |
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■大阪府側区間【旧道分岐点〜水越峠】 |
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大阪府側の旧道分岐点からは緩やかな勾配の1.5車線〜狭い2車線幅の坂道が続く。水越TN大阪側抗口横を通り過ぎると徐々に山中へと入って行く。水越川に沿って見通しの良いほぼ直線の坂道を上って行く。 1.3kmほど進むとバス停に至る。シーズン中だけ運行される路線バスの終点で、バスの転回場も設けられている。そのすぐ先は水越橋という橋で、橋からは急カーブが連続する区間に入るためにバスは入ることができないのだ。 急カーブを曲がると勾配は急になる。少し進むと狭い2車線道となり、ほどなくして大阪府と奈良県の府県境となる水越峠に到着する。大阪府側旧道分岐点から約1.7kmである。 |
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<<写真はすべて2005年3月撮影>> |
■奈良県側旧道【水越峠〜御所市関屋】 |
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水越峠を越えるとすぐに見通しの悪いカーブが現れ、その先は急カーブ・急カーブが連続するようになる。道幅は1.5〜狭い2車線幅でセンターラインがひかれている区間もある。最初の葛折りを過ぎるとR309国道標識が現れる。奈良県側の旧道と現道交差点にある標識にもR309として記されているので、奈良県側の区間はまだR309として指定されているのだろうか? 最初の標識のある付近からは2車線の急カーブ・急坂が始まる。すぐ左下にこれから走る旧道の道路を見下ろせるぐらい、短距離で標高を一気に下げる。急カーブの路面には黒々とタイヤ痕が残っており、ここがどういうことに使用されているかがよく分かる。 峠から1.5kmほどで祈りの滝前に到着。滝前は広い駐車スペースとなっている。滝前を過ぎるとしばらくややや急な勾配が続くがカーブは少ない。やがてヘアピンカーブが現れると、急カーブ・急坂区間に入り、わずかな距離で一気に標高を下げて水越川沿いの谷間に下る。 やがて2車線の緩やかな坂道を走り、最後の急カーブをクリアすると1.5車線狭路となって神社の近くを通り抜け、現R309との交差点に到着する。峠から約3.5kmである。 2005年3月の調査時は、時間の都合でここからR24交差点までの旧道区間は走行しておらず、レポはここまでとなる。 |
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<<写真はすべて2005年3月撮影>> |
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◆2005年レポ終わり |