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国道309号線旧道(2)

広橋峠旧道/広橋峠明治新道

下市地区旧道

大淀町内旧道(文章のみ)

●広橋峠旧道

 奈良県吉野郡下市町にある広橋峠は、下市町から黒滝村を経て天川村に向かう道筋で最初に出くわす難所だった。

 大正時代以降、車道が整備されたものの、地形上の関係で急カーブが連続する道路となった。そのため昭和時代にも別ルートでバイパスが建設されたが、峠前後の急カーブ区間と狭路区間は残ってしまった。

 これを解消すべく平成に入ってからバイパストンネルが建設され開通した。この 結果、広橋峠には明治〜平成に至る4世代の道が存在することになった。

 

>>国道309号線広橋峠旧道【概説】

>>広橋峠明治新道

>>国道309号線広橋峠旧道【2001年レポート

>>国道309号線広橋峠旧道【2002年レポート

>>国道309号線広橋峠旧道【2008年レポート

>>Update 2009.01.29

○国道309号線広橋峠旧道

  【概説】

 広橋峠を越える道の前身は、下市から黒滝を経て天川に至る丹生天川街道(山上参り道)となる。江戸時代の丹生天川街道(以下古道と称す)は、現在の吉野郡下市町岩森(下市温泉付近)でr48(県道洞川下市線)の前身となる黒滝洞川街道(山上街道)が分岐すると右方向(黒滝村方向)に向かい広橋峠に登って行った。広橋峠を越えた古道は広瀬谷に下り、庄屋辻(塩屋辻)という所で丹生経由と二道峠経由、法者峠経由の3ルートが分岐。丹生経由と二道峠経由のルートは黒滝村長瀬で合流して、南にある難所の笠木峠に向かっていた。この古道が現在のR309の先祖となる道である。

 さて下市町岩森からの古道は、海抜480mの広橋峠まで4kmほどで一気に登っていたために急勾配の難路だったという。広橋峠の道(街道)が整備されたのは明治時代になってからのこと。1897年(明治30年)頃にようやく整備されることになる。大和下市史には『明治30年頃に広橋峠越の丹生街道が古道を改修して漸く新道(自動車道の開通と共に用いられなくなった旧道)が通じ、無理ながら荷車・牛車を通ずる部分が多くなって来た。』と記されている。古道を改修して通じた丹生街道が最初の新道明治新道となる。

 車道としての道路整備は大正時代に入ってからとなる。丹生天川街道が県道に指定されたことで、ようやく広橋峠の大改修が始まり、1922年(大正11年)にS字型の新道が誕生した。この2代目新道(大正新道)が現R309の旧旧道 (峠以北)と旧道(峠以南)にあたる。

 大正新道は古道(明治新道)とは別ルートで建設され、勾配はかなり緩やかになった。それでも急勾配には変わりはなく、いくつもの急カーブが連続する道であったが、 引き続き車道として整備が進んで路線バスも通行するようになった。

 戦後、丹生天川街道は県道大淀上北山線となる。昭和40年代になると、急勾配急カーブが連続する大正時代に出来た車道は通行に支障をきたすようになった。そのため明治時代から

数えて3回目となる道路の付け替え工事が行われ、下市町栃本経由の2車線道が建設された。これが3代目新道(昭和新道)となる。

 新道は建設にあたっては山腹をぬうように新規の道を切り開いたのか、昔からあった道を拡幅したのかは資料がなく不明である。県道が国道に昇格したのは1970年(昭50年)4月のこと。いつ頃開通したのかはこれもまた資料がなく不明だが、R309に昇格後の開通と思われる。(*1)

 この昭和新道は、峠手前の800mほどを除いた区間が現役国道となっているのだが、峠南側は2代目新道(大正新道)を改修しただけの狭路だったために相変わらず難所となっていた。そのため1988年(昭63年)度よりトンネルを開削するなどして、抜本的に道路改良工事を開始。2001年(平13年)11月に広橋トンネルを含むR309広橋バイパスが開通し、広橋峠を越えるルートは旧道となった。明治新道から数えると広橋バイパスは4代目の道路となる。

 2008年(平20年)時点で、広橋峠の道は明治に整備された明治新道が一部区間で通行不可能になっているものの、明治〜平成に至る4世代の道路が残っている。

*1

 現在のR309(@管理人がいう昭和新道)については、『県道大淀上北山線の広橋峠は大正末のS字形の自動車道路もなお急勾配急カーブであるのを除かんとして、古道から第三回目の着替工事として西方栃本方面へ大迂回路計画が進み漸く開通も近づきつつある。早く開通して交通が大そう便利になる日の来るのが待たれる。』と記されている。文面から国道昇格前に書かれたことが分かり、県道時代末期の国道昇格前にバイパス道路(現R309)が建設されていたことが分かる。

 航空撮影写真を見ると、昭和38年(1963年)撮影の写真には昭和新道の姿はないのだが、昭和44年(1969年)撮影の写真には峠近くまで建設が進んだ新道が確認される。そして昭和48年(1973年)撮影の写真には開通した新道が確認できる。開通は県道が国道に昇格した昭和50年(1975年)以降に開通したのではないかと推測している。

注>>『明治新道』『大正新道』『昭和新道』は説明で区別するために@管理人がつけた名称です。

参考資料>>『大和下市史』(昭48年刊)、『黒瀧村史』(昭52年刊)

■建設中のR309広橋BP

 4代目新道となる現在のR309は1988年(昭63年)度より工事が始まっている。同BPには広橋TNと登石TNという二つのトンネルがあるので、まずはそれらの工事から始まったのだろう。@管理人がバイクでウロウロ始めた1995年(平7年)頃には、登石TNがその姿を現していた。供用開始はそれから約6年後となる。

 R309広橋BPの供用開始は2001年(平13年)11月12日。その約2ヶ月半前の2001年8月30日にKSRUで広橋峠を越えた際、たまたま建設中の広橋BPを撮影していた。北側(下市側)分岐点となる広橋大橋北詰付近と、南側(黒滝側)分岐点となる登石TN南側抗口前である。

 広橋大橋は最後の行程に入っていたのだろうか。足場の鉄骨を解体しているように見える。橋上には資材が積まれており、舗装する様子もない。欄干も仮設のようだ。見た感じではまだ半年ぐらいかかりそうな気がしたが、実際は撮影してから2ヶ月半ほどで完成までこぎつけている。9月と10月は突貫工事が行われたのだろうか。

 登石TN南側は長谷川を渡る橋はすでに完成しており、あとは広橋峠からの現道(当時)との接続部分の工事を待つだけのようである。撮影時点では工事が行われている様子はなく、仮設の工事車両用ゲートがあるだけだった。BP開通後の南側旧道分岐点の姿と比較してみるとおもしろい。

 

1.建設中の広橋大橋を撮影。開通直前なのに

  まだ「ごった返している」状態。

2.登石TN南側の分岐点となる場所。こちらの

  工事はまだ行われていなかった。

 

○国道309号線広橋峠旧道

  2001年レポート

 2001年3月走行時のレポート。同年3月中旬に走行したので広橋BP開通前のこととなるので、2001年レポートでの”旧道”とは2代目新道(広橋BP開通後の旧旧道)のことを 指している。2代目新道は当時は現役国道だった3代目新道と広橋峠で合流しているので、レポートは吉野郡下市町岩森〜広橋峠までとなっている。

 文章については2001年走行時のレポートを加筆修正したもの。写真は新たに編集し直している。

【レポートは吉野郡下市町→吉野郡黒滝村方向(北→南方向)です。】

■旧道下市町側分岐点〜R309現道交差点

 吉野郡下市町の市街から走ってくると、R309は下市温泉のある下市町岩森地区で左にカーブし急勾配の2車線道へと続く。

この急勾配の坂道が始まる付近で右側に分岐する狭路がR309旧道(当時。現:旧旧道)。現国道からも見える道は、1.5車線幅の緩やかな勾配のある坂道狭路となっている。薄暗い山間の狭路という感じで坂道を上って行くと、民間の整備工場前を通り過ぎる。そして急カーブを2回ほど曲がって進んで行くと現R309と交差する。

1.下市町側の旧道分岐点。右に別れる狭路が

  旧道(当時。現旧旧道)。

2.R309にあった標識。地名が書かれていない

  矢印が旧道のこと。

3.大正時代の新道を拡張整備しているが急カー

  ブがある。(広橋峠→下市市街方向を撮影)

4.鬱蒼とした杉林の中を進んで行く。この先、左

  側に見えるのが現R309。

5.現道との交差点。写真右に向かうと広橋BP

  に至る。(広橋峠→下市市街方向を撮影)

6.R309広橋峠方向から交差点を見る。左下から

  来て右奥に向かう狭路が旧道。

<<写真はすべて2001年3月撮影>>

■R309現道交差点〜旧道黒滝村側分岐点

 現国道との交差点を過ぎると、旧道は1.5車線幅のまま進み左カーブを曲がって現国道とは反対方向へ進む。少し山中を進むがやがて視界が開けてきて、2車線幅となって急勾配の坂にさしかかる。旧道は山腹をウネウネと急カーブを幾つも曲がりながら進む。2車線道は1kmほどで終わり、その後は狭路に戻る。

 惣坂地区からは見晴らしの良い道となる。山腹にしがみつくようにある集落内を1.5車線幅の急勾配道で通り抜ける。左の急勾配・急カーブを曲がると右側より2車線道が突然現れ、広橋峠の分水嶺付近でR309(当時。現:旧道)と合流する。下市町側分岐点より約5kmである。

7.現道交差点からも杉林の中を行く狭路が続

  くが、すぐに周囲は明るくなる。

8.やがて道は2車線道となる。一部センターラ

  インがないが整備されている。

9.この付近は近年整備されたのだろう。

  (広橋峠→下市市街方向を撮影)

10.広橋の集落に入る付近から道は狭路とな

  る。また急勾配の坂道となる。

11.路線バスは旧道を走る。

  (広橋峠→下市市街方向を撮影)

12.広橋峠の旧道分岐点。合流する道がR309

  現道(当時)。すぐ先が今の広橋峠。

<<写真はすべて2001年3月撮影>>

◆2001年レポート終わり

○国道309号線広橋峠旧道

  2002年レポート

 R309広橋BP開通後、それまでR309だった広橋大橋北詰〜広橋峠〜登石TN南側抗口前までの区間は旧道となった。この区間は広橋峠までが昭和時代に建設された3代目新道 (昭和新道)、峠以南は大正時代に建設された2代目新道(大正新道)で構成されている。3代目新道は末端の800mほどの距離だけが旧道になってしまった。

 旧道となった区間を走ったのは、BP開通後からほぼ1年後の2002年(平14年)11月末のこと。この年の8月にも広橋峠を訪れているのだが、02年8月は広橋BP経由で峠を越えて天川村に向かっているので、旧道となってから初めて走ったのは02年11月のことにな る。

 文章は2002年11月のレポートを修正・加筆したもの。写真は現役時代の2001年8月末の写真と、旧道後の2002年8月と11月に撮影した写真を使用してい る。なお広橋BP開通後、2001年レポートにある広橋峠以北の区間は旧旧道となり、2代目新道 (大正新道)は広橋峠を境に旧道と旧旧道に分けられた状態になった。

【レポートは吉野郡下市町→吉野郡黒滝村方向(北→南方向)です。】

■広橋大橋北詰〜広橋峠

 2001年(平13年)11月12日をもって広橋TN・登石TNを含むR309広橋BPが供用開始となった。これにより広橋峠を越えていたR309は旧道になった。

 そのR309広橋峠旧道の分岐点は広橋TN北側に架かる広橋大橋北詰。橋を渡りTNへ向かう直進道路から分岐する狭い2車線道がR309旧道となる。現道から分岐すると、旧道は急勾配の坂道で鬱蒼とした山中を進んで行く。左の急カーブを曲がると左下に広橋大橋を見下ろすことが出来る。分岐点から800mほど 2車線坂道を走ると、左側から旧旧道上がってきて合流して広橋峠に到着する。

1.広橋大橋北詰の旧道分岐点。右に分岐する

  のが旧道。橋の向こうに広橋TNが見える。

2.旧道は現役時代を思わせる2車線道の坂道。

  ただ路面はあまり整備されていない。

3.広橋峠に到着。ここからは2代目新道区間で

  ある。

■広橋峠〜登石TN南側抗口前

 峠を越えると1.5車線幅の急勾配の狭路狭路となる。鬱蒼とした山中の少し荒れた路面の坂を下って行くが、見通しの悪いカーブが連続するので少々運転しずらい。急なヘアピンカーブを曲がり しばらく進むと左側にR309広橋BPが見えてくる。やがて旧道は2車線道となり、いくつかのカーブを曲がるとR309広橋BPと合流する。広橋峠から約1.3kmである。

4.広橋峠を越えると薄暗い山中を行く狭路坂道

  となる。急カーブが続く。(0108)

5.現役時代の現旧道。現役国道だけあって路

  面は整備されていた。(0108)

6.旧道の黒滝村側分岐点。上の写真と比較する

  と変化がよく分かる。(0208)

<<撮影年月の記載が無い写真はすべて2002年11月撮影>>

◆2002年レポート終わり

○国道309号線広橋峠旧道

  2008年レポート

 2002年秋以降、何度かR309を走行しているのだが、旧道を再走行したのは今回が5年ぶりとなる。今回は広橋峠の昭和新道(旧道)・大正新道(旧旧道)の再走行の他、明治新道の調査を行っている。

◆広橋峠大正新道

【レポートは下市町→黒滝村方向(北→南方向)です。】

■吉野郡下市町【下市町l村

 R309広橋峠の大正新道(旧旧道)は下市市街からの旧道の続きとなるため、当サイトでは吉野郡下市町l村(よむら)の岩森地区にあるr48(県道洞川下市線)と大正新道との交差点を大正新道の始点と見なしている。

 r48交差点から南に向かうと、すぐに秋野川を渡って下市温泉『秋津荘』前を通り抜ける。大正新道は町中を1.5車線狭路で進んで行く。少し進むと左側に明治新道が分岐するのだが、知っていないとそれとは分からないような路地裏のような道となっている。

 明治新道分岐点を過ぎると緩やかな狭路坂道となり、400mほど進むとR309との交差点に至る。ここまでは町中を行く生活道路である。

1.この先の信号のある交差点がr48との交差

 点。かつては街道の辻であった。

 峠から下市市街方向を見る。

2.下市温泉前を通って町中を進んで行く。緩や

  かな勾配の1.5〜狭い2車線道が続く。現R

  309は写真右側を通る。

3.現R309と大正新道の交差点を峠方向から見

  る。右に別れる側道のような狭路が大正新道。

  現道を斜めに突っ切る。

 

4.現R309から見た交差点。旧道に入らないよ

  うに標識がある。

5.写真4の標識の拡大写真。地名のない矢印

  が旧道で、この先で交差している。

 

<<写真はすべて2008年3月撮影>>

■吉野郡下市町【下市町栃本〜下市町広橋】

 l村(岩森)の町外れにある現R309との交差点が、現R309と大正新道の最初の交差点となる。左に緩いカーブを描く2車線坂道から右側に向かって離れる1.5車線狭路が広橋峠の『大正新道』つまりは旧旧道となる。緩やかな勾配の1.5車線幅の狭路坂道を進み、自動車整備工場前の急カーブを過ぎると民家はなくなり杉林の中を進んで行く。

 S字急カーブをクリアすると、1.5車線の坂道を上る。そして右上に現R309が現れると、ほどなくして現R309との交差点に到着する。最初の交差点から約700mである。

6.下市市街から見た旧道との交差点。右に別れ

  るのが旧道。

7.現R309交差点を過ぎると、旧旧道は町中を

  離れて1.5車線坂道となる。

8.最初の急カーブ。ここを過ぎるとしばらく民家は

  ない。バス停がある。

9.広橋峠を越える路線バスは旧旧道を経由し

  て走っている。

10.1.5車線狭路坂道を上って行く。すぐ右上に

  現R309が現れる。

11.現R309との交差点。広橋峠から下市市街方

  向を撮影。左右に横切るのが現R309。

<<写真はすべて2008年3月撮影>>

■吉野郡下市町【下市町広橋】

 現R309との交差点を過ぎてからも1.5車線坂道を進んで行く。左カーブを過ぎると狭い2車線道の坂道となる。 今は生活道路となっているのだが、路線バスが通ることからも整備が行われているようだ。しばらく狭路坂道を上り続けると、コンクリ舗装の狭路坂道と交差する。乳谷口バス停のあるこの交差点が明治新道との交差点となる。

 明治新道との交差点を過ぎてしばらく行くと右の急カーブを曲がる。ここからはセンターラインのある2車線坂道となって峠に向かって進んで行くが、広橋地区の集落に入る辺りからは再び1.5車線幅の狭路坂道となる。集落内を進んで行き、大杉バス停付近で先ほど交差した明治新道と合流する。この先はやや急勾配の坂道を一気に上り、右側下方に広橋大橋が見えてくると

昭和新道と合流して広橋峠に到着する。現R309交差点(写真11の地点)から約3kmである。

12.現R309交差点からは薄暗い狭路坂道が

  続く。

13.最初の急カーブ。このような道でも通行量は

  案外多い。対向車に注意。

14.明治新道との交差点。右手のガードレールの

  ある道とその向かいにある狭路が明治新道。

15.2車線幅の急カーブ。路面のタイヤ痕が現状

  を物語っている。

16.広橋集落に入ると狭路坂道となる。相変わら

  ず急勾配の坂道が続く。

17.明治新道との合流点。大杉バス停が目印とな

  る。写真には明治新道は写っていない。

18.この先が昭和新道との交差点。ここの右側

  下方には広橋大橋が見える。

19.路線バスが走っているので走行には注意。

  (広橋峠→下市市街方向を撮影)

20.この先が広橋峠。峠にはR309国道標識が残

  っていた。

<<写真はすべて2008年3月撮影>>

■吉野郡下市町【下市町広橋】

 広橋峠には廃校となった小学校がある。その小学校前で庄屋辻(塩屋辻)に下る明治新道が左側に分岐する。一方の大正新道は 直進して黒滝村方面に向かうことになる。

 広橋峠以南の大正新道はR309旧道で、広橋バイパス開通まで現役のR309であった区間。峠には2カ所にR309国道標識が残っていた。峠を過ぎるとセンターラインのある2車線道となるが、2008年3月走行時には1車線分ほどが落ち葉で覆われていた。1.5車線区間も路肩部分が落ち葉などで覆われていたので、実質1車線道という状態だった。

 広橋峠南側の集落は明治新道沿いにあるため、山中を行くR309旧道(大正新道)沿いには民家はない。薄暗い山中をクネクネと曲がりながら進む坂道を下って行く。道幅は1.5〜狭い2車線道で、時折センターラインのある2車線区間があったりする。交通量はほとんどないのだが、対向車に注意しながら進んで行く。

 しばらく行くと平坦な2車線道となる。見通しの良い道で、左下にR309広橋バイパスを見て進んで行く。何らかの事情により、バイパス建設にあたって整備されたのだろう。やがて狭い2車線道となると集落内を通り過ぎて現R309との交差点に到着する。広橋峠から約1.5kmである。

21.峠南側にあるもう一枚の国道標識。

  (黒滝村→下市町方向を撮影)

22.少し進むと2車線道は狭路道となる。標識が

  この先の道路状態を示している。

23.2車線幅あっても半分は落ち葉などで埋もれて

  いた。整備などはあまりされていない模様・・・。

24.路肩にも落ち葉や土砂がたまっている。

  見通しの悪い道が続く。

25.この付近は整備された2車線道になってい

  た。左下にバイパスが見える。

26.狭い2車線道となり、やがて集落内に入る。

  交通量の少ない道が続く。

 

27.最後はセンターラインのある2車線道となって

  現R309と合流する。

28.合流点を現道側から撮影。左に分岐するの

  がR309旧道。

 

<<写真はすべて2008年3月撮影>>

■吉野郡下市町【下市町広橋】

 R309旧道はそこで終わりではなく、もう少し続く。登石トンネル前に架かる橋(橋名不明)南詰で交差するのだが、そのすぐ先で再び右に分岐する。現R309東側に広場のように残る旧道のカーブが残っており、そこをたどって行くと旧道分岐点がよくわかる。ちなみにこの元旧道の広場には明治新道が合流している。

 さて旧道は狭い2車線道でR309現道西寄りを進み、小さな集落内を通り抜けて600mほどで現R309と合流する。

29.旧道はまだ続く。右側に分岐する2車線道が

  旧道。

30.現道横には廃棄された旧道が残る。ガードレ

  ールの切れ目が明治新道。

31.山間の集落を結んで進む。

  (黒滝村→下市町方向を撮影)

32.淡々と平坦な道を進んで行く。生活道路とな

  って静かに余生を送る。

33.やがて現R309と合流する。ここが広橋峠旧

  道の終わり。

34.現R309側から撮影。左に分岐するのがR30

  9旧道。典型的な旧道分岐点。

<<写真はすべて2008年3月撮影>>

◆広橋峠昭和新道

 大正新道のバイパス道路として建設された昭和新道のほとんどは、広橋バイパス開通後も現役のR309となっているが、広橋大橋西詰〜広橋峠の間(約800m)は旧道となってしまった。

 道路的には2車線のカーブが多い坂道となっている。旧道となってからは広橋地区への生活道路となり余生を送っている。 道路状態は以前と変わっていないが、現役時代と比べると路面に落ち葉などがたまっている箇所が目立つようになった。

1.広橋大橋西詰で右に分岐するのが旧道。

  かつてのR309。

2.現役区間と変わらない2車線道だが、落ち葉

  などが目立つ。

3.広橋峠の少し手前で大正新道と合流する。

  右に向かうのが大正新道。峠側から撮影。

<<写真はすべて2008年3月撮影>>

◆2008年レポート終わり

<<MEMO>>

■概況・交通量など

 旧道(昭和新道)、旧道・旧旧道(大正新道)とも地区の生活道路になりました。バイパスの開通により、ほとんどの車はそちらを走るようになってしまいました。旧道 ・旧旧道を走る車は地元車と路線バスだけになっています。通行車両が少ないとは言え、対向車には注意して下さい。なお、梅見のシーズンには観光客の車がやってくるので混雑します。

>>R309旧道(昭和新道〜大正新道)

 広橋大橋北詰の分岐点から峠までは約800m。その先は狭路が続きます。冬期は路面凍結・積雪があります。

>>R309旧旧道(大正新道)

 広橋峠の 旧旧道(大正新道)は現R309との交差点を境に下市町側と広橋峠(黒滝村)側に分けられます。

 下市町側旧道分岐点〜R309交差点の間は、路線バス以外に通る車はほとんどなく途中にある整備工場(?)の車ぐらいしか走りません。そのためか途中の道中央には僅かながらコケが生え始めています。

 一方、R309交差点〜広橋峠の旧旧道分岐点の間は、路線バス も走り地元車の通行もそれなりにありますので、道は整備されています。惣坂地区や広橋地区の集落内を通るためです。走る車のほとんどは地元に人の車で、R309交差点からR309に入って行きます。トラックも走るようです。旧道だと思って対向車は来ないだろうと思わないで下さい。

 冬期は路面凍結・積雪がある 道路です。注意して走行して下さい。旧旧道沿線は梅の花の名所なので、開花時期は梅見に来た観光客の車で混雑します。

 旧旧道は完全に生活道路になっていました。迷惑になるような運転はやめましょう。

■アドバイス

 広橋BPは車・トラックとも結構スピードを出して走ります。自転車の場合は、時間に余裕があるならば旧道もしくは旧旧道を走った方が安全です。ただ急勾配の坂道が続くので時間・体力は必要となります。

■注意点

 峠付近も民家が建ち並びます。注意して走行して下さい。

●走行DATA

R309広橋峠旧道

【下市町→黒滝村方向を走行】

>>走行日:2001年3月19日(現役時代)/02年11月28日/08年3月13日/他

R309広橋峠旧旧道

【下市町→黒滝村方向を走行】

>>走行日:2001年3月19日/02年11月28日/08年3月13日

注意>>この区間は、現役時代も含めて走行方向問わずかなり走行しています。走行日は使用写真の撮影日のみを記載しています。

【R309広橋峠旧道 終わり】

○国道309号線旧道

  【下市地区旧道】

◆現R309

 広橋峠から下ってきた現在のR309は、旧道(大正新道)との交差点(D)を過ぎると、吉野郡下市町l邑(よむら)地区の町外れを通って秋野川左岸(南側)に出る。そしてr48(県道洞川下市線)と共に秋野川を挟んで下市町市街へと向かい、下市町役場前を過ぎたところでr20(県道下市宗桧線:宗檜街道の後身)と合流。その先の下市中学校を過ぎたところで右折して明神橋を渡って秋野川右岸(東側)に出てr48との交差点 (A)を左折。あとは秋野川右岸(東側)に広がる町中を通って千石橋へ至り、吉野川を渡って吉野郡大淀町岡崎交差点に向かう。

 下市中学校前までの秋野川左岸を通る区間は整備された2車線道が続き、沿道に町がないことからも後年建設されたバイパス道路であることが分かる。昭和44年(1969年)撮影の国土地理院の航空撮影写真には、秋野川左岸(南側)に道路があるが途中で川を渡って右岸(北岸)の道路(現r48)と合流している。しかし現R309に相当する道路の姿はない。

 4年後の昭48年(1973年)撮影の写真には現R309の道筋が現れるが、途中不鮮明な箇所があるところを見ると建設中のような感じであった。そして昭52年(1977年)撮影の写真には秋野川左岸に鮮明な太い道が写っている。このことからも現在のR309はバイパス道路であることが分かる。

 バイパス道路開通後(開通年不明)、明神橋で秋野川左岸(西岸)に出て進むようなルート(A→B→C→D)に変更されたのだろう。下市から天川村に向かうと、明神橋東詰でR309が右折して川を渡るのはこういう経緯からなのだ。

(地図は構成上の都合で左側が北となっています。)

 R309が誕生したのは昭45年(1970年)4月のことなので、バイパス開通までは秋野川右岸を通る旧街道の道筋が国道であった。

◆R309旧道

 下市地区のR309旧道は、秋野川右岸を通る狭路とその後身となる2車線道となる。共に現在はr48として県道となっている。遡れば丹生天川街道(山上参り街道)である。

 広橋峠から下ってきた旧道(丹生天川街道の後身)は岩森でr48(黒滝洞川街道の後身)と合流すると、1.5車線幅の平坦な狭路で秋野川に沿って右岸を進む。途中には天川街道の開削記念碑 (写真)と旧標識があることからも、この道筋が旧街道そして旧道であることが分かる。

 しばらく進むと下市南小学校を過ぎて少し進むと2車線道に出る。左折すると立派な2車線幅の橋を渡ってR309現道に出るが、R309旧道(r48)は右折して秋野川右岸を進む。下市町善城地区からは2車線道となって北に向かう。

 善城地区では左に別れて秋野川を渡って左岸に至る道がある。この道は大正時代に建設された道路。大和下市史には『下市では秋野川の東岸のみの単線式が西岸にも並行道路が通じ複線式となる。』(B〜C〜現r48の道筋)と記述されている。この道は左岸(西岸)に渡ってからはR309現道にな

っている。

 左岸に向かう道を分岐してからは沿道に民家の並ぶ2車線道を進む。いかにも生活道路という感じの道路だ。そして栄町の明神橋東詰でR309現道と合流する。ここから先の旧街道はR309となっており 、途中で丹生天川街道と宗檜街道との辻であった”札の辻”(@)を過ぎて千石橋に至る。

参考資料>>『大和下市史』(昭和48年刊)

<<MEMO>>

■概況・交通量など

 R309旧道は今はr48(県道洞川下市線)となっています。下市から天川村方面へのメインルートはR309となっているので、

秋野川右岸の旧道ルートは生活道路となっています。交通量はそれなりにあります。町中を通るので歩行者・自転車などには注意してください。

●走行DATA

下市地区旧道

【下市市街→岩森方向を走行】

>>走行日:2008年3月13日/他

注意>>この区間は走行方向問わず 何度か走行しています。走行日は使用写真の撮影日のみを記載しています。

【R309下市地区旧道 終わり】

○国道309号線旧道

  【大淀町内旧道】*写真なし。文章のみ。

 千石橋を渡って吉野郡大淀町に入ったR309は、岡崎交差点を左折して吉野川北岸を進む。400mほど進むと左側にGSのある交差点に到着する。現道はここを左折して警察署前を通って大淀病院西交差点を経由して車坂峠に向かって北上する。この交差点をそのまま直進すると町中を進む狭路に入る。この道がR309旧道となる。このルートは元を辿れば下市街道(車坂越街道)に相当する由緒ある道で、車坂峠経由で大淀町と中街道を結ぶ主要道路だった。

 さて旧道は1.5車線狭路のまま町中を進む。近鉄吉野線の踏切を渡ると狭路坂道となって町中を進んで行く。坂を上りきると現R309との交差点に到着。旧道はここで終わる。距離にしてわずか450mほどの旧道である。

 そこより北側、車坂峠を含めて大淀町今木地区までの旧道ルートは不明。おそらくは元々あった道を拡幅整備したのが現道だと思われる。なお今木地区には現道から別れては合流する集落内を通る狭路があちこちにあるが、それら生活道路が旧道である。

参考資料>>『大淀町史』(昭和48年刊)

【R309大淀町内旧道 終わり】

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