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国道309号線旧道(1)

新笠木TN旧道/新川合TN旧道

●新笠木TN旧道/新川合TN旧道

 現R309の奈良県吉野郡黒滝村〜五條市西吉野町(旧:吉野郡西吉野村)〜吉野郡天川村にある峠に建設されたのが、新笠木TNならびに新川合TNである。これらの新TNの旧TN(旧道)にあたるのが笠木TNと川合TNとなる。かつてはR309随一の悪路区間だったが、今はひっそりとして余生を送っている。

>>国道309号線旧道【概説】

>>国道309号線旧道【1999年レポート

>>国道309号線旧道【2001年レポート

>>国道309号線旧道【2006年レポート

>>国道309号線旧道【笠木峠旧旧道

>>Update 2009.01.29

○国道R309号線 新笠木TN旧道/新川合TN旧道旧道

  【概説】

 R309現道で吉野郡天川村川合から吉野郡黒滝村に向かうと、新川合トンネル(L=2751m)と新笠木トンネル(L=1693m)という二つの長大トンネルを通る。両トンネル間にあるr49(県道勢井宗川渡線)との接点付近は五條市西吉野町(旧:吉野郡西吉野村)域となるので、天川村からすぐに黒滝村に入るのではない。

 天川村〜五條市西吉野町〜黒滝村間のR309現道は平成9年(1997年)10月に新川合トンネルの供用開始により全通したもので、それまではトンネルの頭上をウネウネと通る旧道が国道指定されていた。R309旧道も天川村〜西吉野村(当時)〜黒滝村を経由するルートをとり、途中にある切抜峠と笠木峠という2つの難所を川合トンネル(L=165m)と笠木トンネル(L=415m)で越えていた。

 ところがこのR309旧道もバイパス道路で、R309の前身となる県道大淀上北山線時代に建設された。切抜峠〜笠木峠間は、大正・昭和・平成と3世代の道路が現存している ことになる。

◆丹生天川街道

 吉野郡天川村から北上して吉野郡下市町を経て大淀町に至る道筋は、古くは『丹生天川街道』と呼ばれていた。修験道の修行の地である大峰山の麓にある天川村洞川に至る山上参り街道の一つでもあることから、古くから主要ルートとして発達していた。

 下市から南に向かう丹生天川街道は、最初に吉野郡下市町にある広橋峠という難所を越えて下市町長瀬から丹生川沿いに進んで吉野郡黒滝村に入る。黒滝村長瀬からは笠木川に沿って進んで行き、笠木峠続いて切抜峠と2つ連続して越えて吉野郡天川村に入り、あとは天ノ川支流の深谷に向かって下り天川村川合で洞川に向かう高野街道に合流していた。

 丹生天川街道の整備が開始されたのは明治時代中頃からとなる。整備は下市町側から南に向かうような形で始められたが、

難所の広橋峠の改修に時間がかり、下市天川間が県道(県道丹生天川街道)として完成したのは大正3年(1914年)となり、荷車・牛車が通ずるようになった。さらに大正11年(1922年)に広橋峠にS字形の車道(R309旧道・旧旧道)が完成すると、天川村にもバスが通ずるようになった。

◆切抜峠の改良

 しかし整備が進んだとは言え、吉野郡天川村〜西吉野村(現:五條市西吉野町)〜黒滝村の間には切抜峠(天川・西吉野村境)と川合峠(西吉野・黒滝村境)があり、両峠を越える区間は難所となっていた。この区間の整備・改修が開始されたのは戦後になってから。まずは切抜峠に「川合トンネル」(L=165m)が昭和29年(1954年)に開通する。これにより大正時代に整備された切抜峠の道(旧旧道)は廃れてしまい、今はすっかり自然に還ってしまいその痕跡を見つけることはできない。

 なお大正時代の県道丹生天川街道であるが、新道路法が施工された昭和27年(1952年)以降、昭和30年代中頃までに県道大淀上北山線となったものと思われる。(資料がないので推測。。。m(_ _)m )

◆笠木峠の改良

 切抜峠改良後に笠木峠の整備・改修が行われるのだが、笠木峠の道路改修は天川村でも黒滝村からでもなく、真ん中の吉野郡西吉野村内から始まる。

 西吉野村内の宗川沿いにR168とR309を結ぶ県道にr49(県道勢井宗川野線)がある。平成5年(1993年)11月に主要地方道に昇格した県道であるが、主要地方道ながら五條市西吉野町(旧:吉野郡西吉野村)勢井から先は1.5車線狭路の道が続く。もともとは県道立川渡勢井線という名の一般県道であった。

 昭和38年刊行の”西吉野村史”の「(村内の)諸県道」という項目に県道立川渡勢井線についての記述があり、『国道一六八号線の立川渡より宗川の渓谷に沿い東に進み〜(中略)〜さらに上流をさかのぼり大淀上北山線(*1)の笠木峠と結ぶ予定であるが未完成である。』との記述があり、末端は未開通の県道であることが分かる。

 いつごろ開通したのかを調べてみると、平成17年(2005年)9月に発刊された”西吉野村の歩み”には「県道五條洞川線が開通」という項目があった。そこには開通区間に関して、『総延長は約四.一キロメートルで、そのうち二.一キロメートルは村が主体となり、陸上自衛隊作業隊に工事を以来して、昭和38年度から3カ年度三期に分けて実施し、昭和40年1月23日に完成、また残り二キロメートル(うち一部を県が自衛隊に依頼)は、笠木峠の県道付け替え工事、県工事として完成され、これによって五條・洞川線が開通することになった。〜(後略)』と記載されている。現在のR309交差点付近から笠木トンネル前のT字交差点に至る狭路と、トンネル前から川合トンネル前付近までの区間となる。今のR309旧道、川合トンネル〜笠木トンネル間の2車線道は陸上自衛隊によって建設された道路であったのだ。

 R168からR309(当時は県道)に接する道は1つしかないので、県道立川渡勢井線も県道五條洞川線も今のr49(県道勢井宗川野線)のことだと思われる。未開通区間約4.1kmを建設して開通したのが昭和41年(1966年)ということになり、建設中か全通後に五條洞川線に改称されたのだろう。 そしてさらに後年、県道勢井宗川野線と改称されものと思われる。

 笠木峠の県道付け替え工事は、「県道大淀上北山線(後のR309)」の改良工事としてではなく、「県道五條洞川線(現:勢井宗川野線)」の改良工事として行われたことになる。

 五條洞川線が開通した昭41年(1966年)時点では、黒滝村から来た県道大淀上北山線は急勾配の狭路道でウネウネと笠木峠を越え、川合トンネルの西吉野側の地点(今の旧旧道分岐点)付近で 両県道が合流していたことになる。そのような状況であったので「大淀上北山線」の笠木峠改良工事も行われることになったのであろう。

 ”黒滝村史””天川村史”の両村史には、大淀上北山線の笠木峠改良工事についての記述はほとんどないので経緯や詳細は不明なのだが、県道五條洞川線の建設工事を計画する際に”大淀上北山線の笠木峠改良”についても計画が立てられたと思われる。(*2)

 大型車や機材・材料搬入の手間や時間を考えると、五條洞川線開通後にトンネル建設が開始されたと思われる。いつ頃に工事が開始されたのかは不明だが、五條洞川線開通4年後の昭和45年(1970年)3月に「笠木トンネル」(L=415m)が開通。笠木峠を越えるルートは旧道となり、以後はトンネル経由のルートがメインルートとなった。

*1:西吉野村史(昭和38年刊)には、”大淀北山線”と記載されているが、他の町村史には”大淀上北山線”と記載されているので、おそらく誤りと思われ

   る。@管理人は”大淀上北山線”と記載している。

*2:トンネル建設工事という莫大な経費がかかる事業なので、村単独事業で行うには限界があると思われる。村単独事業として行われたのか、陸上自衛

   隊に依頼して建設したのか、県もしくは国の事業として行われたのか、その点については黒滝村・西吉野村・天川村の各村史には記述がないので不明

   である。

◆新川合トンネル・新笠木トンネルの開通

 笠木トンネル開通4年後の昭49年(1974年)に県道大淀上北山線全区間の国道への昇格が決定する。翌昭50年(1975)4月1日付けで 、県道大淀上北山線はR309に昇格。五條洞川線として建設された川合トンネル〜笠木トンネル間の区間も国道に指定されている。

 国道となっても、川合トンネル〜笠木トンネルの前後は大正時代の道路を改良しただけの、急勾配・急カーブが続く狭路のままであり、車輌の離合困難な状態が続き、また冬期は路面凍結・積雪などで通行が困難な状態が続いた。このため現国道(今の旧道)の下に長大トンネルを含むバイパスの建設計画が企画された。

 バイパスは吉野郡西吉野村(当時)と吉野郡黒滝村間の「新笠木トンネル」建設工事から開始された。昭55年(1980年)に着工された同トンネルは昭59年(1984年)に完成する。完成後の昭61年(1986年)からは県道勢井宗川野線との接続道路の建設工事が行われ、同道路の完成をもって昭63年(1988年)6月20日に「新笠木トンネル」(L=1693m)として供用開始された。

 残る南側の吉野郡天川村と吉野郡西吉野村(当時)間の「新川合トンネル」の建設工事が始まったのは、新笠木トンネル供用開始後5年ごとなる平成4年(1992年)10月であった。資材・機材などの搬入、大型車の通行などの確保のため新笠木トンネル開通後の着工となったのであろう。長大トンネルのため建設工事は長期に及び、「新川合トンネル」(L=2751m)が完成し供用開始されたのは平9年(1997年)10月24日であった。

 これにより、供用開始後9年ほどの間盲腸線のような中途半端な立場であった「新笠木トンネル」区間も含め、天川村〜西吉野村〜黒滝村間のバイパスが全通。現在のR309のルートが確立。一方、川合トンネルと笠木トンネルを経由するルートは旧道となり現在に至る。

 2006年(平18年)11月末時点において旧道は通行可能である。また笠木峠を越える旧旧道も健在ではあるが、途中より廃道となり自然に還ってしまっているので通り抜けは不可能となっている。

◆2005年(平17年)9月25日付けで吉野郡西吉野村は奈良県五條市に編入され、『五條市西吉野町』になりました。

>>参考資料 西吉野村史(昭和38年刊)/黒滝村史(昭和52年刊)/天川村史(昭和56年刊)/西吉野村のあゆみ(平17年刊)

■現役国道時代

 @管理人がバイクに乗り始めてウロウロし始めたのは1994年(平6年)秋頃から。その頃からバイクで天川村に訪れているが、当時はまだ新川合TNは開通しておらず現旧道が現役国道であった。新笠木TNは開通していたが、トンネルを出たところで道が終わっていたので、吉野郡天川村川合に向かうにはトンネル手前から狭路に入らねばならなかった。当時は杉林の中を進む狭路で、曲がりくねった道を延々と走って天川村川合に向かっていた。道を走るだけで「秘境天川村に向かっている」気がしたものだった。その時代( 悪路時代末期)を知っているだけに、新笠木TNと新川合TNの効果はよく分かる。大変便利になったものだ。

 さて、笠木TN・川合TN経由のルートは今でこそ交通量のほとんどない旧道となっているが、当時は交通量の多い道でシーズンになると観光バスまで走っていた。休日になると交通量が激増し、離合困難などで切り返しのカーブなどでは渋滞が起こったりしていたものだ。川合TNを越えてから杉林の中の狭路を長い車列について走ったこともたびたびあったのを覚えている。

 以下に現役国道時代の写真を掲載するが、当時はフィルムのみの時代。悪路走行の経験乏しい初心者時代で、またバイクの腕も未熟だったので狭路上で止まって撮影する余裕はほとんどなく、今のところ2枚しか見つかっていない。すべてのフィルムをスキャンすればまだ数枚ありそうだが、とりあえずは見つかった写真のみを掲載しておきます。

 

1.当時、新笠木TNは盲腸線のような存在だっ

  た。天川村川合にはここを右に向かっていた。

  左側に案内標識ある。

2.現役国道時代の狭路。車が見える。整備され

  ていた時代なので、今とは雲泥の差がある。

  今は落ち葉や落石だらけの道である。

 

○国道309号線旧道 新笠木TN旧道峠/新川合TN旧道

  1999年レポート

 @管理人の走行記録を見る限りでは、1997年(平9年)の新川合TN開通後も何度か天川村を訪れている。しかしながらR3

09経由の場合はほとんどは新ルート(新トンネル)経由で、笠木TN経由の旧道ルートを走行はしていない。旧道となって以後、走行取材として旧道を走行をしたのは1999年(平10年)12月のことである。

 以下はその時のレポと写真である。なお、レポの文章はサイト開設直後のバックアップデータから文章のみをコピーして貼り付けて修正したものです。

【レポートは吉野郡黒滝村→吉野郡天川村方向(南→北方向)です。】

■R309旧道 新笠木TN旧道/新川合TN旧道

 R309BPTNの新笠木TN開通後も新川合TNの工事が難工事だったため、長らくR309本線であった笠木峠〜川合峠間の区間も、1997年(平9年)の新川合TN開通によりついに旧道となってしまった。

 道の駅『吉野路黒滝』から天川村川合方面に走ると新笠木TNに着く。このR309新笠木TN黒滝側入口手前から別れる1車線道路がR309旧道。ここが旧道の黒滝側入口。旧道は本道から分岐すると、いきなり杉林の中の1〜1.5車線の急勾配・急カーブの区間に入る。新川合TN開通前はすれ違い困難で渋滞が起こっていた区間だが、今では通る車はほとんどなくなりひっそりとしている。いくつか急カーブを曲がり、2車線幅で無照明の笠木TNを通過して西吉野村に入る。r49(県道勢井宗川野線)と合流すると川合TNまでは2車線区間が続く。

 川合TNを越して天川村に入ると、山深い所を通る1〜1.5車線ブラインドカーブが続くワインディングとなる。秘境・天川村へ至る秘境3ケタ国道の雰囲気を色濃く残す区間だ。いくつかブラインドカーブを曲がると、R309本道に合流し旧道区間は終わる。

 この区間は崖崩れの跡がそのまま残されている箇所もあるが、路面はあまり荒れておらず、まだまだ走ることが出来る。冬期は積雪・路面凍結となるので注意が必要。

1.天川村側分岐点。当時、何かの工事でダン

  プが走っていたため警備員詰所があった。

2.途中のカーブにあった国道標識。TOP写真の

  反対側にあった標識。

3.川合TNを越えて西吉野村に入った付近。旧旧

  道分岐点にも標識があった。

4.旧r49との分岐点、笠木TN前にて。ひっそり

  と国道標識が立っていた。

5.笠木TNを越えると崖崩れが起こっていた。

  道は半分埋まっている。

6.黒滝側分岐点。新笠木TN前である。路肩の案

  内標識は撤去されている。

<<写真はすべて1999年12月撮影>>

注意>>文中の市町村名は当時のものです。吉野郡西吉野村は2005年(平17年)9月25日付けで奈良県五條市に編入され、今は五條市西吉野町になっ

     ています。

◆1999年レポート終わり

○国道309号線旧道 新笠木TN旧道峠/新川合TN旧道

  2001年レポート

 次に訪れたのは2001年(平13年)8月となる。記事を更新するにあたって、R309を再取材(主に写真撮影)したときに旧道も訪れている。レポの文章は2002年12月更新時の文章を修正したものです。

【レポートは吉野郡黒滝村→吉野郡天川村方向(北→南方向)です。】

■新笠木TN旧道【奈良県吉野郡黒滝村〜奈良県吉野郡西吉野村】

 道の駅『吉野路黒滝』を過ぎて天川 村川合方面にしばらく走ると、登坂車線のある上り坂が始まる。この急勾配の坂道を登りきると登坂車線が終わり、R309新笠木TNの黒滝村側抗口が見えてくる。この新笠木TNの抗口手前から右に分岐する1車線道路がR309新笠木TN旧道。新笠木TN旧道〜新川合TN旧道の黒滝村側分岐点となる。

 旧道は本道から分岐すると杉林の中を進む1〜1.5車線幅の狭路となり、急勾配・急カーブが連続する区間に入る。新川合TN開通前はすれ違い困難で渋滞が起こっていた区間。昔はこの道を路線バスが走っていたのだ。しかし今では通る車はほとんどなくなりひっそりとしており、路肩には落ち葉が積もっている。しばらく進むと路面中央にはコケが生えている所も出てきた。現役時代末期から走っているので年々旧道っぽくなっていくのがよく分かる。

 黒滝村側分岐点から1.4kmほど進むと勾配のあるヘアピンカーブを曲がり、深い山中へと入って行く。薄暗い杉林の中の1車線狭路を延々と走る。対向車と出会うこともなく進み、いくつか急カーブを曲がる。やがて道幅が広くなり狭い2車線程度まで広がる。

 平坦な道に出ると笠木TNが見えてくる。黒滝村側分岐点から約1.8kmで笠木TNに入る。内部は2車線幅で無照明の笠木TNを通過すると吉野郡西吉野村に入り、TNを出た所でr49(県道勢井宗川野線)に下るr49旧道との交差点に至る。r49の末端区間はR309BP開通により県道指定を解除されたようだ。

 笠木TN南側(天川村側)抗口前のT字交差点まで、下市町側分岐点から約2.4kmであった。R309新笠木TN旧道は現R309とは接しないで、そのまま新川合TN旧道に向かって進んで行く。

 笠木峠は旧道のさらに上にあるのだが、旧道は笠木TNでもって峠を越えている。その笠木峠を通る道旧旧道として存在している が通り抜けは不可能となっている。

1.旧道の黒滝村側分岐点。旧道は右に向かう。

  全くと言って良いほど変わっていない。

2.旧道に入る。最初ややや広い1.5車線ぐらい

  の道幅がある。

3.杉林の中を通る。徐々に狭路になってくる。落

  ち葉や落石が増え始めた頃。

 

4.旧道となってからはあまり整備されなくなった

  模様。旧酷道の雰囲気はある。

5.笠木TNを出た所にて。2001年まではR30

  9国道標識が立っていた。

 

■新川合TN旧道【奈良県吉野郡西吉野村〜奈良県吉野郡天川村】

 r49(県道勢井宗川野線)との交差点からはR309旧道は2車線幅となるが、急勾配・急カーブの連続するワインディングとなる。周囲は山中ではなく開けているので明るい道だ。適度な勾配と適度な急カーブが連続する走りやすい2車線道となっているためか、夜になると地元の走り屋達が集まるようで、急カーブには黒々としたタイヤ痕が残り、バーストしたタイヤが放置されている。

 r49交差点から約1.5km進み、小刻みなカーブのある坂道を上りきると川合TN(正式には川合隧道)に到着。道幅はここから1.5車線幅となる。1.5車線幅の川合TNを通り抜けると 吉野郡天川村に入る。かつては”秘境の地”と言われた村だ。TNから先は深い山中を通る1.5〜狭い2車線道が続く。旧道になってから交通量も少なくなったので路面には落ち葉が溜まり、一部コケが生えている所もある。路面も整備されないためか荒れ始めている箇所も出始めており、旧道となりつつある。秘境へ続く『3ケタ国道』の雰囲気が色濃く残っている区間だ。

 小刻みなブライドカーブが続く勾配の強い坂道を下る。現役時代に離合のために拡幅されたカーブが何カ所かある。やがて左下に現R309の2車線道が見えてくる。それからほどなくして現R309と合流した。川合隧道から約2.1km、r49交差点から約3.6kmである。

6.川合TN手前の旧旧道分岐点にて。当時は

  まだ2車線道だった。

  (天川村→黒滝村方向を撮影)

7.1954年(昭29年)に開通した川合トンネル。

  川合隧道というのが正式らしい。最初は素堀

  だったとか。

8.天川村側に入るとしばらくは2車線道が続く。

  路肩の草木が徐々に浸食を開始しており、すで

  に1.5車線幅になった場所もあった。

9.鬱蒼とした山中を通る狭路坂道が続く。

  路面状態もあまり良くはない。

10.天川村側にある大きなカーブ。このカーブを

  過ぎると谷間に下りて行く。

11.99年レポの写真2の反対側にあった国道標

  識。TOP写真もこれ。

 

12.鬱蒼とした杉林の中を行く。整備されていな

  いのか、路面状態は悪くなる。

13.天川村側分岐点に到着。左に分岐するのが

  R309旧道である。

 

<<写真はすべて2001年8月撮影>>

注意>>文中の市町村名は当時のものです。吉野郡西吉野村は2005年(平17年)9月25日付けで奈良県五條市に編入され、今は五條市西吉野町になっ

     ています。

◆2001年レポート終わり

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