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国道368号線旧道(1)

上野名張バイパス旧道/名張市内旧道

太郎生バイパス旧道

小屋道路/杉平バイパス旧道

上多気地区旧道

◆国道368号線上野名張バイパス旧道

 R368上野名張バイパスは、三重県伊賀市菖蒲池(あやめいけ)〜名張市蔵持町間に建設された全長9.4kmのバイパス道路。片側2車線の4車線道路として計画され、上野名張バイパスとしては昭和63年(1988年)に事業化。暫定的に対向2車線道として平成12年(2000年)に供用開始している。

 旧道はR368現道の東側を通る対向2車線道。もともとは名張街道だったルートの後身である。バイパス開通後もしばらくは国道指定されていたが、いつの間にか国道指定を解除されてしまっている。現在は県道の一部と市道に降格されて余生を送っている。

 上野名張バイパス旧道であるが、なかなか走りに行く機会がないため、今だに走行できないでいる。m(_ _)m いずれ機会を見つけて走行することにしているが、いつになるのだろうか・・・・・。

◆国道368号線名張市内旧道

 名張市街地内のR368旧道は、先述の上野名張バイパス旧道の続きとなる。現在はr57(県道上野名張線)となっている道筋が旧道で、名張市南町からは、一部区間が現在の県道区間から離れて市道となっているが、r80(県道奈良名張線)の道筋に入り名張川沿いに出て名張川右岸を進み、R165(初瀬街道)との夏見交差点に至っていた。

 夏見交差点からはr691(県道名張青山線)のルートを進むが、名張市下比奈和で県道ルートから離れて市道となり、名張川に沿って南下。名張市上比奈和で比奈和ダムに至り、ここで旧道は消失してしまう。比奈和ダムによって出来たダム湖(比奈和湖)湖底に水没してしまった。

 R368現道は何度か走っているのだが、名張市内の旧道についても走る機会がないままとなっている。いずれ機会を見つけて調査するつもりではいるが、いつになるやら・・・m(_ _)m

国道368号線太郎生バイパス旧道

 R368太郎生バイパスは、三重県津市美杉町(旧:一志郡美杉村)太郎生(たろお)〜奈良県宇陀郡御杖村神末間に建設されたバイパス道路。全区間が一度に開通したのでなく、太郎生地区の下太郎生〜中太郎生間が部分開通した後に、県境区間を含めた中太郎生〜御杖村神末間が開通。県境を含む南端の区間は平成16年(2004年)10月1日に開通しているが、他区間の開通年は資料が少なく不明である。m(_ _)m

 

 

■国道368号線太郎生バイパス旧道【現役国道時代】

国道368号線太郎生バイパス旧道【平成20年(2008年)レポート】

>>Update H22(2010).06.01

○国道368号線太郎生 バイパス旧道

  【現役国道時代】

 @管理人の持つ旧道現役国道時代のデジカメ写真は、平成14年(2002年)6月頃からとなっている。それ以前の写真はプリント写真のネガとなるので、探せばあるのかもしれない。(^^;)

 平成14年6月時点では、三重県一志郡美杉村(当時)太郎生〜奈良県宇陀郡御杖村神末間は建設中で、美杉村内の上太郎生〜下太郎生間が2車線道のバイパスとなっていた。宇陀郡御杖村神末の敷津交差点から北上すると、2kmほどで狭路となり県境を越えて三重県に入り名張川沿いを進んでいた。上太郎生地区から北(名張市方面)は整備された2車線道となっていた。

1.平14年当時の県境。現役国道の県境だっ

  た。まだ『美杉村』だった頃。

2.上太郎生地区内の当時のR368。狭路の続く

  ローカル国道だった。

3.中太郎生地区の連絡道路分岐点。ここから北

  は平14年以前に供用開始されている。

<<写真はすべて平成14年(2002年)6月撮影>>

注意>>市町村名は走行当時の名称です。

○国道368号線太郎生バイパス旧道

  平成20年(2008年)レポート

 平成14年(2002年)6月以後は、敷津交差点から北(名張方面)に向かうことがなかった。平成16年(2004年)10月に県境区間のバイパスが開通したものの、走りに行ったのは平成18年(2006年)6月になってから。この時は旧道区間は走らずに、バイパス区間だけを往復しただけで終わっている。

 太郎生バイパス旧道を走ったのは、平成20年(2008年)10月になってから。旧道となってから4年近く経過してからである。この時は奈良県→三重県に向かって北上しているのだが、中太郎地区でミスコースしてしまっているので、旧道を完全にトレースしていない。(^^;)

【レポートは南→北方向(奈良県→三重県方向)です。】

■奈良県宇陀郡御杖村神末〜三重県津市美杉町太郎生

 R368太郎生バイパス旧道の南側分岐点は奈良県宇陀郡御杖村神末 (こうずえ)地内となる。R369との交差点である敷津交差点から北(名張市方面)に向かって2kmほど進むと分岐点に至る。直進する整備された2車線道から右に向かって分岐する狭い2車線道が旧道。典型的な旧道分岐点だ。

 旧道はすぐに1.5車線幅の狭路となり山間の農村地帯を進んで行く。分岐点から400mほど進むと奈良県・三重県の県境に到着。『これより三重県です』というアーチは残っていた。アーチの柱にあったR368国道標識は、三重県側は残っていたのが、奈良県側は撤去されていた。 市町村名の標識も、津市との合併が行われたため『美杉町』に変わっていた。

 県境を過ぎると三重県津市美杉町(旧:一志郡美杉村)太郎生地区に入る。生活道路となった狭路を500mほど進むと上太郎生地区(東下地区)の町中に入り、ほどなくしてR368現道との交差点に到着する。南側分岐点から約1.1kmであった。

1.旧道南側分岐点。奈良県宇陀郡御杖村神末

  にある。旧道は右に向かう。

2.旧道は1.5車線狭路となる。ローカル道とな

  って北に向かう。

3.やがて県境に到着。奈良県側の国道標識は

  撤去されていた。

 

4.三重県に入る。津市美杉町になっていた。

  引き続き狭路のローカル道が続く。

5.やがて上太郎生地区の町中に入る。1車線

  狭路区間がある。この先で現道と交差。

 

<<写真はすべて平成20年(2008年)10月撮影>>

■三重県津市美杉町太郎生

 美杉町太郎生の上太郎生地区(東下地区)の町中でR368現道との交差点を過ぎてからも狭路で進んで行く。名張川を渡ると2車線道となってR368現道に至るが、この道はバイパス建設時に作られた連絡道路。名張川を渡った付近で左に分岐して中太郎生地区の町中を通るのが旧道である。@管理人は、この狭路を見落としてしまい連絡道路でR368現道に出てしまっている。気付いたのは帰宅後であった。

 r667(県道太郎生伊勢八知停車場線)起点となる中太郎生交差点を左折すると旧道ルートに戻る。町中の生活道路となっている狭路をしばらく進むと、狭い2車線ぐらいの道幅となる。名張川を右側に見て、淡々と平坦な道を進んで行く。民間の自動車整備工場前を過ぎると林の中を進むがすぐに終わり、約1kmでR368現道をアンダーパスして下太郎生地区(寺垣内地区)の町中に入る。あとは名張川に沿って大きくカーブしながら進み、ほどなくしてR368現道との北側分岐点に到着する。

6.上太郎生地区の町中を進む。この先のカーブ

  を曲がると名張川を渡る。

7.ミスコースして連絡道路で現道に向かってし

  まった。

8.R368現道と連絡道路交差点。名張側から撮

  影。

9.中太郎生交差点を旧道側から見る。交差点

  手前でミスコースした旧道が合流している。

10.旧道に戻り走行を再開。センターラインのな

  い狭い2車線道が続く。

11.平坦な道路で淡々と町中を進んで行く。道路

  右側には現道が見える。

12.町中を抜けるとローカル道らしい光景の中を

  進んで行く。

13.やがてR368現道が見えてくる。現道をアン

  ダーパスして下太郎生地区の町中に入る。

14.最後は大きくカーブを描いてR368現道と合流

  する。

<<写真はすべて平成20年(2008年)10月撮影>>

◆平成20年(2008年)レポート終わり

 

<<MEMO>>

■概況・交通量など

 太郎生地区の旧道は、今は地区の生活道路となって余生を送っています。

 本文中にも書いていますが、@管理人は走行時にミスコースしてしまい、旧道を完全にトレースしていません。機会があれば再度走行してきます。

■ガソリンスタンド

 上太郎生地区に1軒ありました。

■アドバイス

 特に問題なく走ることが出来ます。

■注意点

 生活道路であり、旧道沿いに学校などがあるので、歩行者には注意してください。

●走行DATA

R368太郎生バイパス旧道

【南→北方向を走行】

>>走行日:平成14年(2002年)6月7日【現役国道時代】/平20年(2008年)10月9日

【合併情報】

●平成18年(2006年)1月1日付けで、三重県久居市、安芸郡河芸町、安芸郡芸濃町、安芸郡美里村、安芸郡安濃町、一志郡香良州町、一志郡一志町、

 一志郡白山町、一志郡美杉村の1市7町1村が三重県津市と対等合併しました。このうち一志郡美杉村は『津市美杉町』になりました。

【太郎生バイパス旧道終わり】

国道368号線小屋道路/杉平バイパス旧道

 R368小屋道路/杉平バイパスは、奈良県宇陀郡御杖村〜三重県津市美杉町杉平間の県境を挟んで建設されたバイパス道路。(L=1100m) 奈良県側(L=780m)はR368小屋道路、三重県側はR368杉平バイパス(L=330m)と いう事業名であった。

 奈良県と三重県との県境を挟む狭路区間のバイパス道路として建設され、平成19年(2007年)11月19日に供用開始となった。それまではかつての伊勢本街道筋のルートを通る狭路で、御杖村神末の小屋地区と美杉町杉平地区の集落内を通っていた。奈良県と三重県の県境には県境を 示す標柱が建っている。

■国道368号線小屋道路/杉平バイパス旧道【現役国道時代】

国道368号線小屋道路/杉平バイパス旧道【平成20年(2008年)レポート】

>>Update H22(2010).06.01

○国道368号線小屋道路/杉平バイパス旧道

  【現役国道時代】

 @管理人 が撮影した最も古いR368旧道現役国道時代のデジカメ写真は平成14年(2002年)6月頃となっている。それ以前の写真はプリント写真のネガとなるので、探せばあるのかもしれない。(^^;) ひとまずは平成14年6月撮影写真を掲載。

 この頃は現役国道であり、狭路ながら意外と交通量の多い区間であった。オリジナル写真を見ると、旧道(当時は現役道)の南側にはバイパス(現道)の姿はなく、工事すら行われていなかった。山間の農村部を行くローカル国道だったのだ。

 奈良県・三重県の県境となるのは井ノ尻谷と呼ばれる谷の中央で、ここはかつての大和国と伊勢国の国境でもあった。谷には短い橋が架けられており、この橋の中央が県境ということになる。橋の東詰には現代の県名標識の他にも標柱が建てられている。

1.美杉村杉平の集落に向かう。この付近はセ

  ンターラインのある2車線道だった。

2.県境。『奈良県』の標識の奥に高さ約4mの

  石製標柱が立っている。

3. 『ここから御杖村です』のアーチ。R368国道

  標識が設置されていた。

<<写真はすべて平成14年(2002年)6月撮影>>

国道368号線小屋道路/杉平バイパス旧道

  【平成20年(2008年)レポート】

【レポートは三重県→奈良県方向(東→西方向)です。】

 R368小屋道路/杉平バイパスが開通したのは平成19年(2007年)11月中旬。@管理人は翌年の平成20年(2008年)1月に現地を訪れている。1月に御杖村付近にバイクで向かうのは、路面凍結・積雪の恐れがあり危険だったのだが、この時は比較的暖かい日が続いていたので路面凍結の可能性も低かった。R369を走った時に敷津交差点から”寄り道”して立ち 寄り、旧道を三重県側から奈良県に向かって走行した。

 三重県側のR368杉平バイパス旧道分岐点は、旧道が緩やかに現道から分岐するのではなく、バイパス整備にともなって交差点風に改良されている。現道から旧道にはいると、緩やかな坂を下りセンターラインのある2車線道に入る。ほどなくして津市美杉町(旧:一志郡美杉村)杉平の集落に入り、集落を少し進むとセンターラインのない狭い2車線幅となる。

 山間の長閑な農村地帯の風景の中を進むと、やがて井ノ尻谷を渡る橋に至る。この橋が奈良県・三重県の県境となる。橋の東詰(三重県側)には『奈良県御杖村』の標識が立っているが、正確には橋中央(谷の中央)から先が奈良県となる。県名村名標識の後ろには、石標柱が建っている。これは大正5年(1916年)5月頃に立てられた標柱らしい。石標柱正面には『井ノ尻谷中央以東三重縣』と標されている。『御杖村史』によれば西詰(奈良県側)には奈良県の表示があった木柱があったらしい 。

 井ノ尻谷を過ぎると奈良県宇陀郡御杖村に入る。奈良県側はR368小屋道路旧道ということになる。少し勾配のある1.5車線狭路坂道を進むと御杖村神末の小屋地区の集落に至る。山間の静かな農村で、場所的には奈良県最西端の集落ということになるのだろう。集落を過ぎると杉林の中を行く狭路となる。狭い2車線幅ぐらいあるのだが、すでに路肩には落ち葉が積もって、走行可能な路面は1.5車線ぐらいに減っていた。旧道らしい変化が見られる。

 杉林はすぐに終わり、ほどなくして整備された2車線道のR368現道との合流点に到着する。距離にして1kmほどであった。

1.三重県側分岐点。交差点風になっている。

  案内標識が旧道があることを示している。

2.旧道から現道を見る。東行きにはR368国道

  標識が残っていた。

3.センターラインのある2車線道で杉平集落に入

  る。西行きの国道標識は撤去された。

4.集落内は狭路のローカル道。ガードレールに

  国道ステッカーがあった。

5.県境に到着。橋の手前に県名標識と石標柱

  が建っている。

6.橋を渡ると奈良県御杖村に入る。このアーチは

  このまま残されていた。

7.御杖村小屋地区の集落に入る。少し勾配の

  ある狭路が続く。

8.集落外れにR368国道標識があった。西行き

  (三重県→奈良県)方向のもの。

9.薄暗い林の中を行くがすぐに終わる。落ち葉が

  積もり道幅が狭くなっている。

   

10.奈良県側分岐点。バイパス整備にともない、

  交差点のように改良された。左が旧道。

 

 

<<写真はすべて平成20年(2008年)1月撮影>>

◆平成20年(2008年)レポート終わり

<<MEMO>>

■概況・交通量など

 旧道となり地区の生活道路となりました。

■注意点

 冬期は路面凍結・積雪があるので注意してください。

参考資料・文章引用元>>御杖村史(昭和51年刊)

●走行DATA

小屋道路/杉平バイパス旧道

【三重県→奈良県方向を走行】

>>走行日:平14年(2002年)6月7日【現役国道時代】/平20年(2008年)1月10日

注意>>この区間が現役国道時代は、走行方向問わず頻繁に走行しています。走行日は使用写真の撮影日のみを記載しています。

【合併情報】

●平成18年(2006年)1月1日付けで、三重県久居市、安芸郡河芸町、安芸郡芸濃町、安芸郡美里村、安芸郡安濃町、一志郡香良州町、一志郡一志町、

 一志郡白山町、一志郡美杉村の1市7町1村が三重県津市と対等合併しました。このうち一志郡美杉村は『津市美杉町』になりました。

【小屋道路/杉平バイパス旧道終わり】

国道368号線上多気地区旧道

 三重県津市美杉町(旧:一志郡美杉村)上多気(かみたげ)は、伊勢本街道の宿場町として栄えた町。 美杉町奥津から飼坂(かいさか)峠を越えてきた伊勢本街道は上多気の町中に入っていた。

 R368現道は整備された2車線道で上多気の町の南側を通り抜けているが、旧道は町中を経由している。かつての伊勢本街道沿いのルートとなるが、平成6年(1994年)の飼坂トンネル開通まで飼坂峠区間に車道はなく、飼坂峠旧道は昔のままの街道(登

山道)で車両通行不可能な峠道であった。なので車道としての旧道は上多気の町中以東だけということになる。

 飼坂峠区間を含めた上多気地区のR368現道(バイパス道路)の経緯は、資料が少ないのでよく分からない。m(_ _)m トンネル銘板には平成元年(1989年)8月トンネル開通となっており、平成2年(1990年)撮影の航空撮影写真にはR422以西に道(工事用道路?)が出来ているのが確認できるので、飼坂トンネル開通後に道路建設が開始されたようだ。平成7年(1995年)撮影の航空撮影写真には現道が全区間確認できるので、平成6年(1994年)の飼坂トンネル供用後のことと思われる。

■国道368号線上多気地区旧道【平成20年(2008年)レポート】

>>Update H22(2010).06.01

○国道368号線上多気地区旧道

  【平成20年(2008年)レポート】

【レポートは津市→松阪市方向(西→東方向)です。】

■上多気地区【六橋東詰】

 三重県津市美杉町(旧:一志郡美杉村)上多気のR368・R422交差点(上多気交差点)からr30(県道嬉野美杉線)に入り、200mほど北に向かうと美杉町上多気の旧道分岐点に至る。八手俣川を渡る六橋西詰が旧道が分岐する交差点で、交差点角には道標が立っている。六橋東詰近くのガードレールにはR368国道ステッカーが残っており、分岐する道がR368旧道であることが分かる。

1.r30を北(久居)方面に向かうと、旧道分岐点

  に至る。この先が分岐点。

2.分岐点から飼坂峠方向を見る。旧街道沿いの

  宿場町の風情が残る。

3.六橋西詰。角には道標が立っている。旧道は

  六橋を渡る。

 

4.六橋を渡ると狭路坂道となる。ガードレールに

  国道ステッカーが残っていた。

5.写真4のステッカーを拡大。この狭路が国道

  であったことを証。

 

<<写真はすべて平成20年(2008年)10月撮影>>

■上多気地区【町尾〜立川】

 六橋を渡ると1車線狭路となり、上多気(町尾地区)へ入る。伊勢本街道筋ということもあり、旧街道の宿場町の面影が残る町中を淡々と進んで行く。300mほど進むと町中から離れて立川沿いに進むようになる。1〜1.5車線幅の狭路を少し進むと上多気(立川地区)の集落に入り、集落を抜けて右カーブを曲がると、上立川橋東詰でR368現道と交差する。

 R368現道を過ぎると数軒の民家がある集落を通り抜ける。やがて狭路同士の分岐点に至る。道路的には直進する狭路が旧道なので直進してみたが、立川を渡ったところで道は消失して更地(工事現場)となっていた。なので分岐点に戻って、左側に別れる狭路坂道(連絡道?)を駆け上がるとR368現道と合流した。上多気地区東端付近の旧道は、R368現道(バイパス)建設時に消失したものと思われる。

6.やがて平坦な狭路となって町尾地区の町中

  に入る。旧街道の面影が残る。

7.少し進むとのんびりした山間の農村風景が

  広がる。

8.途中にあったポール。国道標識があったのだ

  ろうか?(東→西方向を撮影)

9.少しだけ民家が途切れる。右端のガードレー

  ルにもR368国道ステッカーが残っていた。

10.やがて上多気の立川地区に入る。ここも旧

  街道の面影が残る。

11.現道の上立川橋東詰でR368現道と交差す

  る。旧道はまだ続き、このまま直進する。

12.山間の農村集落を通り抜ける。

  (東→西方向を撮影)

13.やがて分岐点へ。R368現道へは左の坂道

  に向かう。本来は右の道が旧道だろう。

14.旧道の東側分岐点。左に分岐するのが旧道。

  ただし本来の旧道ではない。

<<写真はすべて平成20年(2008年)10月撮影>>

◆平成20年(2008年)レポート終わり

<<MEMO>>

■概況・交通量など

 上多気地区の(車道としての)旧道は、r30から東の区間ということになります。伊勢本街道の面影を色濃く残す町中を通る生活道路として余生を送っています。バイクでウロウロし始めたときから旧道の存在は知っていたのですが、走ったのは平成20年10月のこと。走り始めた頃(平8年頃)に旧道を走っていたら、国道標識が残っていたかもしれません。

 本文中にも書いていますが、上多気地区東端付近は旧道が消失しています。現道(バイパス)の盛土により消失したものと思われます。ということは、本来の伊勢本街道も消失したということでしょうか?

■注意点

 シーズン中は伊勢本街道を歩くハイカーさんが多く見られます。走行時は注意してください。

●走行DATA

上多気地区旧道

【西→東方向を走行】

>>走行日:平20年(2008年)10月9日

【合併情報】

●平成18年(2006年)1月1日付けで、三重県久居市、安芸郡河芸町、安芸郡芸濃町、安芸郡美里村、安芸郡安濃町、一志郡香良州町、一志郡一志町、

 一志郡白山町、一志郡美杉村の1市7町1村が三重県津市と対等合併しました。このうち一志郡美杉村は『津市美杉町』になりました。

【上多気地区旧道終わり】

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