>>R439旧道TOP

国道439号線旧道(1)

新高須トンネル旧道

●新高須トンネル旧道

 R32交差点からR439に入ると、新高須トンネルを抜けて高知自動車道大豊ICに出る。R439は新高須トンネルで長岡郡大豊町高須地区と川口地区にある峠(高須峠?)を越えるのだが、トンネル名の通り”新”高須トンネルとあるとおり、現トンネルはバイパストンネルということになる。

 新高須トンネルより前にあったでろう「高須トンネル」を含む旧道があるのだが、地図上には表記されていない。

>>Update 2007.11.28

○国道439号線新高須トンネル旧道

  【2007年レポート】

 リンク先のサイト『山形の廃道』にある1967年(昭42年)版隧道リストによると、高須隧道の全長は346m、竣工は1932年(昭7年)とある。 以来、県道〜国道と大豊町と本山町・土佐町方面を結ぶ主要道路の一部として活躍してきた。

 しかし昭和初期建設ということもあり老朽化してきたこと、高知自動車道へのアクセス道路としてはやや役不足ということもあってか、高須隧道の下に新トンネルの建設が決定。ほぼ直線の快適な2車線幅の新高須トンネルが1986年(昭61年)5月に供用開始

となった。これにより高須隧道は廃隧道となり、約54年もの長き役目を終えた。

 廃隧道後は地図から抹消されているが、隧道自体は通行不可能だが残っている。

■高須隧道西側抗口

 新高須トンネル旧道の西側分岐点は、新高須トンネル西側抗口前となる。高知自動車道大豊ICを過ぎてR32に向かうとすぐに現れるトンネルが新高須トンネル。新高須トンネル抗口の横に、もう一本道路が分岐しているが、この道がR439高須トンネル旧道となる。

 IC入口から料金所への道路のボックスカルバード(函型管渠)をくぐると、コンクリ製の抗口が現れた。新高須トンネル旧道の高須隧道である。抗口は頑丈な扉が設置されて封鎖されていた。通り抜け不可能な状態となっていた。

 抗口横には錆びた標識が残されていた。右方向の矢印が判別できるだけで、文字は判別不可能な状態だ。隧道内で急カーブがあるのだろう。

 分岐点から隧道前までは約20mほど。広い路肩にバイクや車を止めて歩いてすぐだった。

1.新高須トンネル旧道西側分岐点。左の道が

  旧道となる。

2.すぐに高須隧道西側抗口が現れた。ご覧の

  通り抗口は封鎖されている。

3.高須隧道の銘板。昭和6年となるが、隧道が竣

  工したのは昭和7年3月である。

 

4.抗口横にあった標識。錆びてしまった文字は

  判読できない。カーブがあることは分かる。

5.抗口前からR439を見る。こんなに近い所に

  旧隧道があったのは意外だった。

 

■新高須トンネル旧道【東側分岐点〜隧道前】

【レポートは R32→高須隧道方向です。】

 通り抜けが不可能なので、東側から隧道に向けてアプローチしてみる。R439新高須トンネルをくぐり、R32との交差点を右折してR32高知方面に向かうとすぐに長岡郡大豊町高須地区の町中に入る。町中にR439旧道となる道路がR32と合流しているはずなので、それを確認しながら進んで行く。

 すると現在のR32・R439交差点から約300m、大豊町役場前を過ぎて少し進んだ所で狭い2車線道が合流してきた。他に道はないので、この道がR439新高須トンネル旧道であることは間違いない。R32を高松方面から走ってくると入りずらかったので、交差点を通り過ぎて道の駅『大杉』で引き返して旧道に入った。

 旧道は狭い2車線幅。緩やかな勾配のある坂道で、R32から分岐するとすぐに標高を上げて行く。センターラインのない狭い2車線道の沿道には数軒の民家が建っている。かつてはR439という国道だったが、今では地区の生活道路となっていた。

 400mほど進んで右側に寄ってみると、すぐ真下にR32と現R439との交差点を見下ろせた。交差点から見えていた道路はやはり旧道だったのだ。新高須トンネル開通と同時にR32とR439交差点も変更となったのだ。現交差点近くに旧道が見あたらないはずだ。

 やがて道は緩やかな左カーブを描いていた。R439の国道標識でも付いていたのか、標識を取り付けるポールが立っていた。カーブを曲がると正面に高須隧道東側抗口が現れた。R32分岐点から約500mである。

6.新高須トンネル旧道の東側分岐点。右がR3

  2で、左に分岐するのが旧道。目印は廃GS。

7.分岐点から狭い2車線幅の坂道を駆け上が

  る。センターラインはない。

8.写真7の地点からR32方向を撮影。しずかな町

  中を行く。

 

9.坂を上りきると緩やかなカーブが現れる。

  (隧道→R32方向を撮影)

10.カーブの途中にポールが残っていた。その先

  に高須隧道が見えてきた。

 

■高須隧道東側抗口

 高須隧道東側抗口も西側と同じような造りであった。こちらも扉が設置されて完全に封鎖されており、入ることはもちろんのこと内部を確認することすら不可能であった。

 抗口上部には高さ制限を示す標識があった。制限は4mとある。その標識が付けられた支柱自体が錆びついており、今にも落ちてきそうな状態になっている。廃隧道となってから2007年でかれこれ20年経過したので、そろそろあちこちにボロが出ているようだ。

 抗口横には注意看板があった。それによればトンネル出口付近にS字カーブがあることになっている。やはり隧道内にS字カーブが存在していたのだ。R32側から入ると右カーブを描いていることになるが、その先に左カーブがあって西側抗口に出ていたのであろう。

 それにしても車道の隧道ならが、内部にS字カーブがあるのが謎である。もともとこういう設計だったのか測量ミスかは分からない。調べたところ、高須隧道の竣工は1932年(昭7年)のこと。当時であれば車の交通量もかなり少なく、また速度も出さないので問題なかったのだろう。

 隧道自体は新高須トンネルが開通する1986年(昭61年)5月頃まで現役であった。さすがにこのような隧道では高知自動車道大豊ICへのアクセス道路としては不適だったのだろう。新高須トンネル開通後には廃隧道となっている。

 ところで東側抗口と西側抗口とでは標高差があるように思える。もしかしたら内部の道路は勾配があるのかも知れないが、内部を見ることができないのでは確かめようがない。謎の多い廃隧道である。

11.高須隧道東側抗口前に到着。狭い2車線幅

  の典型的な昔の隧道。

12.こちらも封鎖されている。高さ制限の標識が

  今にも落ちてきそうな状態で残っていた。

13.東側抗口の銘板。コケが付いている。そのすぐ

  脇のコンクリには大きな亀裂が・・・。

 

 

14.注意看板。トンネル内部にS字カーブがある

  ことを示している。

 

 

◆2007年5月12日走行。写真はすべて同じ日に撮影。

<<MEMO>>

■概況・交通量など

 ”新●●トンネル”というトンネルがあれば、通行可能不可能はともかくとして、その近くには必ず旧トンネルがあります。今回の新高須トンネルもこの法則が当てはまり、現トンネルの上に旧トンネルが存在していました。

 長岡郡大豊町のR32・R439交差点は何度か訪れています。R439新高須トンネルを越えるたびに旧トンネルと旧道を見つけようとしたのですが全く見つからなかったので、長らく気になっていました。2007年5月にR439郷ノ峰峠旧道を調査した後、

大豊ICから高知道に入るために大豊町に来たので、夕方でしたが旧道を探し出した次第です。

 以前から地図で大凡の検討は付けていたので、あとは現地確認するだけで時間はそうかかりませんでした。ただ西側抗口の場所は現地に行くまで分からず、まさかと思って歩いて確かめに行ったら見つけたという次第。

 旧隧道自体は廃隧道となり、倉庫に転用されたそうで通り抜け不可能となっています。何を保管しているんでしょうね?

■注意点

 R32・R439交差点方面から旧道東側分岐点に入るのは難しいので、一旦通り過ぎて道の駅『大杉』で引き返すことをお勧めします。右折レーンはないので、ヘタに止まると渋滞を起こしかねません。

 旧道が分岐する交差点には感応式信号は付いていますが、R32側の信号が”赤”になるまで時間がかかります。旧道からR32に入る場合は気長に待ちましょう。

●走行DATA

新高須トンネル旧道

【往復走行】

>>走行日:2007年5月12日

【新高須トンネル旧道終わり】

>>国道439号線旧道(2)

>>R439旧道TOP

>>R391〜R449旧道に戻る