国道166号線旧道(2) |
■菟田野地区旧道 ■佐倉峠旧道 ■鷲家地区旧道 |
◆国道166号線菟田野地区旧道 |
宇陀市菟田野区(旧:宇陀郡菟田野町)域を通るR166は、宇陀市大宇陀区(旧:宇陀郡大宇陀町)から菟田野区古市場〜松井〜宇賀志〜佐倉峠を経て、吉野郡東吉野村鷲家に至る榛原街道(萩原街道)が前身となる。榛原街道は宇陀と高見越伊勢街道(伊勢街道南路、和歌山街道)を結ぶ幹線ルートでもあり、明治20年(1887年)には甲種里道の榛原街道(萩原街道)に指定。明治末期〜大正時代初期頃には奈良県道榛原街道(萩原街道)に昇格。そして大正9年(1920年)に県道鷲家三輪停車場線(榛原鷲家線)に指定された。 同県道は戦後の昭和28年(1953年)5月に国道166号線に昇格する。国道昇格後も明治時代の榛原街道のルートに沿っていたが、菟田野町(現:菟田野区)古市場〜松井にかけての区間が昔からの町中を通り、道幅が狭いことから 渋滞や離合困難などの交通上での障害が起こるようになった。 そこでR166菟田野バイパスが建設されることになり、古市場付近では芳野川右岸の堤防上を通り、古市場〜松井間は市街地の東側を通るようなルート設定がなされた。菟田野バイパスは古市場米谷橋〜松井新橋間が昭和41年(1966年)に開通、 さらに水分大橋以西の区間が昭和44年(1969年)に開通した。松井新橋から南の佐倉峠までのバイパス道路がいつ頃開通したのかは資料が無く不明だが、昭和41年以降に建設され昭和52年(1977年)までに開通していると思われる。(国交省の国土変遷アーカイブの空中撮影写真による) |
参考資料>>菟田野町史(昭和43年刊) /東吉野村史(平成4年刊) |
■国道166号線菟田野地区旧道【2001年走行レポート】 |
>>Update 2009.05.30 |
○国道166号線菟田野地区旧道 【2001年走行レポート】 |
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R166はよく走るのだが、菟田野地区の旧道は平成13年(2001年)5月以降は走っていない。いつも横目でみながら通り過ぎるのみとなっている。見ている限りでは大きな変化がないので再走行せずにいる。平13年(2001年)5月は松井地区のR166現道交差点を境にして別々の方向に走っている。 |
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■宇陀郡菟田野町〜宇陀郡大宇陀町 |
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【レポートは菟田野町→大宇陀町方向(東→西方向)です。】 |
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菟田野地区旧道 の松井地区から西側の区間は、R166現道の新松井橋の南から始まる。佐倉峠から大宇陀町方面に向かうと、左側に分岐する狭い2車線道がある。この道が菟田野町松井〜古市場の町中を進む旧道。後述する宇賀志地区旧道からの続きとなる。 分岐すると松井橋で芳野川を渡って菟田野町松井地区の町中に入る。芳野川を渡るとr31(県道榛原菟田野御杖線)と合流し、旧街道筋の雰囲気が濃い町中を進む。舗装された1.5車線道が続き、沿道には昔ながらの造りの家屋が建ち並ぶ。町中はr31のようだが、県道を示す標識などはなかった。 菟田野町古市場地区に入る付近にある地蔵ヶ辻交差点でR166現道と交差する。この交差点の信号は長い。R166現道は町の南側を芳野川の堤防沿いに迂回するように進むが、旧道(現:r31)は旧街道に沿ってここから古市場地区の町中に入る。 古市場地区のr31は、道幅が狭いために、9〜19時は自動車の通行禁止(大宇陀町→東吉野村方向の一方通行?)の通行規制が行われている。この通行規制が行われている区間は、旧街道沿いの町の雰囲気が濃い区間だった。 規制はr218(県道内牧菟田野線)との交差点まで。ここから先は古市場地区のやや新しい町中を進む。さきほどまでの昔ながらの造りの家は少なくなり、鉄筋造りの家や小さいビルが目立つようになる。 旧道はR166現道からの2車線道(r31)との交差点でr31から離れ、R166現道の北側を再び走るようになる。1.5〜2車線幅の道を西へ向かうと、菟田野町岩崎地区で現R166と合流する。 |
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*以前のレポートを修正・訂正し、写真を差し替えて再掲載しています。 |
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注意>>市町村名は走行当時の名称です。 ◆2001年5月13日走行。写真はすべて同じ日に撮影。 |
■宇陀郡菟田野町 |
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R166新松井橋を渡ると緩やかな坂道となる。この坂道が始まる付近で右側に分岐する道がR166旧道。旧道は宇賀志川に沿って大きくカーブしながら進み、500mほどでR166現道と交差する。ここからは菟田野町宇賀志の集落内を1.5車線道で進んで行く。道は完全に生活道路となっている。700mほど進むとR166現道と交差する。完全に交差するのではなく、”接する”と書いた方が正しい。旧道は現道と平行し、宇賀志川を渡ったところで現道と合流する。 その先で再び現道から別れるがすぐに現道と接近。その先は菟田野町佐倉地区の集落内に入り、1.5車線狭路で淡々と進んで行く。昔ながらの家屋が多い集落を通り抜けるとR166現道と合流する。 |
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*以前のレポートを大幅に修正し、写真を差し替えて再掲載しています。 |
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◆2001年5月13日走行。写真はすべて同じ日に撮影。 |
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◆2001年レポート終わり |
<<MEMO>> |
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■概況・交通量など 菟田野地区の新松井橋以南のR166バイパス道路(現道)がいつごろ開通したのかははっきりしていません。昭和47年(19 72年 )発行の地図を見ると、R166は既に現在のルートで記されていました。 昭和41年(1966年)撮影の空中撮影写真には新松井橋以南にはバイパス道路がないので、それ以降の開通ということになります。 旧道のうち、県道区間は旧街道の雰囲気を色濃く残す区間です。町中の生活道路で、沿道にある小学校へ通学する小学生達が歩いています。走行時は注意してください。 |
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●走行DATA |
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奈良県宇陀郡菟田野町 【両方向を走行】 >>走行日:2001年5月13日 *町名は走行当時 |
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【合併情報】 ●2006年(平18年)1月1日付けで、奈良県宇陀郡大宇陀町・菟田野町・榛原町・室生村の1村2町が対等合併して『奈良県宇陀市』になりました。 各町 村はそれぞれ、『宇陀市大宇陀区』『宇陀市菟田野区』『宇陀市榛原区』『宇陀市室生区』となりました。 |
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【菟田野地区旧道終わり】 |
宇陀市菟田野区(旧:宇陀郡菟田野町)と吉野郡東吉野村の境付近にあるのが佐倉峠。地形の関係から、峠の北側はなだらかな斜面となっているのに対して南側は急斜面となっている。 宇陀と鷲家を結ぶ重要な路線である榛原街道(萩原街道)にとって佐倉峠(桜峠とも書く)は難所であった。鷲家側が急斜面の峠道であったうえに地質が悪く、上り下りに大変苦労したそうだ。そこで沿道の村々の有志が発起人となり、明治15年(1882年)6月に佐倉峠の開削事業が計画された。翌16年には測量と設計が行われ、沿道の村々からの寄付金を集めたうえで堺県(当時)知事の許可を受けたうえで8月に工事が開始された。もともと地質が悪いことから難工事となったが、3年近い歳月を経て明治18年(1885年)10月にやっと改修工事が終了し、人はもちろんのこと荷車、馬牛車の通行が容易になった。 しかし明治29年(1896年)9月の暴風雨により道路は破壊されてしまう。沿道の村々では再び寄付金を募り、また奈良県議会の協力も得て佐倉峠越えの道の改修工事が行われ、明治33年(1900年)に完成した。このときの改修工事は道路自体を抜本的に改修した工事となり、佐倉峠を越える道はS字形の緩勾配の坂道となった。 |
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以後、佐倉峠の道は少しづつ整備・改良されていったが、昭和6年(1931年)10から1年4ヶ月をかけて再び大改良工事が行われ車道として整備された。 この道路がそのまま戦後の国道166号線として指定されることになる。この後については資料がほとんどないので推測になるが、佐倉峠南側では道路の改良が行われることになり、昭和40年代後半には現道となる2車線坂道のバイパス道路が開通したものと思われる。 |
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その後の旧道であるが、平21年(2009年)5月に現地を訪れてみたところ、残土処分場か何かになってしまい旧道自体はほとんどが消失してしまっている。わずかの残った旧道自体も廃道となり、旧道入口にはゲートが設置され走行不可能になっている。 |
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参考資料>>菟田野町史(昭和43年刊)/東吉野村史(平成4年刊) |
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>>Update 2009.05.30 |
○国道166号線佐倉峠旧道 |
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佐倉峠に旧道があることは以前から知っていたが、どこから分岐しているのかが分からなかった。R166佐倉峠を東吉野村鷲家に下ると、坂道が終わる付近で分岐する道がある。この道が怪しいと思っていたのだが、この道が東吉野村側(東側)分岐点としても、宇陀市側(西側)分岐点が見あたらないので分からないままだったのだ。 国道地理院の国土変遷アーカイブを見たところ、昭和41年(1966年)にハッキリと旧道の道筋が写っているのを確認。昭和52年(1977年)撮影の写真では、現道の東側にウネウネと迂回する旧道の姿があった。旧道が存在することを確認したのだが、平11年(1999年)以降に撮影した写真を見ると旧道の道筋が消失してしまっていた。どうやら旧道自体は消失してしまったようだ。 どうりで道が見あたらないわけだ。坂を下ったところにある分岐する道が旧道の残りであり、東吉野村側(東側)分岐点であることが分かったので、実際に調べてみることにして現地に向かった。 |
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■宇陀市側(西側)分岐点 |
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宇陀市菟田野区(旧:宇陀郡菟田野町)からR166を東に向かう。緩やかな坂道を上りきると佐倉峠に到着する。宇陀市菟田野区と吉野郡東吉野村との境にある峠である。佐倉峠を越えるとR166は急勾配の2車線坂道となって東吉野村鷲家に下る。 佐倉峠を過ぎて50mほど進むと左側に広い空き地がある。山中というか山の斜面に不自然に現れる空き地である。空き地の国道寄りにはフェンスが設置されて入ることが出来ない。端には施錠された頑丈なゲートがあって、その先にアスファルト舗装の道路が延びていた。 郷土誌には佐倉峠の道路は、明治33年(1900年)の大改修によって緩やか勾配のS字カーブを描く坂道に改修されたと記述されている。国土地理院の空中撮影写真を見てみると、東吉野村側(東側)分岐点から上がってきた旧道は、北西に向かって大きくカーブしてR166現道と交差。いったん現国道の南西側に出て急カーブを描いて佐倉峠手前で現国道と合流している。 現在、空き地の国道を挟んで反対側には土木業者(?)の資材置き場らしき場所があるのだが、その敷地の外縁が旧国道の道路だった可能性が高い。 一方の空き地であるが、こんな山中に広い空き地があるのは明らかに不自然。昭和41年(1966年)撮影の写真には空き地は写っていない。どうやら山の斜面を切り崩して土砂を取り出したのか、鷲家川の支流となる谷を残土などで埋め立てて出来た空き地のようだ。工事の際に旧道は作業道として活用されたのだろうが、土砂を取り出すときに破壊もしくは埋めてる際に一緒に埋め立てられたかで、佐倉峠寄りの道路はほとんど消失したものと思われる。 ゲートから先に延びる舗装路が、元の旧国道の道路だったのか作業道として作られた道なのかは分からない。空中撮影写真から判断すると、旧道はこの場所に出ていたはずなので、旧道の道路の一部であった可能性が高いと思われる。 道の話とは関係ないが、旧道分岐点には『ひだる地蔵』という地蔵尊が祀られている。”ひだる神”という空腹感を感じさせる憑き物(妖怪)から旅人を守る地蔵尊だとか。もともとは旧道沿いにあったらしいが、旧道の閉鎖(廃道)にともない、家内安全・交通安全の守り本尊として現在地に移転してきたとのこと。 旧道の名残の一つであろう。 |
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<<写真はすべて2009年5月撮影>> |
■吉野郡東吉野村【東側旧道分岐点〜行き止まり】 |
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【レポートは鷲家→佐倉峠方向(東→西方向)です。】 |
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宇陀市側(西側)旧道分岐点からの道がなかったので、東吉野村側(東側)旧道分岐点から入ってみることにした。東吉野村側の旧道分岐点は、鷲家から佐倉峠に向かう2車線坂道の始まる付近。佐倉峠からだと坂を下りきった辺りで、R166国道標識が立っている。 その付近から脇にそれる狭路が佐倉峠旧道なのだが、旧道入口には鉄柵のゲートが設置されており進入不可能となっている。不法投棄などの防止のためだろう。ただゲート支柱の脇に隙間があるので、徒歩もしくは自転車であれば進入は可能であるが、事実上廃道となっているようなので何があっても全ては自己責任となることを明記しておく。 ゲート近くには民家があるが誰も住んでいないようだ。民家を過ぎると緩やかな勾配の1車線狭路坂道となって進んで行く。路面は舗装されてはいるが、路肩からは草が進出してきており徐々に自然に還りつつある。旧道は鷲家川の支流(川名不明)に沿って進んで行く。最初は左側にR166現道が見えていたが、その姿も消えてしまうと谷間を進む寂しい狭路となった。人が通った形跡はほとんどなく、現道を走るバイクや車のエンジン音が時折聞こえるとホッとする。 分岐点からおよそ400mで民家の前を通り抜ける。路肩に廃車体が放置されているが、この民間の持ち物なのか不法に放置されたものかは分からない。その先で鎖によるゲートが現れた。ここまでの路面状態は比較的良好で、時々山中の狭路県道や国道でもお目にかかるような路面であったが、ゲートから先は落ち葉に埋もれ半ばダートと化していた。それでも軽トラのタイヤ痕があるところを見ると、ときどき作業車が入ってきているようだ。 引き続き緩やかな勾配の狭路坂道を進んで行く。すぐ左上にR166現道の橋を見上げるようにして進む。路面状態は悪い。アスファルト舗装の上に落ち葉や土砂が積もって草が生えている。自然に還りつつある状態だった。気が付けば川が道路の右側に移っていた。いつの間にか川を渡ったようだ。やがて小さい砂防ダムが見えてくる。ダム横を通り過ぎると突然アスファルト舗装路が終わり、コンクリ舗装の狭路坂道となっていた。鎖のゲートから約300mである。 コンクリ舗装の狭路坂道を上ると、その先は広大な空き地となっていた。砂防ダムから先の旧道は埋められたのか撤去されたのか分からないが、道路自体が消失してしまっていた。東吉野村側は分岐点から約700mで終わっていた。 |
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<<写真はすべて2009年5月撮影>> |
<<MEMO>> |
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■概況・交通量など 佐倉峠旧道は、東吉野村側(東側)分岐点から約700mで途切れていました。その先は道路自体が消失しています。宇陀市側(西側)分岐点付近から見ると、山の斜面を崩したか谷を土砂で埋めたような状態となっており、その際に消失したようです。 なお、旧道の東吉野村側(東側)分岐点には鉄柵ゲートが設置されており進入できません。 ■注意点 路面状態は悪いので要注意です。なお旧道自体は進入禁止となっているので、入る場合は自己責任となります。 |
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●走行DATA |
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佐倉峠旧道 【行き止まりまで往復】 >>走行日:2009年5月14日 |
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【合併情報】 ●2006年(平18年)1月1日付けで、奈良県宇陀郡大宇陀町・菟田野町・榛原町・室生村の1村2町が対等合併して『奈良県宇陀市』になりました。 各町 村はそれぞれ、『宇陀市大宇陀区』『宇陀市菟田野区』『宇陀市榛原区』『宇陀市室生区』となりました。 |
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【佐倉峠旧道終わり】 |
吉野郡東吉野村鷲家(わしか)は、江戸時代は宇陀からの 榛原街道(萩原街道)と伊勢街道(高見越伊勢街道、伊勢街道南路とも呼ばれる)、東熊野街道支線が交わる宿場町であり、大和の国(吉野地方)にありながら紀州和歌山藩の領地(直轄地)となっていた。江戸時代は伊勢街道が和歌山藩主の参勤交代路として利用されたことから、鷲家には本陣と脇本陣が置かれるなど宿場町として栄えた。 明治以降も鷲家は伊勢街道(かつての東熊野街道支線)・竜門街道(かつての伊勢街道)・榛原街道(萩原街道)が交わる町として栄えた。明治20年(1887年)の奈良県再設置後、これら旧街道は県道・里道として整備され、のちの国道・県道の前身となる。現在、鷲家を通る2本の幹線道路のR166(←伊勢街道・ 榛原街道)とr16こと県道吉野東吉野線(←東熊野街道支線・伊勢街道)は江戸時代の旧街道が先祖ということになる。 昭和28年(1953年)5月に誕生したR166は、旧伊勢街道(高見越伊勢街道)と榛原街道のルートで設定された。鷲家ではかつての宿場町だった町中を通る狭路であったことから、鷲家の町の北側を通るバイパス道路(鷲家バイパス)が建設されることになった。鷲家バイパスに関する資料がほとんどないため推測になるが、R166現道の鷲家トンネルが昭和51年(1976年)10月に竣工しているところから、昭和52年頃に開通したと思われる。 鷲家バイパス開通により町中を通るルートは旧道となったが、現在も生活道路として通行可能になっている。 |
参考資料・文章引用元>>東吉野村史(平成4年刊) |
■国道166号線鷲家地区旧道【2003年走行レポート】 |
>>Update 2009.05.30 |
○国道166号線鷲家地区旧道 【2003年走行レポート】 |
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【レポートは東吉野村→高見峠方向(西→東方向)です。】 |
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■東吉野村鷲家【その1】 |
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R166佐倉峠を下って鷲家に向かう。坂を下って平坦となって小さい川(川名?:鷲家川の支流)を渡る橋の西詰が鷲家地区旧道の西側分岐点となる。左に向かうのは村道で宇陀市菟田野区(旧:宇陀郡菟田野町)宇賀志に向かう旧街道の末裔らしいが詳しいことは不明。 旧道は1.5車線道の狭路で鷲家川の支流に沿って進む。r16(県道吉野東吉野線)のバイパスが開通するまではr16として県道指定されていたそうだ。川を挟んだ北側にR166現道を見ながら平坦な狭路を進む。やがて町中に入り、西側分岐点から600mほど進むとr16との交差点に到着する。かつての辻となり、明治時代の伊勢街道(高見越伊勢街道)と 榛原街道(萩原街道)の辻となる。交差点角には文政11年(1828年)に建立された道標が建っているが、”江戸”の文字が刻まれている道標としては最西端の道標とのこと。参勤交代路として使用された街道の名残とも言われている。 r16交差点からは昔の宿場町の面影を残す町中を進んで行く。1.5〜狭い2車線道で旧街道らしい町中を500mほど進むと鷲家川に沿って進むようになり、R166現道の鷲家川を渡る橋の北詰で、R166現道と合流する。ここが東側分岐点となる。 |
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◆2003年7月17日走行。写真はすべて同じ日に撮影。 |
■東吉野村鷲家【その2】 |
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R166の東吉野村鷲家から東の区間についても整備が行われた。一部区間は従来の道筋を拡幅・改良しているが、R166現道の大部分は別ルートで建設されたバイパス道となっている 。旧来の道筋を分断するようなルートをとっている箇所もあり、部分的にはあるが旧道が取り残されている。 |
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◆2003年7月17日走行。写真はすべて同じ日に撮影。 |
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◆2003年レポート終わり |
<<MEMO>> |
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■概況・交通量など R166はよく走る国道で、鷲家地区は現道を通るので旧道はほとんど走っていません。走行時に見ている限りではほとんど変化はないようです。 鷲家地区の旧道は生活道路となっています。走行時は注意してください。なお、写真7にあるJAのGSは平20年(2008年)夏頃に廃業しています。 |
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●走行DATA |
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鷲家地区旧道 【両方向を走行】 >>走行日:2003年7月17日/他 |
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注意>>この区間は、走行方向問わず 何度か走行しています。走行日は使用写真の撮影日のみを記載しています。 |
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【鷲家地区旧道終わり】 |