>>R166旧道TOP

>>R166旧道(3)

国道166号線旧道(4)

高見峠旧道

◆国道166号線高見峠旧道

●江戸時代の高見越

 高見峠は奈良県と三重県の境にある標高約900mの峠。江戸時代の和歌山街道(伊勢街道)は別名「高見越伊勢街道」と呼ばれた通り、この高見峠を越えていた。先祖にあたる道は、大和朝廷時代に大和と伊勢を結ぶ”南路”と呼ばれていた道であった。

 江戸時代の街道は、奈良県吉野郡東吉野村杉谷からは現在のR166の北側を通っていたようで、小峠と大峠(旧高見峠)を越えて三重県松阪市飯高町舟戸へと下っていた。三重県側のルートも今のR166とは全く違う場所を通っていたことになる。現在の高見峠も江戸時代の高見峠とは違っている。現在の高見峠は車道建設によって切り開かれた峠(新峠)で、 江戸時代の高見峠(旧峠)は今の峠から北へ30mほど上った場所にある。

 

【写真】(現)高見峠から階段を上った所にあ(旧)高見峠。江戸時代の街道が残る。

●明治時代の伊勢街道

 明治時代に入ってからの三重県側の和歌山街道(伊勢街道)はほとんど整備されることなく、江戸時代のままの姿を残すことになる。明治13年(1880年)になってようやく仮定県道和歌山街道として指定されることで、やっと道路(県道)として認定された。しかし、このときの指定の目的は県費をもって「小荷物の通行に差支えなからしむ」程度の補修をするものであった。

 明治22年(1889年)になって沿道の村々の(和歌山街道の)改修願提出によって、ようやく改修されることになった。翌明治23年に仮定県道和歌山街道のうち、波瀬太良木〜松阪間が県道に昇格する。

 これで奈良県に向かう高見越の道筋が活気づくかと思われたが、明治30〜31年(1897〜98年)に参宮鉄道(現:JR紀勢本線と参宮線)と関西鉄道(現:JR関西本線など)が全通することで 急峻な高見峠を越える人が激減してしまい、逆に街道筋はさびれてしまった。

●難航した高見峠の改修

 和歌山街道が寂れて行く姿を、沿道の住民達が黙って見過ごしていたわけではなかった。旧街道のままとなっている高見峠を越える道を整備することで、奈良県方面への輸送ルートを開拓して活気を取り戻そうと考えた。そこで明治42年(1909年)に波瀬村(当時)において高見峠改修計画が立ち上がる。測量にあたっては高見峠の向こう側、奈良県吉野郡高見村(現:東吉野村)より三百円の寄付を受けて行われることになった。ところが測量は翌年に繰り延べされることになった。明治43年(1910年)8月に村議会において予算が計上されて測量が決定されたのだが、その直後に高見村からの寄付金が横領されていたことが発覚。予算は訴訟費用と賠償金に充てられてしまい、測量そのものが中止されてしまった。

 大正2年(1913年)、当時の波瀬村村長によって三重県議会に『高見峠改修請願』が提出された。請願書では工期は5年とし、総額の1割ほどを地元が寄付金として用意するという内容であった。これで議決されるかと思われたが、当時の県議会における党派対立に巻き込まれ、さらに高見峠が改修されると困る立場にあった松阪の木材業界の反発もあって、高見峠改修費用の議決はお流れとなってしまった。

 波瀬村では年々増加する木材や農産物を、松阪を介さずに独自に市場を開拓するために高見峠を改修して奈良県方面への輸送ルートを確保する必要があった。そこで県議会での議決がお流れとなった大正2年、村独自に道路計量費用を寄付金として計上し、ようやく計量が実施された。ところが翌大正3年(1914年)、郡長巡視において、この寄付金が未納であることを指摘されてしまった。測量後のこととはいえ、予算の関係でまたもやつまづいたことになる。

 さて測量は終了したものの、実際に改修工事が行われたかというと、そうではなく工事は開始されないまま時が流れることになる。大正9年(1920年)4月に”(大正)道路法”が制定・施行された。高見峠を越える 和歌山街道(高見越伊勢街道)は三重県道津和歌山線に指定された。これにより高見峠の改修工事は県相手ではなく、国相手に許可を取らなくてはならなくなった。大正時代の動きについては資料がないので不明であるが、莫大な費用を必要とする事業ゆえになかなか許可が下りなかったものと思われる。

 昭和2年(1927年)、波瀬村は村債を起こして林道として高見峠を越える道路の建設を開始した。最初の計画が持ち上がってから実に18年経過していた。ところが建設工事は困難を極め、波瀬村の工事起点(どこかは不明)から7キロ付近まで工事が進んだものの、峠まで残り3キロというところで工事中止となってしまった。(この道は舟戸から奥に延びる行き止まり林道 のどれかではないかと推測している。)

 波瀬村による道路改修事業とは別に、昭和9年(1934年)、三重県と奈良県による高見峠の開発調査が実施された。県による事業として行おうとしたのかどうかは不明だが、記録に残る戦前の高見峠関連の道路事業はこれが最後となった。おそらく何らかの計画が練られたと思われるが、日本は支那事変〜大東亜戦争に突入したため白紙になったものと思われる。

●高見峠越道路の開通と国道昇格

 高見峠の道路改修の動きは終戦2年後に早くも再開する。昭和22年(1947年)、県道津和歌山線沿線の七町村(当時)が集まって『高見峠改修期成同盟会』が結成され、三重県議会に高見峠の道路改修事業の請願が行われた。この時は大正2年の時のようなことはなく、昭和23年(1948年)1月に議会で満場一致で請願は受理され、事業が本格化された。計画では昭和23年度から5カ年計画で建設し、その費用は半分が国庫補助で、残りを県と地元が負担(寄付)するというものであった。

 昭和23年(1948年)4月、本格的な道路建設工事が着工された。しかし地盤の悪い場所だったので工事は難航した。予想以上の困難な工事となったうえ、建設工事中にも災害が起こるなどして予算は大幅に超過。そのため県議会では予算を巡って紛糾し、議会の現地調査にまで問題が発展した。事業中止かと思われたものの、奈良県側の道路建設工事の兼ね合いもあって中止されることなく事業続行となった。

 建設工事は予定通り進み、昭和27年(1952年)には完了する目途がたった。しかし同年に台風13号の被害を受けてしまい道路は大きな被害を受けた。その復旧工事が必要となったことから完成は1年遅れることになってしまった。

 昭和28年(1953年)5月、県道津和歌山線は国道166号線に指定された。国道が誕生した当初はまだ高見峠の道路は完成しておらず分断国道だったことになる。その直後の昭28年6月に工事が完了。昭和28年7月4日、ついに高見峠を越える道路が開通した。最初の改修計画が立ち上がってから44年もの年月が経過していた。

●高見国道の開通

 高見峠を越える道路は開通したものの、道は狭路で急坂・急カーブが連続する悪路であった。また四季を通じて濃霧・積雪・凍結があることから、さらなる改修工事が必要になった。

 昭和34年(1959年)、紀伊半島は伊勢湾台風の大きな被害を受けた。国道166号線も例外ではなく、高見峠区間も含めて奈良・三重両県内で壊滅的な被害を被った。復旧工事は昭和38年(1963年)頃までにほぼ終わったが、高見峠区間は以前の道路のままであった。

 峠前後の道路の改修工事は順次行われていたが、峠を含む区間はトンネルを開削するという思い切った改修工事が必要となった。国及び県への要望を重ねた結果、昭和41年(1966年)度には奈良県吉野郡東吉野村杉谷地先〜三重県飯高町桑原地先までの約11kmを建設省の直轄工事区間として事業化された。昭和42年(1967年)に調査開始。昭和45年(1970年)度に飯高町桑原以西の区間の第一期工事が開始され、昭和49年(1974年)度から完成した区間の供用が開始された。

 事業の最大の難点となっていた高見峠を越えるトンネルは、調査開始以来11年後の昭和52年(1977年)に位置が確定。その後、補足調査と設計を行った後、昭和55年(1980年)8月に奈良県・三重県両方から掘削作業が開始された。昭和57年(1982年)7月26日に高見トンネルが貫通。そして昭和59年(1984年)3月26日、高見トンネルが開通した。

 高見トンネル開通時、トンネル前後の道路の改良工事は完了しておらず、狭路の現旧道から連絡道路を設け、暫定的に連絡道路経由でトンネルを通過するようになっていた。資料がないのでいつ頃かは不明であるが、奈良県・三重県内の改良工事は順次完了して行き、連絡道路による接続も解消された。 現在のR166高見ループ橋を含む11.9kmの区間が開通したのは平成5年(1993年)12月9日。これにより連絡道路を経由せずに高見トンネルを越えることが出来るようになり、高見峠を越える道は旧道となった。その後は部分的な改良工事が行われ、最終的にR166高見国道区間の改良事業が全て終了したのは

平成16年(2004年)3月末のことであった。

写真】『R166高見道路完成記念』の碑 飯高町森地区のr569交差点近くにある。

 

参考資料>>東吉野村史(平4年刊)/飯高町郷土誌(昭61年刊)

■国道166号線高見峠旧道【2000年走行レポート】(写真のみ)

国道166号線高見峠旧道【2003年走行レポート】

国道166号線高見峠旧道【2008年走行レポート】 (写真のみ):通行止めのため途中で断念

国道166号線高見峠旧道【2009年走行レポート】

>>Update 2009.05.30

○国道166号線高見峠旧道

  【2000年走行レポート】

 所有している写真で判断すると、@管理人が高見峠旧道を初めて走行したのは平成7年(1995年)6月末のようである。その後は平成12年(2000年)3月まで走っていないが、その後に1回だけ車で高見峠旧道を走った記憶がある。

 平成12年3月走行時は前日に雪が降ったとかで、高見峠東側旧道では雪が積もっていた。路面一面が真っ白で、足をつきながらクリアしたことを覚えている。またカワサキの大型バイク(7Rだったか?)で突入してしまい、雪の中で立ち往生していたライダーを助けたことも記憶している。自然環境が厳しい旧道であることを体験したツーリングだった。

 高見峠旧道の走行レポートは2003年走行レポートに詳しいので、2000年走行レポートは写真だけで文章は省略させていただく。m(_ _)m

1.高見峠までは難なく到着。途中に少し残雪が

  あった程度だった。

2.峠から三重県に入る。北斜面の影には残雪

  が残っていたが無事にクリア。

3.アイスバーンになっている箇所もあり、注意して

  進んで行く。(飯高町→高見峠方向を撮影)

4.この付近は新雪だった。KSRUなのでクリア

  できた。(飯高町→高見峠方向を撮影)

5.三重県側の連絡道路分岐点を過ぎると雪は

  なくなる。杉林の中を進む。

6.ガードレールにR166ステッカー。この付近は春

  の日差し。(飯高町→高見峠方向を撮影)

 

 

7.いくつかの残雪を乗り越えて三重県側旧道分

  岐点に無事到着。

 

 

注意>>市町村名は走行当時の名称です。

◆2000年3月18日走行。写真はすべて同じ日に撮影。

◆2000年レポート終わり

○国道166号線高見峠旧道

  2003年走行レポート

【レポートは奈良県→三重県方向(西→東方向)です。】

■奈良県吉野郡東吉野村【奈良県側旧道分岐点〜連絡道路分岐点】

 奈良県吉野郡東吉野村杉谷地区を過ぎて三重県方面に向かう。急カーブ・急勾配の坂道が連続する2車線ワインディング道路を2kmほど進むと、『←伊勢・松坂 高見峠→』と表記された案内標識が現れる。このすぐ先(不動橋西詰)で右側に分岐する狭路の舗装道がR166高見峠旧道である。高規格道路の現道と比べるとかなり貧弱な道で、一見すると作業道かと思ってしまうような道である。

 旧道に入る。旧道は一応舗装路となっているが、路面状態はすこぶる悪い。大雨が降ると山の斜面から流れ出した雨水によって道路自体が川と化してしまうようで、路面にはかなり広範囲に渡って土砂が堆積している。落ち葉・枯れ枝はもちろんのこと、落石もあちこちに見受けられる。土砂が堆積している部分はかなり滑りやすい状態となっている。

 最初のカーブを曲がると、1車線幅の狭路のまま急勾配の坂道となる。見通しの悪い小さなカーブも現れるが、カーブミラーなどないので対向車には要注意となる。周囲は鬱蒼とした杉林で展望は全くない。人工物は道路だけという中を進んで行く。

 奈良県側旧道分岐点から600mほど進んで行くと、R166現道に下る連絡道路分岐点に到着する。この道を下ると高見トンネル奈良県側抗口前付近に出る。高見トンネルが供用開始した昭和59年(1984年)からしばらくの間は、R166現道の奈良県側旧道分岐点〜高見トンネル間は未開通だったので、この区間は連絡道路〜旧道(当時は現役国道)経由で結んでいたのだろう。

1.奈良県側の旧道分岐点。案内標識には『高

  見峠』と書かれている。進入時は対向車に注

  意。

2.旧道に入ると、いきなり土砂が堆積していた。

  大雨が降ると川と化してしまうようだ。路肩に

  は落ち葉が一杯積もっている。

3.路肩に土砂が積もり草が生えたのだろう。もと

  もとはもう少し路肩が広く、1.5〜狭い2車線

  道ぐらいの道幅があったのかも知れない。

4.鬱蒼とした山中を進んで行く。見通しの悪いカ

  ーブが多い。

  (高見峠→東吉野村方向を撮影)

5.やがて連絡道路分岐点に到着する。高見峠

  に向かうには右に進んで行くのが正解。左に

  向かうとR166高見トンネル前に出る。

6. 連絡道路分岐点には案内標識があるので、間

  違うことはまずないだろう。矢印右が「高見峠」

  で、直進は「松阪・伊勢」と書かれている。

■奈良県吉野郡東吉野村【連絡道路分岐点〜高見峠】

 連絡道路分岐点では右に向かう道を進んで行く。道は1〜1.5車線幅が断続する狭路が続く。旧道分岐点直後の約600mの区間に比べると坂道の勾配は緩やかになるが、相変わらず見通しの悪い小刻みなカーブも続く。杉林の中を勾配の緩い坂道で淡々と進んで行く。所々には待避帯が設置されているので車同士の離合もどうにか可能な状態だ。

 連絡道路分岐点から700mほど進むと『癇J(すぎたに)隧道』に到着する。狭い2車線幅の約120mぐらいの長さのトンネルで、内部は照明などなく真っ暗で漏水が激しい。造りからすれば昭和20年代後半〜昭和30年代前半に作られたトンネルのように思われる。おそらく高見峠越えの道路建設時に作られたトンネルだろう。

 トンネルを過ぎると緩やかな勾配の狭路となって杉林の中を淡々と進んで行く。この付近まで来ると落石などは少なくなり、路面状態は幾分良くなる。整地された広場らしき空き地脇を通り抜け、トンネルから500mほど進むと急カーブを曲がる。このカーブを曲がると急勾配の狭路坂道となる。300mほど駆け上がると、左側には谷が広がり向かい側の山腹には先ほど走ってきた旧道の道筋が見える。一部分が新しいコンクリート壁とアスファルト舗装になっていたので、かつては大規模な土砂崩れがあったのだろう。

 断崖上の区間を通り過ぎると再び薄ぐらい杉林の中を進んで行く。連絡道路分岐点から1.6kmほど進むとヘアピンカーブが現れた。ここからは急勾配・急カーブが連続する区間に入る。見通しの悪いカーブをいくつかクリアして進んで行く。少し進むと緩やかな勾配の狭路となり、背丈の低い杉林の中を進むようになる。かなり標高を上げたようだ。

 やがて急カーブを曲がり200mほど進むと広場に出た。ここが高見峠。奈良県と三重県の境の峠である。奈良県側旧道分岐点より約4.5kmである。

7.連絡道路分岐点から本格的な山道が始ま

  る。道路情報板が設置されていた。

8.最初は揺るやかな勾配の坂道を上って行く。

  一部では路面が川と化していた。

9.『癇J隧道』(杉谷隧道)に到着。照明がなく真

  っ暗である。奈良側抗口を撮影。

10.隧道から500mほど進むと、急勾配の坂道

  で断崖上を駆け上がる。

11.この先の右カーブからヘアピンカーブと急勾

  配の坂道が連続するようになる。

12.だいたい1.5車線幅の狭路坂道が続く。離合

  はそう困難ではないが、見通しが悪い。

 

13.路肩にかなり傷んだ道路情報板が立ってい

  る。自然環境が厳しいことを物語る。

14.突然に視界が広がると高見峠に到着する。

  峠は結構広い広場となっている。

 

■高見峠

 現在の高見峠は車道建設によって出来た新峠で、和歌山街道(伊勢街道)時代の高見峠(旧峠)は現峠よりも30mほど高い位置にある。高見峠(旧峠)は”大峠(おとげ)”ともよばれ、これに対して”小峠(ことげ)”と呼ばれるもう一つの低い峠が東吉野村内にある。旧街道筋は東吉野村杉谷〜飯高町波瀬の間で大小二つの峠を越えていた。

 高見峠一帯は切り開かれた広場のようになっており、休憩所とトイレと駐車場が設けられている。今の高見峠は高見山への登山口にも当たるため、シーズン中の土日祝日は登山客の車で賑わう。そのため峠付近は整備されて今のような姿になった。

 『飯高町郷土誌』には、開通当日に高見峠を走るバスの写真が掲載されているが、峠付近は山肌むき出しの切り通しの場所となっており、峠を通る道はかなり荒れたダート道であった。今とは全く違う光景で、いかに難工事であったかが伺える。

15.高見峠は駐車場や休憩所が設けられてい

  た。難工事の面影はほとんどない。

16.三重県側から撮影。鳥居のある階段が高見

  山への登山道入口。上ると旧峠に至る。

17.写真16の左側に県名標識が倒れていた。

  平7年頃は立っていたように記憶している。

 

18.峠から三重県方向を見る。ここから狭路にな

  る。右端に倒れた県名標識が見える。

19.「落石注意」「凍結注意」の標識。険しい道で

  あることが予測できる。

 

■三重県飯南郡飯高町【高見峠〜連絡道路分岐点】

 高見峠を越えると三重県飯南郡飯高町に入る。三重県に入っても旧道は1〜1.5車線幅が断続する狭路のままである。奈良県側に比べると周囲の地質が弱いのか、落石や沿道の斜面の崩落が目立つようになった。落ち葉と落石の多い勾配のある狭路坂道を淡々と下って行く。

 峠から600mほど進むと1.5車線幅ぐらいに広がり幾分走りやすくなる。しかし落ち葉や土砂の堆積 や落石が多く、また路面が川となっている箇所も多かった。路面自体は剥がれたり亀裂が入っている箇所は少なく、山中の旧道としては良好な方であろう。

 やがて鬱蒼として暗い杉林の中に入る。道は相変わらず狭路のままで、見通しの悪いカーブが連続する。国土交通省の雨量測定所を通り抜け、300mほど進むとヘアピンカーブが現れる。カーブの出口付近からは「木梶三の滝」へ向かう遊歩道(?)が分岐している。

 ここを通り過ぎても、相変わらず鬱蒼とした杉林の中を進んで行く。1.5車線幅の急勾配の狭路で、見通しの悪いカーブが連続する。谷側にはガードレールが設置されていない所もあるので注意が必要だ。1kmほど進むと道幅は1車線幅ぐらいに狭くなる。杉林の中を進んで行くが、道幅が狭くなっただけで『悪路』の印象が強くなったのは気のせいだろうか。

 やがて右側、向かいの山腹に2車線道が見えてくる。R166現道すなわち「高見国道」である。高見 トンネル三重県側抗口直前にあるパーキング付近から延びてくる連絡道路がこちらに向かってきているのが分かる。急勾配の坂道を下ると、この連絡道路との合流点に到着する。高見峠から約5kmである。

20.峠からしばらく下ると、旧和歌山街道(伊勢

  街道)が左に分岐する。

21.この付近の路面状態は結構悪い。バイクだと

  スリップしかねないので注意が必要。

22.狭い2車線幅の道も、落ち葉などで実質1.5

  車線ぐらいになっている。

23.こんな感じの落石が数カ所にあった。かなり

  大きな石も混ざっていた。

24.杉林の中を進んで行く。この先は一時的な川

  と化していた。貯まっている落ち葉には注意。

25.おおむねこんな感じの見通しの悪い狭路が続

  く。谷側にはガードレールがないところが多い。

26.高見トンネル前からの連絡道路との合流点。

  三重県から来た場合、峠へは右に進む。

  (飯高町→高見峠方向を撮影)

27.写真26の案内標識の支柱に貼ってあった

  『国道166号』のステッカー。国道だった証と

  いえる。

28.写真26の地点から峠方向を見る。狭路が続い

  ており、悪路であることが予想できるような光景

  だ。峠にあったのと同じ標識が立っている。

■三重県飯南郡飯高町【連絡道路分岐点〜三重県側旧道分岐点】

 R166現道との連絡道路合流点を過ぎると、旧道は1.5〜狭い2車線幅の道となるが、相変わらず杉林の中を進んで行く。分岐点から800mほど進んだ薄ぐらい杉林の中で、路肩に『三重県』ならびに『6』と記された青い三角柱を見つける。三重県管理を示す国道距離標である。地点は高見峠からほぼ6km地点。この道がかつては国道であったことの何よりの証拠となる。この先、しばらくの間は杉林の中を進んで行くが、落石と落ち葉・枯れ枝が路面に散らばっているのが目立つ。道も相変わらず見通しの悪いカーブが続く。

 連絡道路合流点から1.5kmほど進むと杉林から抜け出す。抜け出す付近は作業道(?)との分岐点で、旧道側のガードレールにはR166国道ステッカーが貼ってあった。ヘアピンカーブを曲がり、1.5車線幅の狭路を200mほど進むと旧道から少し坂を上った所に民家(農家?)が現れた。奈良県東吉野村杉谷地区以来、久々の民家である。高見峠の三重県側最後の集落となる飯高町木梶地区の集落内に入ったのだ。道は狭路のままだが車が通るために整備されていたが、相変わらず見通しの悪い小刻みなカーブは続いていた。

 やがて右下にR166現道の2車線道が現れる。旧道は現道と少しばかり平行した後、急なS字カーブを描いてR166現道と合流した。三重県側旧道分岐点まで、高見峠から約7.5km、奈良県側旧道分岐点から約12kmである。

29.高見トンネルへの連絡道路分岐点。峠は右

  に向かう。不安な方は左へどうぞ。

30.ここまで来ると道幅が広がる。

  (飯高町→高見峠方向を撮影)

31.旧道沿いにあった水色の三角柱。「三重県」と

  「6」が標されていた。

32.飯高町木梶地区の集落まで下りてきた。

  右下にR166現道が見える。

33.三重県側旧道分岐点近くの標識にもステッカ

  ーがあった。(飯高町→高見峠方向を撮影)

34.ここが三重県側旧道分岐点。右に別れるのが

  高見峠旧道。知らないと見落としやすい。

*以前のレポートを修正・加筆し、写真を差し替えて再掲載しています。

注意>>市町村名は走行当時の名称です。

◆2003年7月17日走行。写真はすべて同じ日に撮影。

◆2003年レポート終わり

○国道166号線高見峠旧道

  2008年走行レポート

 平成16年(2004年)以降は台風などによる自然災害が多発し、高見峠旧道自体が通行止めになっていた時期が長く、また@管理人の身辺環境の激変などにより、しばらく高見峠旧道走行は実施していなかった。

 前回から5年ぶりとなる平20年(2008年)10月に高見峠旧道を走行してみることにし、東側(奈良県側)旧道分岐点から高見峠目指して旧道に突入した。しかし連絡道路分岐点から先が通行止になっていたため走行を断念している。ゲートが設置されていなかったので、行けるところまで進んでみようかと思ったが、道路状況が不明なのと大型バイク(ZRX1100)で来ていたため、無理はしないで引き返している。 三重県側から突入してもよかったのだが時間的な都合から高見峠走行はあきらめている。

 単に撤去し忘れなのか、実際に通行止めなのかどうかは不明なままで、確かめるべく10月下旬か11月上旬までにKSRUで走行しようと思っていた。(もちろん自己責任で) しかし結局行く機会がないまま冬期シーズンを迎えてしまい、平成21年以降に延期となってしまっている。 

1.高見峠旧道の奈良県側分岐点。右にそれる

  狭路が旧道。

2.標識を拡大。『高見峠』と標されているが、”悪

  路”とは標されていない。

3.旧道に入る。基本的に見通しの悪い1〜1.5

  車線幅の狭路が続く。  

4.一部、路面に土砂が積もってダート道のように

  なっていた。(高見峠→東吉野村方向を撮影)

5.写真4の地点を過ぎるとアスファルト舗装の狭

  路になる。(高見峠→東吉野村方向を撮影)

6.奈良県側連絡道路分岐点に到着。高見峠には

  ここを右に向かう。

 

7.道路情報板に注目。通行止めなら簡易でいい

  からゲートを設置してもらいたい。

8.峠までは通り抜け不可能。2.6km先ということ

  は小峠への道の分岐点付近まで通行可?

 

注意>>市町村名は走行当時の名称です。

◆2008年10月9日走行。写真はすべて同じ日に撮影。

◆2008年レポート終わり

>>国道166号線旧道(4)続き

>>R166旧道TOP

>>R101〜R 244旧道に戻る