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国道168号線旧道(8)

平谷地区旧道

十津川道路(七色高架橋)旧道

●平谷地区旧道

 奈良県吉野郡十津川村平谷地区は十津川村南部に位置している。現在のR168は

町よりも標高の高い位置を進んでおり、平谷地区にある大谷橋、庵之前橋を含む現在の道は二津野ダム建設に伴い新たに建設された付け替え道路である。

 旧道は町中を通っているが、一部は貯水池に水没。水没した旧道はわずかに痕跡が残る程度となっている。残る旧道は地区の生活道路として余生を送っている。

>>国道168号線平谷地区旧道【概説】

>>国道168号線平谷地区旧道【平谷地区旧道

>>Update 2006.03.26

○国道168号線平谷地区旧道

 【概説】

■概説

◆二津野ダム

 1951年(昭26年)、「吉野熊野総合開発計画」が決定された。奈良県・和歌山県・三重県にまたがる電源開発 ・山林ならびに農業資源開発、国土保全と交通網の整備、更に水産資源と観光資源の開発を盛り込んだ大計画であった。

 電源開発事業の中で十津川水系に計画されたのが二津野ダム・風屋ダム・猿谷ダムである。

風屋ダムの下流、十津川村二津野(十津川の左岸)と桑畑(右岸)の間に建設されたのが二津野ダムである。

 1959年(昭34年)5月に本格的な工事 に着工するが、河底が砂利層で難工事となった。工事期間中は集中豪雨による被害などもあり、建設は困難を極めたそうだが、1962年(昭37年)に完成。高さ76m、長さ210.6mのアーチ型ダムが完成したのである。ダム完成に伴い人工湖(貯水池)が誕生。この貯水池の満水面は海抜132.5mで、ダムから上流約12kmの十津川村折立までが水没した。

 なお二津野ダム建設に先立ち、十津川村内のR168の改良・整備と、果無山脈を挟んだ未開通区間の建設が行われ、195

9年(昭34年)8月に開通しR168が全通している。

◆西熊野街道と現R168

 江戸時代の西熊野街道(十津川街道)は十津川沿いに進んでいたが、1889年(明治22年)8月の十津川大水害により消失。現在の河原よりも30〜50mほど下に埋まってしま った。そのため十津川村山崎から小森に上って平谷に下りてくるという山越えのルートが西熊野街道となり、車道が延びてくるまではこちらが主要道路となっていた とか。池穴地区から十津川を渡って中原地区に上り尾根づたいに小森に至り、小森地区からは那知合〜谷垣内〜山手〜平谷と山手川沿いに進んでいた道が(明治中期からの)西熊野街道 (十津川街道)筋とのこと。

 平谷地区は吉野からの西熊野街道と十津川村西川地区へ向かう街道の合流点でもあり、交通の要所でもあった。平谷からは折立に向かって道が延びており、この道が平谷地区のR168旧道ということにな る。

 1952年(昭27年)にR168の前身である県道が十津川村折立まで延伸。これに接続した平谷地区の旧道により、五條からの車道が十津川村平谷(蕨尾)まで達したことにな る。1953年(昭28年)5月、県道五條本宮線がR168に昇格。平谷地区の道のうち、折立〜込之上間が国道規格に改修され1956年(昭31年)までに現道に近い状態に なった。その後は二津野ダム建設に伴う改良工事が実施され、今の位置に現道が建設された。

◆水没地域と旧道

 十津川村平谷地区のうち、貯水池に水没するのは水没前の十津川に近い、地区内で標高の低い地域だけであった。猿谷ダムや風屋ダムのように集落全てが水没するわけではなかった。現在ある町並み の多くはダム建設以前から続くものである。

 水没する地域が大きかったのは平谷地区でも北側の垣内地区で、同地区は全体の1/3が水没。移転先の多くは現在のR168沿いとなっ

ている。南側の蕨尾地区は全体の1/6となっており、こちらも現在のR168沿いに移転している。

 旧道は現R168よりも標高の低い位置を通っていた。平谷地区(垣内地区)では現町並みの外縁部付近を通っていた。十津川の流れに沿うようにやや蛇行しながら進み、山手川と大谷川が合流する付近では少し山手(支流の上流寄り)で川を渡るようなルートだったとのこと。ダム完成により、山手川と大谷川の両支流も十津川合流付近が貯水池の一部となり、旧道のうち両支流を渡る橋の付近が水没してしまった。水没地域は主に旧道より川寄りの地域だったので、水没したのは両支流を渡る付近のみ。残る区間は姿とルートが変化しているが、その多くがそのまま残り現在に至っている。

 なお、蕨尾地区より南にあった約900mの旧道は水没してしまっている。

参考資料>>「十津川」

国道168号線平谷地区旧道

 平谷地区のうち、現在のバスターミナル(元小学校)付近の旧道から調査を始めました。「十津川」の地図によると、現バスターミナル付近から旧道が分岐して農協と郵便局前を通り過ぎていると記されています。現バスターミナル前から分岐する道は1本しかなく、その狭路を進む農協と郵便局があったのでほぼ特定できました。

 ところが山手川を渡る橋がどこにあったのかが不明でした。「分からないときは地元の人に聞く」というのが鉄則。バスターミナル横の商店に入り、パンと缶コーヒーを購入がてらに店の主人に資料(「十津川」の地図のコピー)を見せて尋ねてみると、親切に教えて下さいました。以下の文章はその時の説明をもとに書いています。

■平谷地区【庵之前橋付近】

 現在のバスターミナル前から分岐する1車線狭路は、先(郵便局付近)では確かに旧道なのだが、現R168からの分岐点から100mほどの道は旧国道ではないとのこと。旧道は『ことぶき旅館』という旅館の駐車場付近から下り坂となって標高を下げて行き、現R168のすぐ左下付近に至っていた。調査時(04年12月)の時点では狭い2車線幅ぐらいの平坦な土地があるだけだったが、かつてはそのスペースが旧道だったそうだ。

 旧道はそのまま現R168の庵之前橋の下をくぐって、現橋の隣(山手)にあった旧橋で対岸に渡っていた。旧橋は吊り橋+鉄板という形で架かっていたが、現在は跡形すらない。対岸に渡った旧道は水没して姿を見ることが出来ない。現在はモーターボートの船着き場となっている付近にあったそうだ。

1.バスセンター前の現道下にあるこの土地が

  旧道だったそうだ。今は何かが建っている。

2.右端が庵之前橋。旧道は向かいのボート乗り

  場付近に達していたそうだ。

3.庵之前橋南詰から撮影。橋の山側に旧橋があ

  ったそうだが、今は痕跡すら見いだせない。

注意>>市町村名は走行当時の名称です。

◆写真はすべて2004年12月2日に撮影。

■平谷地区【庵之前橋南詰付近】

 現R168の庵之前橋を渡り、自動車整備工場のすぐ横にある狭路に入る。工場の敷地に入ったかと思ったが道が続いていたので、そのまま先に進んでみる。道は1車線狭路のまま下り坂となり下って行く。下り終えると道は急な右カーブを描いていた。カーブの左側は駐車場となっており少し広くなっている。主人の話だと、この付近の下に旧道があったそうだ。

 駐車場から橋の方向を見てみると、下ってきた狭路坂道のすぐ下に草木の生えた土地がある。よく見てみると勾配のある平坦な土地であることが分かる。この道が旧道だろうか?単なる湖岸なのかも知れないが、どれもこれも旧道に見えてしまう。現在ある狭路よりももう少し下付近を通っていたの かもしれないが、今は痕跡すら残っていない。

4.狭路急坂の脇にあった坂のように見える土

  地。旧道だろうか?それとも湖岸か?

5.駐車場から本宮町方向を見る。この狭路が

  旧道か?

6.坂を上ると現道に出るが、旧道はここから左手

  に進んでいたのかも知れない。

注意>>市町村名は走行当時の名称です。

◆写真はすべて2004年12月2日に撮影。

■平谷地区【垣内地区】

 平谷地区のうち、山手川と大谷川の間の地域は平谷小字垣内という地名だったそうで、今でも平谷では垣内(かいと)地区と呼んでいる。旅館や郵便局・農協やスーパーなど、町の中心と言える地区である。

 かつては小学校だった現バスターミナル前から狭路に入り町中に向かう。以前、この狭路沿いには平谷公衆温泉浴場があったが、今は取り壊されてしまっている。 その少し先、旅館の駐車場付近から旧国道になる。この付近から道は平坦な1.5車線道となり、平谷(垣内)地区の旅館街を通るようになる。旅館『吉乃屋』前の交差点を過ぎると農協と郵便局があった。

 その先は狭路のまま 町中を通って行く。道の右側には貯水池が広がっている。道はやがてコンクリ舗装の急な上り坂となり、現R168の大谷橋南詰に至る。旧道に当たるのは急な上り坂の下付近までであろう。この先、大谷川を渡っているのだが、痕跡は一切残っていない。

7.バスターミナル前の狭路に入るとここに至る。

  この付近に旧道が分岐していたとのこと。

8.写真7と同じ地点で反対方向を撮影。左手に

  別れていたそうだが痕跡はない。

9.旅館街の外周を行く。1〜1.5車線幅の平坦

  な生活道路だった。

10.この先にあるのが郵便局。旧道は直進する。

  昔の地図にもほぼ同じ所に郵便局があった。

  左に曲がると現R168に出る。

11.町中を通り急坂の下に至る。右のコンクリ道

  も旧街道筋らしい。

  (五條市→本宮町方向を撮影)

12.写真11の撮影地点から急坂となり現道へ。

  奥の橋が現大谷橋。旧道はここから右に別れ

  ていたようだ。

注意>>市町村名は走行当時の名称です。

◆2004年12月2日走行。写真はすべて同じ日に撮影。

■平谷地区【大谷橋付近】

 上り坂の始まる地点から、坂のすぐ下には勾配のある細長い土地があった。今は草木が生い茂っているが、岸としては不自然に見える。これも旧道に見えてならない。別の地元の方に聞いてみたが分からないとのこと。さすがに45年ほど昔のことなので仕方ないか。

 よく見てみると、現大谷橋の橋脚付け根には四角形のコンクリート製基礎の跡があった。どうやら旧大谷橋の一部のようだ。他にもコンクリ片の塊があったが、旧橋のモノかどうかを確認することが出来ないのでなんとも言えない。

13.コンクリ坂がどれだけ急勾配か分かるだろう

  か?フェンスの左下に道跡らしいのがあった。

14.その跡をたどって行くと現橋のふもとに至る。

  その下にコンクリ痕があった。旧橋の名残?

15.対岸(北詰)を見るが、ご覧の通り何も判別出

  来ない。旧橋は現橋の山側にあったそうだ。

注意>>市町村名は走行当時の名称です。

◆写真はすべて2004年12月2日に撮影。

■平谷地区【平谷小学校付近】

 大谷川より北側は平谷小字垣平という地名だそうで、今でも垣平(かきたいら)地区と呼んでいる。垣平地区は住宅街という感じの地域である。

 現R168大谷橋を渡って五條市側(北側)に信号のある交差点がある。この交差点を曲がると急な1車線狭路坂道を下って行く。その下り終えた付近が旧橋を渡って来た旧道との合流点のようだ。ここからが旧道ということになる。道は1車線狭路のまま集落内を進んで行く。 やがて平谷小学校が見えてくる。小学校前付近からは緩い上り坂となり、上りきると現R168と合流した。 この狭路はかつては国道だったということらしいが、その痕跡などは一切なかった。単なる生活道路であった。

16.大谷橋北詰にある信号付きの交差点を右に

  曲がると小学校に至る。

17.急坂を下る。この付近から旧道が分岐してい

  たようだ。(五條市→本宮町方向を撮影)

18.ここからは旧道となるのか?狭路で町中を進

  んで行く。

19.左側が小学校。

  (五條市→本宮町方向を撮影)

20.小学校前を過ぎると揺るやかな坂道で五條

  市方向(北)に向かって行く。

21.この地点で現R168と合流。ここが五條市側

  分岐点となるようだ。

注意>>市町村名は走行当時の名称です。

◆2004年12月2日走行。写真はすべて同じ日に撮影。

<<MEMO>>

■概況

 平谷地区の旧道は地区内の生活道路となっています。元国道であったことの痕跡もなく、単なる町中の狭路という感じの道です。

 平谷地区の旧道については痕跡が少ないので完全とは言い切れません。@管理人が資料で確認の後、地元の方から説明を受けて調査していますので、今回調査した道が旧道である可能性は高いかと思います。

■注意点

 平谷垣内地区の旧道ですが、車での通り抜けはできません。垣平地区は通り抜け可能ですが、道幅が狭く小学生の通学路となっているので注意が必要です。集落内では歩行者や車に十分に注意して下さい。

●走行DATA

平谷地区旧道

【両方向を走行】

>>走行日:2004年12月2日

【合併情報】

●2005年(平17年)5月1日付けで、和歌山県日高郡龍神村、西牟婁郡中辺路町、西牟婁郡大塔村、東牟婁郡本宮町の2村2町と和歌山県田辺市が対

 等合併。本宮町は『和歌山県田辺市本宮町』になりました。

平谷地区旧道  終わり】

十津川道路(七色高架橋)旧道

 十津川道路は奈良県吉野郡十津川村で建設されている高規格道路『五條新宮道路』の一部。このうち十津川村七色地区で建設が進められていたのが「七色高架橋」と呼ばれる全長約1.7kmの区間。この区間と和歌山県田辺市本宮町側でも建設されていた「本宮道路」の一部約1kmが2005年(平17年)3月に部分開通した。これにより二津野ダム建設時に突貫工事で建設されたR168は旧道となった。

>>国道168号線十津川道路旧道【概説】

>>国道168号線十津川道路旧道【十津川道路(七色高架橋)旧道

>>Update 2006.03.26

○国道168号線十津川道路旧道

 【概説】

◆五條新宮道路

 『五條新宮道路』は、京奈和自動車道と近畿自動車道紀勢線を結ぶ全長約130kmの高規格道路として計画され、1994年(平6年)12月に計画路線に指定。 奈良県〜和歌山県にかけての各地で事業が開始されている。

 奈良県五條市大塔町(旧:吉野郡大塔村)〜吉野郡十津川村内では、辻堂BP(事業中)・宇宮原BP(事業中)・川津道路(調査中)・十津川道路(事業中)の4区間で調査・事業中。和歌山県田辺市本宮町(旧:東牟婁郡本宮町)〜新宮市にかけては、本宮道路(事業中)・熊野川本宮道路(事業中)・越路道路(事業中)の3区間で事業中となっている。(他に7kmが調査区間に指定)

◆十津川道路

 十津川村内で建設されている五條新宮道路の一部が十津川道路。1996年(平8年)度に南部の十津川村平谷〜七色地区(県境まで)のうち七色地区(七色工区)で工事に着工。2003年(平15年)6月に北部の十津川村小原〜平谷地区の約6kmの区間が着工されている。

 2005年(平17年)3月に七色地区(七色工区)の一部区間の約1.7kmと、和歌山県内で建設されている本宮道路のうちの約1.2kmが供用開始となった。

◆七色地区のR168旧道

江戸時代の西熊野街道(十津川街道)は 、十津川村川津より三浦峠を越えて十津川支流の西川沿いの永井に出、真砂瀬(まなごせ)から果無山脈東部を越えて本宮に至っていた。十津川村平谷〜七色にかけての十津川は深いV字谷を形成しており道を通すのは甚だ困難な地形で、わずかに人道としての細い道が明治時代に通ったのみであった。1952年(昭27年)に五條市からの車道がようやく十津川村平谷まで達するが、地形の制約から車道の建設は平谷で止まってしまう。この区間の交通は十津川をプロペラ船で連絡するというものであった。

 十津川村平谷〜七色〜和歌山県八木尾間の道路建設は、1951年(昭26年)に決定された「吉野熊野総合開発計画」により、十津川村七色と桑畑の間に二津野ダムが建設されることで開始されることになった。二津野ダムへの資材搬入を目的として1957年(昭32年)度より工事が着手された。調査事業の後、突貫工事が行われ、わずか1年の建設期間で1959年(昭34年)8月20日に車道が開通した。

 開通したR168は深いV字谷の谷壁を削って車道を通し、298mの果無隧道などを含めて9個のトンネルといくつもの橋をもって構成された。この道がそのまま現在まで続くことになる。R168は見通しの

悪い急カーブの連続する道路となっており、十津川村平谷〜七色〜和歌山県田辺市本宮町(旧:東牟婁郡本宮町)に至る区間は今なお運転しずらない区間となっている。

 この区間の抜本的な道路改良事業として実施されたのが、前述の十津川道路七色高架橋。旧道の東側に流れる十津川上に高架橋を建設してカーブを一気に解消しようというもので、和歌山県内の土河屋TN(L=970m)を含む本宮道路の一部を含めて、2005年(平17年)3月に部分開通している。これにより七色地区〜県境〜田辺市本宮町土河屋のR168は旧道となった。

 七色高架橋より北側の区間にも高規格道路の建設が予定されているようだが、現時点では建設が開始される様子はない。そのため、十津川村平谷〜桑畑〜七色の間は現状の状態が当分続くのであろう。

○国道168号線十津川道路旧道

 七色高架橋旧道

【レポートは田辺市本宮町→奈良県吉野郡十津川村方向(南→北方向)です。】

■R168本宮道路旧道【田辺市本宮町】

 七色高架橋旧道を和歌山県側から奈良県に向かって走ることにする。和歌山県田辺市本宮町のR168BPは本宮道路と呼ばれるので、和歌山県内の旧道はR168本宮道路旧道というのが正しいことになる。

 田辺市本宮町(旧:東牟婁郡本宮町)本宮から奈良県に向かって十津川沿いに北上を続ける。本宮町土河屋(つちごや)地区に入ると見通しの悪い急カーブが続くようになるが、やがて旧道分岐点に到着する。本宮道路は県境にある全長970mの土河屋TNを含む全長約1kmの区間が供用されているので、旧道分岐点は本宮道路へ向かう連絡道路(R168指定だろうけど、暫定道路か?)との交差点となる。

 旧道は2車線道。分岐点から少し進むと本宮町土河屋の集落を抜けて十津川右岸を川沿いに進むようになる。土河屋地区や七色地区への生活道路でもあるためか、道路自体は整備されている。平坦な2車線道が続くが、川岸に沿って進むためにウネウネと曲がりながら進む。分岐点から1.2kmほど進むと和歌山県と奈良県の県境に到着する。

1.R168本宮道路連絡道路との分岐点。本宮

  道路は左に向かう。(0505)

2.本宮町土河屋地区。R168の標識は『田辺

  市』となっている。(0505)

3.旧道は十津川右岸沿いに進む。

  (十津川村→田辺市方向を撮影)(0505)

 

4.05年5月に撮影。県境でアスファルトの色が

  変わるので、実に分かりやすい。

  (十津川村→田辺市方向を撮影)(0505)

5.01年7月に撮影した県境。まだ現役国道だっ

  た頃のこと。この古いタイプの標識は05年5

  月には撤去されていた。  

 

■R168七色高架橋旧道【奈良県吉野郡十津川村】

 和歌山県から奈良県吉野郡十津川村に入る。奈良県内は七色高架橋旧道となる。道は相変わらずの2車線道。県境から少し進むと七色高架橋を越えて十津川村七色地区へ入って行く。集落内なのだが見通しの悪い急カーブが連続する。現役時代に何度も走っていたのだが、2車線道を走っていることを分かっていながらも、対向車とすれ違うときはヒヤリとしたものだ。

 集落内で七色高架橋への連絡道路が設けられている。地区の方々は七色高架橋に出て十津川村平谷や五條、本宮方面に向かうようになったようで、旧道を走る車は激減してしまったようだ。それを物語るように、路面には落ち葉が積もっていたり、落石が転がっているなど路面状態は悪くなっていた。

 道は2車線道。もともとは1959年(昭34年)8月に完成したR168最後の開通区間である。道路状態やルートはほとんど変わっていないのだろう。見通しの悪い急カーブが連続するクネクネした道を進んで行く。もともと谷壁だった場所を切り通して道を建設したので、どうしても斜面に沿うようなルートになるのだろう。

 センターラインがあったりなかったりする道を淡々と進む。現R168となった七色高架橋が右側に現れる。すぐ近くまで迫ってきている場所もあれば、旧道から高架橋を見上げる場所もあった。やがて現R168から離れて大きなカーブを曲がりきると、現R168との十津川村側(北側)分岐点に到着した。七色集落から約2km。本宮町側(南側)分岐点から約4kmであった。

6.七色高架橋から見下ろしたR168旧道。急カ

  ーブの多い平坦な2車線道が続く。(0505)

7.センターラインのない2車線区間が多い。

  すぐ近くに七色高架橋が通っている。(0505)

8.案内標識が国道の名残。すぐ右上を現R168

  が通っている。(0505)

 

 

9.十津川村側旧道分岐点。旧道から撮影。

  写真左がR168五條市方向、右が七色道路

  方向となる。(0505)

 

 

<<MEMO>>

■概況

 七色道路〜本宮道路の旧道は地区内の生活道路となっています 。本宮町土河屋地区はまだ生活道路として機能しており、少しながら通行がありますが、七色地区の多くの地元車は七色道路を使用するようなので、七色地区から北側の通行量はほとんどありません。そのためか七色集落より北側の区間は路面状況は悪化しつつあるように感じました。

■アドバイス

 七色高架橋ですが、歩道がないところを見ると歩行者・自転車の通行は考慮されていないようです。実際、七色高架橋では多くの車がかなりの速度で走っているので、自転車で訪れる場合は旧道を走る方が安全です。

■注意点

 見通しの悪い急カーブが連続するので対向車には注意して走って下さい。旧道では対向車が来ないと信じ切って走る地元車が多いので・・・。集落内では歩行者や車に十分に注意して下さい。

 悪天候時(特に大雨時)は土砂崩れの可能性がある区間です。悪天候時は走らない方が無難です。また冬期は路面凍結・積雪の恐れがあるので、冬期の走行は注意して下さい。

■注意

 調査時の2005年(平17年)5月時点で、R168本宮道路の供用区間は県境〜土河屋TN〜連絡道路の約1kmのみです。本来なら本宮道路旧道として独立させるものでしたが、距離が短くまた部分供用ということでもあるので、七色高架橋に含めて記載しています。

●走行DATA

七色高架橋旧道

【田辺市本宮町→吉野郡十津川村方向(南→北方向)を走行】

>>走行日:2001年7月27日(現役時代)/2005年5月13日/他多数

注意>>この区間は、 現役国道時代にも走行方向問わず頻繁に走行しています。走行日は使用写真の撮影日のみを記載しています。

【合併情報】

●2005年(平17年)5月1日付けで、和歌山県日高郡龍神村、西牟婁郡中辺路町、西牟婁郡大塔村、東牟婁郡本宮町の2村2町と和歌山県田辺市が対

 等合併。本宮町は『和歌山県田辺市本宮町』になりました。

十津川道路(七色高架橋)旧道  終わり】

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