国道173号線旧道(3) |
■はらがたわ峠旧道 |
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●はらがたわ峠旧道 大阪府能勢町の北部、山辺地区と天王地区の間にあるのが「はらがたわ峠」。標高580mほどの峠である。現在は快適な2車線道であっという間に過ぎ去る区間であるが、旧道はウネウネとした葛折りのカーブをクリアしなくてはならない。 この区間は1990年(平2年)まで現役国道だった旧道で、そのためかR173おにぎり標識など、現役国道時代の名残が結構残っている。旧道としては道幅は広く、意外と走りやすい区間である。 |
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>>国道173号線はらがたわ峠旧道【概説】 >>国道173号線はらがたわ峠旧道【走行レポート】 |
◆はらがたわ峠 大阪府能勢町北部、山辺地区と天王地区の間にあるののが「はらがたわ峠」である。現在は「はらがたわトンネル」を含めてかなり快適な整備された2車線道でこの峠を通り抜けているが、かつては急勾配・急カーブが連続する難所の峠であった。今でも残る旧道にその当時の面影を見ることが出来る。 さて「はらがたわ峠」であるが、珍しい峠名である。「はらがたわ」の”たわ”とは山の鞍部のことを意味する言葉だそうだ。一方で峠付近はゆるやかな”原っぱ”であったことから、”原っぱ”+”たわ”=”はらがたわ”という名になった そうだ。 また能勢町史によると別名「はらいがたわ」とも言うらしい。これは”ひだる神”という、山中で人にとりついて疲労や空腹感を与える神を払いのける意味で付けられたことが由来とのこと。江戸時代末期まで、この峠を越えるときは腹加減に気を付けるよう恐れられたという。 かつての丹州街道の峠道は、確かに何か出てもおかしくないような場所を通っていた。急峻な山道を延々と歩かねばならなかったので、そういう疲労や空腹感を感じることは当然と言えば当然だったかも知れない。明治時代に現在の旧道に相当する道が開通。大正時代そして昭和時代に入り、自動車が通るようになるとそういうことも忘れられたようだ。1990年(平2年)に現R173の山辺地区が供用開始されると、旧道の存在自体が忘れられそうになっている。 |
国道173号線 はらがたわ峠旧道 |
■概説/■はらがたわ峠旧道 【走行レポート】 |
○国道173号線はらがたわ峠旧道 【概説】 |
はらがたわ峠(はらいがたわ峠)の旧道も、その先祖となる道は丹州街道(丹波街道)であった。浮峠を越えて山辺に入った街道は、山辺川に沿って北上して峠を越えて天王の集落へ向かっていた。明治中期頃までの街道は、現在の旧道よりも西側の山中を通っていたそうで、現在でも一部分が残存しているという話を聞いた。 明治時代に入ってから丹州街道は、「大阪府道丹州街道」として南(池田)より整備が進んだ。はらがたわ峠区間も1887年(明治20年)頃より改修工事が行われた。このときの工事で峠の高さが「5間」切り下げられたそうだ。 |
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1間(いっけん)=約1.8mなので、約9m掘り下げられたのが現旧道のはらがたわ峠なのだろう。 現旧道が誕生するのは昭和時代に入ってから。府道福住池田線となった丹州街道の改良工事が行われ、1929年(昭4年)に新道(昭和新道)として誕生した。この道はそのまま戦後に府道池田篠山線となる。1963年(昭38年)4月1日、同府道は国道173号線に昇格。ここに国道173号線”はらがたわ峠”が誕生する。 昇格から8年後の1971年(昭46年)度より、国道173号線の抜本的な改良工事が始まる。はらがたわ峠付近は、昭和新道とは全く別のルートと通ることになり工事が開始された。最初に「はらがたわトンネル」が1983年(昭58年)に開通。約7年もの歳月をかけたのち1990年(平成2年)に、はらがたわTN〜山辺(山辺一理松)間が開通した。これにより、はらがたわ峠を越える昭和新道は国道指定を解除され旧道となった。 現在の旧道は全区間が通行可能な状態で残っている。旧道となってからは旧来のルートを通っていたが、2003年(平15年)頃に山辺川に砂防ダムが建設されたため一部でルートが変更されている。 |
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参考資料>>能勢町史 注>>2004年(平16年)2月は、『風色倶楽部』のツーリングオフ会に参加がてら調査しています。 |
○国道173号線はらがたわ峠旧道 【走行レポート】 |
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【レポートは能勢町山辺→能勢町天王方向(南→北方向)です。】 |
■旧道南側分岐点〜旧道の標識付近 |
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はらがたわ峠のR173旧道南側分岐点は能勢町山辺の集落の北外れ付近。現R173が緩やかな坂になり始める付近で、ちょうど山辺川を渡る付近にある信号機付きの交差点である。『能勢の郷→』とかかれた標識が目印。交差点角には『丹州街道』の石碑が建っている。 現R173から分岐するとやや狭い2車線幅の坂道を下り、砂原橋で山辺川を渡る。山辺川の右岸を北上しながら、点在する民家を繋ぎながら進んで行く。緩やかな勾配の坂道が延々と続く。やがて民家もなくなり、南側分岐点から約1.2kmで山辺一理松付近に到着。1990年(平2年)のBP全面開通まで使用されていた、 かつてのBP連絡道路との交差点に到着する。 かつての連絡道は2車線道だが、現在では1車線だけで北→南方向の一方通行となっている。現R173側からは進入はできないようになっている。 BP連絡道路との交差点すぐのところにあるキャンプ場前を通り抜けると、R173旧道は鬱蒼とした谷間を通るようになる。山中に入って行くのだが、道幅は狭くならず2車線のままで、延々と緩い勾配の坂道が続く。現R173高架橋を越えると見通しの悪いカーブを過ぎる。その先付近、峠に向かって左側にR173おにぎり標識が立っている。ただこの標識、夏期は生い茂った草木に埋もれてしまうので見つけるのは困難。草木が枯れる時期に行くとすぐに発見できる。 |
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■旧道の標識付近〜連絡道路分岐点 |
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標識付近も2車線幅の緩い坂道。淡々と坂道を上って行くと、旧道でありながら突然立派な道になる。道はそのまま急坂となり小さな丘を越えるのだが、その右下には山辺川に沿う旧道跡と砂防ダムが確認出来る。2000年(平12年)5月の時は砂防ダムに消えた旧道を走ったのだが、2004年(平16年)に来た時にはすでに砂防ダムの建設工事がたけなわであった。2002〜03年度中に着工されたのだろう。かつての旧道は土砂に埋もれて消えることになるのだ。 旧道の付け替え道路を過ぎると、道はもとのやや狭い2車線坂道のまま鬱蒼とした山中を通る。山辺川沿いの谷間を行く旧道に対して、現R173は山の中腹付近を通っている。現R173を走るトラックのエンジン音が時折聞こえてくる中、淡々と静かな山中を進んで行く。 この区間の旧道は、最近(とはいっても1990年まで)まで現役国道であった道。道路状態は比較的良いのだが、やはり草木が浸食を開始しており、一部では1.5車線幅になっている所もあった。旧道にお決まりの不法投棄された粗大ゴミなども目立つようなる。 やがて見通しの悪い区間に入り、山辺川を渡ってすぐの所で旧道と連絡道路の分岐点に到着する。旧道南側分岐点より約4kmである。 |
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■連絡道路 |
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連絡道路は2車線幅の急坂となる。はらがたわトンネルが1983年(昭58年)に供用されるときに建設された連絡道路だ。谷間から山腹まで一気に上るため最大12%の急勾配となっている。分岐点から一気に上り現R173を越えると、急カーブを曲がる。急な坂道をさらに上り、再び急カーブを曲がると現R173のはらがたわTN南側抗口前に到着する。 なお、現R173っとかつての連絡道路との交差点は、TN抗口すぐのところにあるため、現R173の南行き車線(綾部→池田方向)からかつての連絡道路へは進入できない(右折禁止)ようになっている。右折するため停車した車にTNから出てきた車が追突する恐れが高いためだろう。TN北側抗口付近から出口付近は右折禁止であると示されている。 |
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