>>R173旧道TOP

>>R173旧道(6)

国道173号線旧道(7)

天王峠旧道

●質山峠旧道

 京都府福知山市三和町(旧:天田郡三和町)と京都府綾部市の境にあるのが質山峠。

現在のR173は、須知山トンネルと前後の快適な2車線道で快適に通り抜けることが出来るが、峠を越えている旧道は現道からは想像も出来ないような悪路となっている。かつては綾部市街を出るとすぐに悪路に入っていたのである。

 なお現在は質山峠を越える旧道を走ることはできない。

注>>質山峠旧道と綾部市街旧道は連続していますが、当サイトでは2区間を分けて記載します。

>>国道173号線北部の変遷

>>国道173号線質山峠旧道

>>2007.01.21 Update

国道173号線北部の変遷

 

 国道173号線旧道TOPページでも少し触れているが、国道173号線は大阪府池田市〜京都府綾部市間の全区間が一度に国道に昇格(指定)されたのではない。まず1963年(昭38年)4月大阪府池田市〜京都府船井郡瑞穂町(現:船井郡京丹波町)が国道となり、1975年(昭50年)4月に京都府綾部市まで延長されて現在の形になった。

 国道指定の経緯はともかく、池田福住間(前述)、福住瑞穂間(詳細不明)、瑞穂綾部間では前身となる道(元になる旧街道)は全く別物となるので、瑞穂綾部間の変遷についてここで述べることにする。

◆明治時代

 国道173号線瑞穂〜綾部間の先祖となる街道は「園部−綾部街道」となる。この街道は、山陰街道の側街道として綾部と京都を結んでいた京街道の一つで、綾部藩の九鬼氏が参勤交代の際に通った街道であった。明治維新後も主要街道として利用され、山陰本線が綾部まで開通するまでは通行人が多かったという。

 1886年(明治19年)3月の『郡部土木費及同補助費支弁方法』という公文書(?)によると、「園部綾部街道」は『舞鶴街道、船井郡粟野村より質志村、天田郡大原村を経て綾部迄、此里二里二十四町余』と記載されている。ここに記されている粟野村

、質志村は現在の船井郡京丹波町(旧:船井郡瑞穂町)粟野ならびに質志のことであり、天田郡大原村は福知山市三和町(旧:天田郡三和町)大原のことである。

 1887年(明治20年)に舞鶴街道が路線変更になると、『山陰街道船井郡橋爪村より粟野村・質志村、天田郡大原村を経て綾部迄、此里三里二十四町余』となった。ここの橋爪村は現在の船井郡京丹波町(旧:船井郡瑞穂町)橋爪である。

 さらに1895年(明治28年)には、『船井郡桧山村大字橋爪(←橋爪村)にて山陰街道より分岐し、三ノ宮村大字粟野(←粟野村)・質志(←質志村)、天田郡川合村大字大原(←大原村)を経て綾部町に至り、福知山より高浜街道に合する迄、此里五里二十三町余』となった。<<注:文中の(←●●村)は管理人@あめふらし註。明治22年に市町村制施行により合併がおこなわれたようである。>>

 1903年(明治36年)1月、「園部−綾部街道」は「京都(仮定)府道綾部街道」(京都府庁より何鹿郡役所に達する路線)となった。その経路は『京都府庁〜船井郡桧山村橋爪(→京丹波町(旧:瑞穂町)橋爪)〜三ノ宮村(→京丹波町(旧:瑞穂町)三ノ宮)〜川合村(→福知山市三和町(旧:三和町)川合)〜綾部町(→綾部市であった。仮定府道指定後の1910年(明治43年)からは川合村内での道路改修工事が開始されが、1913年(大正2年)以降中止された。

◆大正時代

 1919年(大正8年)に『(大正)道路法』が制定され、翌20年(大正9年)4月1日から施行された。これにより「京都府道綾部街道」は「京都府道殿田綾部線」となった。当初は府道の認定からは漏れていたそうであるが、直前の3月になって内務省調査で府道として指定されるに至ったという。

 府道殿田綾部線は、起点が京都府船井郡世木村殿田(→南丹市日吉町(旧:船井郡日吉町)殿田)、終点が京都府何鹿 (いかるが)郡綾部町(→綾部市)となっていた。その経路は『船井郡世木村殿田〜船井郡胡麻村字胡麻(→胡麻郷村?→南丹市(旧:日吉町)胡麻)〜船井郡高原村実勢(→京丹波町(旧:丹波町)実勢)〜同村豊田〜府県道宮島須知線(→?)〜(大正)国道18号線(→国道9号線)〜船井郡三ノ宮村〜天田郡川合村〜何鹿郡綾部町』となっていた。 なお、起点は山陰本線殿田駅前(現:日吉駅)だったらしい。

◆昭和時代

 大正道路法による府道認定後の1920年(大正9年)度〜23年(大正12年)度にかけて道路改修工事が実施されたが、193

4年(昭9年)における殿田綾部線の総延長は約10・3kmのうち、改修済みの区間はわずかに1.2kmほどであったという。そこで1934年(昭9年)〜44年(昭19年)にかけて改修工事が行われたが、危険箇所や老朽化した橋の架け替え・補強などが中心であった。

 戦後の1947年(昭22年)度から道路改良工事が開始され、道路の拡幅や橋の架け替えが行われた。現在の旧道となる道はこの時期に改修されたものだろう。

 戦後、殿田綾部線を含めた大阪市池田市〜京都府瑞穂町(現:京丹波町)〜京都府綾部市間の沿線各自治体では国道昇格運動が盛んになる。その甲斐あって1963年(昭38年)4月に国道173号線に昇格するが、昇格したのは大阪府池田市〜京都府瑞穂町(現:京丹波町)だけで、殿田綾部線の京都府瑞穂町〜綾部市間の国道昇格は見送られた。しかしその後の1964年(昭39年)に、一般府道・殿田綾部線は主要地方道・京都府道綾部瑞穂線に指定。そして1975年(昭50年)4月に国道173号線に指定された。

 道路改修工事は1972年(昭47年)度から開始されており、78年(昭53年)度から本格的な建設工事が開始された。難所というか最大の工事となったのは質山峠を越える「須知山トンネル」の建設で、同TNは1982年(昭57年)2月に開通。現道はこの頃に開通したものと思われる。(完成年月などの詳しい資料が見あたらず、完成年ははっきりしません。) その後、改修を繰り返し現在に至っている。

参考資料>>綾部市史(下)/三和町史(下)

【合併情報】

●2005年(平17年)10月11日付けで、京都府船井郡丹波町、瑞穂町、和知町3町が対等合併して『京都府船井郡京丹波町』になりました。

●2006年(平18年)1月1日付けで、京都府天田郡三和町、天田郡夜久野町、加佐郡大江町の3町が京都府福知山市に編入して、『京都府福知山市』に

 なります。

国道173号線質山峠旧道

概略

R173質山峠旧道(北区間)

R173質山峠旧道(南区間)

R173質山峠旧道(2006年レポート)

○国道173号線質山峠旧道

 【概略】

 園部綾部街道時代より質山峠(須知山峠)を越える区間は難所であった。その改良は古くから行われていたようで、『三和町史(下)』によると1893年(明治26年)8月になって、質山峠の改修工事が実施されたとある。この工事は96年(明治29年)12月末には終了しているが、大正時代に入った頃までには、質山峠を含む何鹿郡役所(現在の綾部市にあった?)〜川井村字大原(現:福知山市三和町大原)間が一間(約2.7m)の道路に改修された。この道が殿田綾部線であるので、現在の旧道はほぼこのときのルートに沿ったものだと考えられる。

 さて質山峠(須知山峠)の抜本的な改修工事は戦後になってからのことであるが、『質山峠にトンネルを』という要望は戦前から出されていたそうである。『三和町史(下)』によると、1939年(昭14年)11月、天田郡川井村(現:福知山市三和町)大原・大頭などの沿道各区より、質山峠(須知山峠)にトンネル開堀という請願が提出されたという。(当時の)川合村内には鉱産資源や農産物が豊富であり、その搬出のために緊要であったというのが理由である。

 しかし時代が時代だけに資材不足により工事不可能だったのか、それとも必要なしと請願が退けられたのか不明だが、戦前〜戦中にかけてはトンネル工事は行われることはなかった。わずかに危険箇所や老朽化著しい橋の改良補修工事が行われたにすぎない。

 質山峠を含む難所区間の抜本的な改良工事は、戦後、殿田綾部線が主要地方道(綾部瑞穂線)に指定された後に開始されることになる。国道昇格前の1972年(昭47年)度よりバイパス工事が始まり、現在のR173にあたる道路が綾部市市街方向より建設が進んでいったようである。77年(昭52年)、須知山に三宝橋が架設。

 また質山峠下に建設されたBPTNである須知山トンネルは1982年(昭57年)2月に開通する。詳細な資料がないので開通年がはっきりしないのだが、須知山TNを含む質山峠のBPは1982年度末に完成 (開通)したのだろう。これにより峠を越えるルートは旧道と化しその役目を終えた。

参考資料>>綾部市史(下)/三和町史(下)

○国道173号線質山峠旧道

  質山峠旧道(北区間)

【レポートは綾部市→福知山市三和町方向(北→南方向)です。】

 質山峠旧道は綾部市街のR173旧道の続きとなる。ということになると、質山峠旧道の北側(綾部市側)分岐点は厳密に言えば存在しないことになる。しかしそれでは調査も記述も出来ないので、新綾部大橋が開通するまで旧道分岐点となっていた、新綾部大橋南詰近くの旧道と連絡道路(一時期国道)との交差点を分岐点と見なして話を進めることにする。

 連絡道路が右側に分岐すると、質山峠旧道は坂を下り新綾部大橋をくぐる。大橋を過ぎると民家は途切れて谷間に入る。以後、鬱蒼とした谷間を進む狭い2車線幅の舗装路が続く。沿道には何もない。また通る乗用車は皆無だが、ゴミ焼却場へ続く道なので、ゴミ収集車の姿が目立つ。

 北側分岐点から1.5kmほど進むと直進する狭い2車線道から右側に向かって1車線幅の狭路が分岐している交差点に到着する。作業道のようなこの道がR173質山峠旧道。広い道は綾部市ゴミ消却場に続くので、この分岐点までは旧道といえども整備されている。ここからが旧道本番だ。

 2000年(平12年)5月の調査当時は、まだゲートは設けられておらず通行可能だった。現在では鎖によるゲートが設置されており進入不可能となっている。これ以後は2000年5月調査時のデータをもとに記述している。

 旧道は鬱蒼とした山中を通る平坦な1車線幅の狭路となっている。路面は舗装されてはいるが、土砂や石さらには落ち葉などが積もっている。沿道の草木は路肩から浸食し始めており、元々狭い道が更に狭くなるような状態だ。少し進むと斜面から流れ出した水で川となっている区間もあり、道はすでに自然に戻り始めている。整備・復旧する気はないようだ。

 最初は平坦な狭路だったが、進むにつれて勾配のある坂道となった。500mほど進むと勾配のある急な右カーブを曲がり、進路を北に向ける。ほどなくして2つ目の急カーブが現れる。左カーブを曲がると狭い2車線道ぐらいまでに拡幅されていた。すれ違いのための待機場として使用されていたのだろうか。旧道にはお決まりの不法投棄された廃車が放置されていた。

 2つ目の急カーブの近くには、草が絡み付き埋もれかけたR173の国道標識が立っている。かつて国道であったことの証である。この場所からは遙か頭上に現在のR173の高架橋を見ることができ、行き交う車やトラックのエンジン音が聞こえてくる。今では通る車もなく、標識は静かに余生を送っていた。

 標識ポイントを過ぎると道は再び1車線狭路に戻る。緩やかな勾配のある坂道となり、淡々と谷間を進んで行く。標識ポイントから少し進むと木立の中に入り鬱蒼とした薄暗い狭路となる。しばらく狭路を進むと崩土現場に到着した。つい最近崩れたようで、斜面はむき出しになったままの新しい地面が残っている。入口に『崩土通行止め』と書かれた看板があったが、実はこのことを指していたのだ。幸いにも路面を覆った土砂は撤去されており、山林作業の軽トラが走ることが出来るようにしてあったので難なくクリアすることが出来た。

 崩土現場を過ぎると、坂道の勾配は徐々に強くなり始めた。道幅が1車線狭路のままということは変わりはない。見通しの悪い急カーブが何カ所か曲がると、やがて現R173との交差点に到着した。北側(綾部市側)の旧道分岐点から約5kmである。

 なお、現在この交差点の旧道北区間入口はガードレールが設置されて進入不可能となっている。

1.質山峠旧道北側分岐点。2車線道が現道へ

  の連絡道。旧道は左に進む。

2.右に進むのが旧道。左は焼却場へ行く。現

  在はゲートが設置されている。

3.中にあったR173標識。この時点(00年5月 )

  でこの状態。今はどうなっている事やら・・・。

4.崩土箇所。土砂は撤去されていた。道幅が

  どれほどかお分かりだろうか。

5.現道交差点の北区間入口。00年5月当時。

  元国道とは思えない道だった。

6.02年8月に撮影。ガードレールによって入口は

  閉鎖されていた。

○国道173号線質山峠旧道

  質山峠旧道(南区間)

【レポートは綾部市→福知山市三和町方向(北→南方向)です。】

 旧道は現R173を横切って現道の西側に移る。ほぼ正面付近に南区間の旧道入口があるが、現在はこちら側にも鎖によるゲートが設けられており進入不可能となっている。南区間の旧道入口は「やすばやサーキット」というサーキット場横にあり、旧道はまずサーキット場を取り囲むように大きな左カーブを描いて進んで行く。

 道は完全1車線幅の狭路でやや勾配のある坂道である。舗装もされているのだが路面状態は最悪で、流れ込んだ土砂や積もった落ち葉などで埋め尽くされていた。露出しているアスファルト舗装もあちこちで亀裂が入り、そこから草木が伸び放題となっており半ば埋もれ始めていた。また上からは枝が垂れ下がってきており、KSRで進むとヘルメットに枝が当たるという状態だった。廃道といってよい状態の極悪狭路だ。

 少し進むとサーキット場から離れて鬱蒼とした山中に入る。路面状態は相変わらずで荒れ放題。路肩より草木が浸食してきており、道幅は0.7車線ぐらいに狭くなった。さらに大きな石や倒木なども見られるようになるが、さすがに倒木は路肩に退けられていた。舗装路でなければ、今頃は完全に草木で生い茂り自然に還ってしまったことだろう。

 やがて1.5車線ぐらいに道幅は広がるが、路肩から生い茂った草木で実質走行可能なのは1車線分ぐらいしかない。路面状態は多少マシにはなるが、上から垂れてくる枝は相変わらずだった。枝がヘルメットに当たる中、鬱蒼とした山中を進んで行った。

 南区間入口から1.2kmほど進むと、『三和町』と書かれた標識が現れた。ここが質山峠。切り通しの峠で、峠前後は狭い2車線ぐらいの道幅があったようだが、草木の浸食などで走行可能な部分は1車線分ぐらいしかない。『綾部市』の標識もあったそうなのだが、草木に埋もれていたのか確認できていない。

 峠を越えてしばらくは鬱蒼とした山中を通るが、やがて木々の間を抜けて山腹の部分を通るようになった。時々作業車が通るのか、道路自体は手入れされているようだ。落ち葉などは路肩に溜まっている程度で、草木で生い茂っている峠南側とは雲泥の差だ。道幅はやや広くなり、1.5車線分ぐらいになる。よくある山間の道という感じの道路で、注意しながら進めば問題なくクリア出来る状態だった。

 やがて須知山TN南側(池田市側)抗口の真上を通り、大きな右カーブを描きながら標高を下げて行く。最後は緩やかな左カーブを曲がりながら坂道を下り、現R173との南側(池田市側)分岐点に到着した。南区間入口交差点から約2kmである。

 南側(池田市側)旧道分岐点は、須知山TN南側側(池田市)抗口より50mほど南の地点。綾部市方向に向かって、現道から右側に分岐する狭路が旧道だ。ただ旧道入口には鎖によるゲートが設置されてい るので、南側からのアプローチも不可能である。

 ちなみに旧道調査時だが、ゲート端にKSRが通れる隙間がなく、また鎖を跨いで進むことも出来なかったので、引き返してもう一度同じ道を走って戻った。

1.現道交差点の南区間入口。02年8月時点で

  は鎖によるゲートが設置されていた。

2.入口から少し進むとこういう状態になる。草木

  の浸食で道幅が狭くなっている。

3.一番ひどかった場所だったと思う。今は草木に

  覆われいるだろう。(南→北方向を撮影)

4.ここが質山峠。『三和町』の標識があった。

  かろうじて1車線分だけ道があった。

5.峠南側の区間。かなり走りやすい状態だっ

  た。時々作業者が入るのだろう。

6.旧道南側分岐点。鎖のゲートがあり進入不可

  能。左にTNが見える。02年8月撮影。

○国道173号線質山峠旧道

  2006年レポート

 2000年以降もR173で綾部には訪れているが、旧道調査は行わずじまいでした。2006年にようやく調査する機会を得たので、質山峠旧道の調査に向かいました。ただ旧道は完全に通行止めとなっている(廃道の模様)ので、綾部大橋南詰〜分岐点までの間のみとなっています。

【レポートは 綾部市街→質山峠方向(北→南方向)です。】

 綾部大橋南詰から左に分岐する旧道に入る。大橋をくぐると1.5〜狭い2車線道となり、民家のない山間を進んで行く。ゴミ焼却場への道路として使用されていることから整備されている。

 緩やかな坂道を1.5kmほど進むと、直進する道路から右に1車線狭路が分岐点に至る。ここが質山峠旧道の実質的な分岐点となる。旧道入口であるが、チェーンゲートが設置されており一般車の進入は不可能となっている。入口から見た限りでは分岐点付近の道路状態はさして変化はなく、狭路のまま奥に向かっている。その先の状態は不明である。

 途中のR173現道との交差点、南側旧道分岐点は以前と変化なくゲートが設置されており、一般車の通行は相変わらず不可能となっている。

1. 綾部大橋を過ぎると山間のローカル狭路を

  進んで行く。

2. やがて狭路分岐点に到着。右に分岐する狭

  路がR173質山峠旧道。

3. ゲートが設置されており進入不可能となってい

  る。この先の状態は不明。

<<MEMO>>

■概況・交通量など

 現在のR173質山峠旧道は各入口が閉鎖されており通行不可能となっています。記述のデータは2000年(平12年)5月に調査したときのものです。2001年夏頃にはゲートが設置されていたそうなので、2000年後半〜01年前半には通行不可能になったようです。不法投棄防止とあまりの崩壊・荒廃ぶりに廃道としたのでしょうか。

 質山峠旧道で走行出来るのは、ゴミ焼却場への道からの分岐点までの約1.5kmだけということです。この区間、ゴミ収集車が結構走っています。見通しの悪い区間では注意して下さい。

■注意点

 危険を冒して進入してレポートされているサイトがいくつかあります。それによると質山峠旧道は完全に廃道と化しており、自然に還る一歩手前の状態のようです。路面は草木で生い茂り、倒木や土砂崩れなどで道が塞がれているとのこと。2004年(平16年)夏の豪雨や台風23号による大雨でさらに荒れたはずです。

 進入は大変危険なので、触発されて徒歩などで探索されないように。もし行かれるのであれば、自己責任ということで行って来て下さい。何が起こるか分かりません。

●走行DATA

質山峠旧道(北区間)

【綾部市→福知山市三和町方向(北→南)を走行】

>>走行日:2000年 5月12日

質山峠旧道(南区間)

【往復走行】

>>走行日:2000年 5月12日

質山峠旧道(綾部大橋南詰〜分岐点)

【 往復走行】

>>走行日:2006年6月29日

注意>>【2006年レポート】以外で撮影年月が記されていない画像は2000年5月に撮影したものです。

【合併情報】

●2006年(平18年)1月1日付けで、京都府天田郡三和町、天田郡夜久野町、加佐郡大江町の3町が京都府福知山市に編入され、『京都府福知山市』に

 なりした。

【R173質山峠旧道終わり】

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