>>R370旧道TOP

国道370号線旧道(1)

学文路地区旧道

入野峠旧道

色生トンネル旧道

◆国道370号線学文路地区旧道

 和歌山県橋本市学文路(かむろ)地区は高野山(女人堂)へ向かう旧高野街道の出発地となる。それゆえ昔から賑わった町のようで、R370現道から町中の路に入ると昔ながらの家屋が立ち並んでいる。今は学文路地区を快適な2車線道で通り抜けているR370だが、1996年(平8年)頃までは町中を通る狭路が国道だった。短い距離であったが車同士の離合で慢性的な渋滞が起こっていた狭路であった。今では生活道路となっている。

 

>>Update 2008.05.04

○国道370号線学文路地区旧道

【レポートは西→東方向です。】

 和歌山県橋本市学文路(かむろ)地区のR370 旧道は、昔に通ったことがある人でないとかなり分かりづらい。R370現道を九度山方面から来た場合、R370現道は紀ノ川を渡る岸上橋南詰交差点で右折する。少し走ると南海高野線学文路駅前を通り過ぎる。その付近が旧高野街道との交差点。この旧高野街道との交差点が旧道西側分岐点となる。

 細い道との交差点で、知っていなければまず通り過ぎる。交差点角に記念碑が建ち歯科医院の看板が立っている交差点だ。

この交差点を左折するとR370旧道に入る。道は1車線幅の狭路。この道は旧高野街道にあたる道で、沿道の街並みもそれなりの雰囲気がする。R370現道から20mほど進んだ付近にある直角カーブを曲がると町中を進む。町中に入ると0.8車線ぐらいの道幅となり、学文路地区の民家の裏道という感じの道を進む。

 そんな町中を500mほど進むとR370現道と一度交差。その先も町中を1車線道で進み、しばらく行くと再びR370現道と合流する。

 

1.学文路地区旧道の西側分岐点。ご覧の通り、

  知っていないと分からない。

2.町中を狭路が旧道。現役時代は大渋滞してい

  た。(西→東方向を撮影)

 

◆写真はすべて2000年12月5日に撮影。

<<MEMO>>

 学文路地区のR370は今でこそ2車線の道で難なく通過出来ますが、1996年頃は町中をウネウネと進む0.8〜1車線道がR370でした。道幅が大変狭い上に交通量が多く、町中では車同士のすれ違いすら出来ない状態でした。場所によってはバイクと車とのすれ違いすら困難でした。町中では絶えず大渋滞が起こっており、ここの区間を通り抜けるのに20分ぐらいかかったように思います。沿線の住民の方達は大変迷惑されたことでしょう。

 そんな道でしたので、以後走っていなかったのですが、2000年頃に久々に訪れると立派な2車線道路が町中をぶち抜いておりました。懐かしさのあまり走ってみた旧道は、静かな町中の生活道路になっていました。あの大渋滞も昔話です。

 学文路地区の旧R370は、完全な生活道路になっています。走行には注意して下さい。

●走行DATA

学文路地区旧道

【東→西方向を走行】

>>走行日:2000年12月5日/他

注意>>この区間は、現役時代も含め、走行方向問わず何度か走行しています。走行日は使用写真の撮影日のみを記載しています。

【学文路地区旧道終わり】

国道370号線入野峠旧道

 宮滝大橋北詰から吉野川沿いに進んできたR370は、吉野郡吉野町窪垣内(くぼかいと)で鋭角に曲がり、2車線急坂で一気に山の斜面を駆け上がって入野(しおの)トンネルに入る。その先は山間を行く2車線道となって大宇陀方面に向かう。

 入野トンネルはR370の前身である県道(大宇陀国栖線)時代の1964年(昭39年)に開通した全長384mのバイパストンネルである。それまでは急坂とS字カーブが連続する狭路で入野(しおの)峠を越えていた。この道は江戸時代から続く大宇陀と吉野を結ぶ街道の後身であり、その道筋がそのまま県道となり、さらにR370になった 。

 なおR370指定は1975年(昭50年)4月なので、入野峠旧道は国道指定以前の県道時代に旧道となっている。ゆえに入野峠旧道はR370旧道ではないが、R370の前身である県道の旧道ということで分類し掲載していることをご了承願いたい。

参考資料>>吉野町史

■国道370号線入野峠旧道【2001年レポート】

国道370号線入野峠旧道【2007年レポート】

>>Update 2008.05.04

○国道370号線入野峠旧道

  【2001年レポート】

 更新前のR370レポートの文章を一部修正して転載しています。

【レポートはR166→R169方向(北→南方向)です。】

■入野峠旧道北側

 R370は奈良県吉野郡吉野町窪垣内(くぼかいと)から急勾配の道となり、入野(しおの)トンネルを抜けて北に向かう。地図を見ると、この入野トンネルの手前から分岐する細い道が標されているのに気付いた。2000年12月のR370全区間走破で走った時、入野トンネル南側付近には分岐する細い道などなかったように思えるのだが、とにかく地図に標されているぐらいなので道があるのだろうと思い、2001年3月に実走調査に向かった。 しかし入野トンネル南側の旧道分岐点が分からなかった。北側の旧道分岐点は簡単に分かったので、まずは北側分岐点から調査してみることにした。

 入野(しおの)峠旧道の北側分岐点は、大宇陀方面から来るとよく分かる。入野トンネル手前の下り坂が始まる所で左に分岐する平坦な1.5車線道が旧道。窪垣内方面からだと、入野トンネルの北側にある急勾配の坂が終わる付近だ。

 道幅は狭い2車線ぐらいあるのだが、舗装されているのは1.5車線分くらい。それでも道中央にはコケが生えている。しばらく進むと杉林の中を進む1車線道となる。落ち葉が積もっているが轍の部分は積もっていないところを見ると車が走っているようだ。 

 小さい神社の前を通り過ぎると左カーブを曲がる。緩い勾配の坂を上ると1軒の民家が見えてくる。この民家の前に分岐点があるのだが、ここで困ってしまった。右に曲がると舗装された1車線幅の道が続き、直進するとダートなって南に向かっている。地形を考えると直進するダートが入野峠を越える旧道のようなのだが、確信が持てない。

 幸いにも、たまたま民家からおじいさんが出てきたので話を聞く。直進するダートが旧道だと教えていただいた。この様子を見ていたおじいさんの娘さんも出てきて、『直進する道は確かに旧道なのですが、道は途中からとんでもない状態になっていますよ』と教えていただいた。

 ダート入口にKSRUを停めて、とりあえず少し歩いて様子を見に行く。ダート入口から20mほどで上り坂は終わり下りに入った。どうやら入野峠の分水嶺を越えたようだ。道は落ち葉が積もり腐葉土でぐちゃぐちゃになっている。KSRUで入ってきたらスタックしかねない路面状態だ。山中の薄暗い1車線道をさらに20mほど歩いてみたが、進むに連れて足を取られるぐらいにぬかるんでいた。道は更に先に進んでいるのだが、これ以上進むのは危険だと判断する。南側からアタックしてみることにして、そこで引き返した。

1.入野峠旧道の北側分岐点。左にそれる狭路

  が旧道。2車線道はトンネルに至る。

2.右下に2車線道を見ながら平坦な狭路を進ん

  で行く。

3.やがて鬱蒼とした杉林の中に入る。

  (R169→R166方向を撮影)

4.轍の部分以外は落ち葉で埋もれている。

  旧道らしい光景。

5.T字路に到着。旧道は直進するダート道。

  右折する舗装路ではない。

6.ダート道を進んで行く。この付近が分水嶺だっ

  た。入野峠である。

 

 

7.峠を越えるとダートの狭路のまま下り坂にな

  る。この付近で引き返した。

 

 

◆2001年3月19日調査。写真はすべて同じ日に撮影。

■入野峠旧道南側

 南側の旧道分岐点が入野トンネル南口付近にあるとのことなので、R370に戻り窪垣内に向かう。しかしトンネル南口付近には資材置き場のような広場はあるが分岐するような道はない。そのまま坂を下って行くが分岐する道など見当たらない。

 もう一度トンネルに向かって上ってみると、右側に急勾配の坂道があった。しかしこれはどうみて車道ではない。KSRUを停めて、とりあえずその急な道を登ってみる。息を切らして登りきると、そこはお墓だった。お墓参りに来られていた地元の方と偶然会ったので、旧道のことを聞いてみると『トンネル左側の資材置き場付近で旧道が分岐していた』とのこと。(後日、国土地理院発行の地図で確認してみると、入野TN旧道はトンネル南口で現R370から分岐しているように標されていました。)

 入野トンネル南口に戻る。トンネル南口の横にある資材置き場の様な広場は確かにある。中に入ってみるが、道らしいモノは見当たらない。広場入口にあるアスファルトが唯一の道の名残のように見える。資材置き場の一番奥まで歩き、草をかき分けて段差を登ってみる。草で覆われてはいるが、何となく道のように思えてくる。そこから山の上の方を見るとツタが巻き付いた放棄された電信柱が立っているのが見える。どうやらこれが旧道のようだ。

 入野峠旧道は廃道となり、南口付近は資材置き場となってしまったようだ。資材置き場の拡張の際に山肌と一緒に旧道(おそらくダート)も削り取ってしまったのではないかと推測している。

 何にせよ、入野峠旧道の南側は完全に自然に還ってしまっており、いかなる手段でも通行不可能である。夏場はマムシ(?)が出没するらしいので、徒歩は大変危険なのでやめた方がよいでしょう。

8.入野トンネル南口左側にある広場付近が旧

  道南側分岐点。

9.ご覧の通り道はない。奥に電柱が見えている

  ので、あの付近が旧道だろう。

10.道らしき跡。多分道だと思うのだが、写真では

  全く分からない。

◆2001年3月19日調査。写真はすべて同じ日に撮影。

○国道370号線入野峠旧道

  2007年レポート

【レポートはR166→R169方向(北→南方向)です。】

■入野峠旧道北側@

 前回走行から約6年後の2007年(平19年)11月に大宇陀からR370を南下する機会があったので、久々に入野峠旧道を走ってみることにした。前回の調査から南側からの進入は不可能であることが分かっていたので、今回は素直に北側旧道分岐点から入ってみることにする。

 R370現道の入野トンネルに向かう下り坂が始まる付近に旧道分岐点がある。吉野から大宇陀に向かって北上する場合は分かりずらいが、逆方向だと簡単に分かる。典型的な旧道分岐点だ。R370現道を右下に見ながら進んで行く。道幅は狭いながらも1.5車線幅ぐらいはあるのだが、路肩から侵食した草で実質1車線狭路となっている。6年前に比べると道路中央部におけるコケや草の範囲が広がっている。あまり車が通らなくなったのだろうか?

 杉林の中を抜けて小さい神社前を過ぎると左カーブを曲がる。少し鬱蒼とした山中という感じの場所に出、左側に2軒の民家が現れるとT字交差点に到着する。旧道分岐点から約600mである。

1.旧道北側分岐点。左に別れる狭路が入野峠

  旧道。

2.六年前と比べるとアスファルトの部分が少なく

  なっている。

3.路面中央と路肩にあるコケの浸食が進んでい

  る。いずれ草が生えてくるのだろう。

 

4.落ち葉が目立つ。電柱が家があることを証明

  している。

5.T字交差点。旧道はこのまま直進してダート道

  に進んで行く。

 

◆2007年11月3日走行。写真はすべて同じ日に撮影。

■入野峠旧道北側A

 交差点はそのまま直進する。すぐに舗装は無くなりダート道になる。轍の深い砂利ダートだが、大きい石が混ざっているので注意して進まないといけない。走ったのが11月上旬だったのだが、比較的暖かい初秋だったためか、草木はまだ生い茂っており鬱蒼とした峠となっていた。大雨などによる被害があった模様で、路肩にはこんもりした土の塊があったり、倒木も見受けられた。倒れて引っ掛かっている倒木のをくぐって進むという状態だった。入野峠の分水嶺を越える。2001年の調査では歩いて進んだのだが、今回はKSRUでそのまま突入する。

 峠を越えるとすぐに右カーブとなり、そのまま急坂を下って行く。水の流れた跡があり、大雨の時は川となっていることが伺える。そんな状態なので路面状態は悪いかと思ったがそうではなく、しっかりとした土であった。あとで帰るため登ったのだが、スタックすることなく進むことができた。

 路面には落ち葉・枯れ枝などが散乱している。大きな石も隠れていたりするので走りずらい。薄暗い山中をしばらく進む。杉林と竹林がごちゃ混ぜになっている。その木々の下に草が進出しており、路面も徐々に狭くなっているようだ。1964年(昭39年)の入野トンネル開通までは、この道を車やトラック・バスが走っていたそうなのだが、現状を見る限りではにわかには信じられない。旧道となってからかれこれ40年ほど経過しているので、姿も大きく変わってしまったのだ。

 300mほどダート坂道を下ると道が消えた。道は続いているようなのだが、路肩から進出してきた草木で完全に覆われ藪と化してしまっている。少し先に道が見えているので、藪をかき分けて抜ければ先に進めるかもしれない。しかし、この先の状態が全く不明なので進むのは断念。この地点で引き返した。

6.ダート道はこんな状態。倒木や崩れた土砂が

  あって荒れている。

7.この付近が分水嶺。入野峠ということになる。

  ご覧の通り、周囲は倒木などが目立つ。

8.引き返す時に撮影。峠の南側はこんな状態。

  よくあるダート林道のような道。

9.写真8の反対側から撮影。水の流れた跡が

  ある。少し急な坂道だ。

10.坂道を下る。雨の時は川と化すようで、中央

  部がえらく窪んでいた。

11.元々の車幅はこれくらいだろうか。

  (南→北方向を撮影)

12.引き返し地点付近は少し広い。でも路面は

  荒れ状態。(南→北方向を撮影)

13.KSRでの走行はここで断念。この先は藪と

  化していた。

14.藪の向こうに道らしきものがあった。まだ続く?

  縮小写真では何がなんだか分からない・・・。

◆2007年11月3日走行。写真はすべて同じ日に撮影。

■入野峠旧道南側

 入野トンネルを抜けて旧道南側分岐点に移動する。分岐点付近は資材置き場となっていたが、今回訪れると資材などはなく単なる空き地となっていた。前回同様、旧道の痕跡は全くない。以前は見えていた電柱の姿も消えている。なので、どこが何なのかサッパリ分からなくなっていた。草が枯れる冬期に来ないと判断は難しいようだ。

 

15.何がなんだかサッパリ分からない状態。

  元道に沿って段差ができているのだろうか?

16.どことなく道路のようにも見えた場所。草の

  枯れる冬期に来ないと分からないだろう。

 

◆2007年11月3日調査。写真はすべて同じ日に撮影。

<<MEMO>>

■概況・交通量など

 入野峠旧道は峠から南の区間はほぼ自然に還ってしまったようです。途中から通り抜け不可能(通行不可能)となっています。バイク・車での進入はしない方が無難です。引き返すのがかなり困難です。

 舗装路区間はたまに車が通るようです。なので対向車には要注意です。ダート区間はまず走っていないでしょう。

■アドバイス

 調査したのが初春と晩秋だったので虫はいなかったのですが、夏場は蚊やクモがうじゃうじゃ居るような気がします。聞くところではマムシ(?)も出るとか・・・。要注意です。

■注意点

 倒木が多い旧道です。大雨の後は大変な状態になっていると思います。悪天候時・大雨の後などの探索はやめた方が良いでしょう。冬期は路面凍結・積雪がある地域なので、これまた要注意です。

●走行DATA

入野峠旧道

【往復走行】

>>走行日:2001年3月19日/07年11月3日

【入野峠旧道終わり】

国道370号線色生トンネル旧道

 色生トンネルは吉野郡吉野町色生(いろう)地区にあるR370のトンネルである。トンネル銘板によると、全長117mでトンネル自体の開通は1981年(昭56年)9月とある。色生トンネルを含むバイパスは橋で津風呂川を渡り、トンネルでほぼ直線でショートカットしている。

 旧道は大きく蛇行する津風呂川に沿って進んでいる。国道370号線として指定された時は現役国道だった道で、トンネルを含むバイパス開通後に指定が解除され旧道となったようだ。時期的には1982年(昭57年)4月頃だろうか?

 旧道はしばらくは通行可能だったようであるが、いつ頃か不明であるが沿道において土砂崩

れが発生。道路が塞がれてしまい通行不可能になっている。復旧する様子は全くなく、このまま廃道となる可能性が高い。

>>Update 2008.05.04

○国道370号線色生トンネル旧道

【レポートはR166→R169方向(北→南方向)です。】

■色生トンネル旧道北側@

 吉野郡吉野町三茶屋のr28(県道吉野室生寺針線)との交差点から1.5kmほど南に向かって進むと、吉野町色生(いろう)の町を通り抜ける。町の南外れで短い色生トンネルを越えるのだが、そのトンネルが始まる直前、津風呂川を渡る橋の北詰で左に分岐する狭路がある。これが色生トンネル旧道で、R370現道とのT字交差点から分岐している。

 旧道は1車線幅の平坦な狭路。数軒の民家の軒先を通り過ぎると、すぐに工場前に至る。その工場を通り過ぎる当たりで『通行止』の看板と簡単なゲートが現れた。北側旧道分岐点から200mほどの距離で通行止めであるが、通り抜けることができるのでそのまま進むことにする。

 工場前付近は1.5車線幅ぐらいある。工場を過ぎると右側に津風呂川が見えてくる。見えてきた辺りから再び1車線狭路になって杉林の中に入って行く。やがて0.6車線ぐらいに道幅が狭くなり、工事用フェンスに沿って進むようになった。路肩から草木が侵食してきており、もう何年も車は走っていないようだ。そして最初のゲートから約100mで再びゲートが現れた。

1.色生トンネル北口手前の橋北詰から旧道が

  分岐する。

2. 分岐直後の旧道。1車線狭路のローカル道。

  山間の農村を行く。

3.工場横で最初のゲートが現れる。『通行止』と

  なっているが通行は可能。

 

4.少し進むとこういう状態に。何年整備されてい

  ないのだろうか。(南→北方向を撮影)

5.やがてゲートに到着。ここからは歩いて進む。

  (南→北方向を撮影)

 

◆2007年11月3日走行。写真はすべて同じ日に撮影。

■色生トンネル旧道北側A

 2つ目のゲートは道幅一杯に設置してあった。ここから先はKSRUでも進入できないので歩いて進むことにする。路面はほとんどが草に覆われていた。最初はダート道かと思ったがよく見るとアスファルト舗装の上に草が生えていることに気が付く。所々にアスファルト舗装が見えているので舗装路だったことが分かる。しかし少し進むと完全に草に覆われてしまっていた。もう何年も車が走っていないようだ。

 この付近は杉林の中を行く1.5車線道。すぐ右側を津風呂川が流れている。本来なら川の流れを見ながら進むことになるのだが、ほんの50mほど進むと崩れた土砂で道路が埋もれていた。いつ頃に起きた土砂崩れかは分からないが、崩れた土砂の上にも草が生えているところを見ると、崩れてから結構な年月が経っているように思える。復旧工事をする様子は全くなく、なすがまま、荒れるがままに放置されていた。どうやら旧道は途中から廃道となったようだ。

 この先の現場を歩いて越えることは危険なので、土砂崩れ現場で引き返した。

7.旧道は草で覆われていた。道路であることが

  かろうじて分かる状態。(南→北方向を撮影)

8.ダートかと思ったら舗装路だった。アスファルト

  舗装が所々に見えている。

9.コケと土砂の上に草が生えたようだ。廃道とな

  って何年経ったのだろうか?

10.やがて道が無くなり、土砂で埋まっていた。

  手前はかなり以前に崩れた模様。

11.少し進むとその先には土剥き出しの土砂崩

  れ現場だった。

12.望遠で撮影。木々が新しいところを見ると、最

  近崩れたのだろうか。

◆2007年11月3日調査。写真はすべて同じ日に撮影。

■色生トンネル旧道南側

 現道に戻り、色生トンネルを越えてトンネル南口の南側旧道分岐点に移動する。南側旧道分岐点はトンネル南口直前にある橋の南詰にある。R169から見て、右側に分岐するのが色生トンネル旧道である。

 旧道は分岐点でゲートが設置されており、分岐点からすでに通行止めになっていた。なので南側からも歩いて突入する。分岐点付近の道幅は狭い2車線幅ぐらいはあった。この付近はまだアスファルト舗装が見えていたが、車が通らなくなってかなりの年月が経ったようで、路面の多くはコケとコケの上に生えた草で覆われていた。あちこちに落石も見られるところを見ると、この付近の地盤はもろい のだろう。

 50mほど歩くと土砂崩れ現場に到着。当然のことながら土砂で道を覆い尽くしており通り抜け不可能である。よく見ると土砂と押し流された木は新しく見える。最初の土砂崩れの後、最近になって新たに土砂崩れが発生したのだろう。こちら側も復旧工事をする様子は全くなく、このまま廃道となる可能性が高い。南側からも確認して現場から撤退した。くどいようであるが、土砂崩れ現場は歩いて越えないように。

13.トンネル南口手前の橋南詰が旧道分岐点。

  右に向かうのが旧道。

14.しかしすぐにゲートが設置されており、通行止

  めになっている。

15.分岐点からしばらくはガードレールのある狭い

  2車線道。舗装も見える。(北→南方向を撮影)

16.少し進んだ鬱蒼とした所になるとご覧の状

  態。(北→南方向を撮影)

17.アスファルト舗装の上にコケが生え、その上

  に草が生える。自然に還りつつある。

18.やがて土砂崩れ現場に到着。結構大きい土砂

  崩れのようだ。

 

 

19.最近なのかもっと以前なのかは不明。どっち

  にしろ復旧する気はない模様。

 

 

◆2007年11月3日調査。写真はすべて同じ日に撮影。

<<MEMO>>

■概況

 川沿いに迂回して進む旧道とほぼ直線でショートカットするバイパスという、典型的な旧道とバイパスを関係を示してくれています。通行可能だろうと思って現地に来てみましたが、途中で土砂崩れで通行止めになっているとは予想外でした。

 通行止め区間の路面状態からして、かなり以前に通行止めとなったようです。土砂崩れ現場もいつごろ崩れたのかは分かりません。どっちにしろ土砂崩れがあって通行止めになりそのまま放置。最近(?)になって更に崩れたというところでしょうか。このまま廃道にするようなので(すでに廃道?)、復旧する気配は全くありません。何年か先には道路があったことすら判別できなくなるのでしょう。

■注意点

 走る車は途中にある工場関係の車両だけでしょう。通り抜ける車はいません。

 土砂崩れ現場ですが、かなり危険な状態にあります。歩いて通り抜けるのは危険なのでやめましょう。

●走行DATA

色生トンネル旧道

>>調査日:2007年11月3日

【色生トンネル旧道終わり】

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