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国道370号線旧道(2)

三茶屋地区旧道

大宇陀地区旧道

◆国道370号線三茶屋地区旧道

 R370とr28(県道吉野室生寺針線)との交差点が三茶屋交差点で、この付近一帯が吉野町三茶屋地区となる。三軒の茶屋があったことから付けられた地名だそうだ。ここは伊勢南街道(和歌山街道)と大宇陀と吉野を結ぶ街道との交差点にあたる場所で、江戸時代はここで参勤交代する紀州徳川家が昼食をとる場所であったらしい。ちなみに江戸時代の伊勢南街道は、ここから東にある小名峠を越えて鷲家に抜けていた。

 R370現道は平坦な2車線道で三茶屋地区を南北に貫いている。R370現道の西側に集落があり、その中を通る狭路が旧道。ただしバイパスがいつ頃に供用開始となり旧道となったのかは

不明。県道時代に旧道になったのかもしれないが、ここではR370旧道として紹介する。

>>Update 2008.05.04

○国道370号線三茶屋地区旧道

【レポートはR166→R169方向(北→南方向)です。】

 三茶屋地区旧道の北側分岐点は、宇陀市大宇陀区(旧:宇陀郡大宇陀町)と吉野郡吉野町との境近くの津風呂川を渡る橋の北詰となる。R166からR169方向に向かうと、橋北詰で右側に分岐する狭路が旧道。かつては右カーブだった場所のようで、R370現道が直線に延びている。

 現道から離れると1車線狭路となって津風呂川に沿って進んで行く。旧道分岐点付近の旧道は木材の積み出し場所になっている。積み出し所を抜けると薄暗い場所を通る川沿いの狭路となる。平坦な道を400mほど進むと、吉野町三茶屋地区の集落に入る。すぐ左側(東側)にR370現道の2車線道が見える。

 集落内に入り、300mほど進むと交差点に到着する。角に道標があり、『右 いせ道』『右 よしの かうや道』などと記されている。ここがかつての伊勢南街道(和歌山街道)との辻なのだろう。

 ここから旧道が分からなくなる。交差点を左折して東に向かえばすぐにR370現道に出るのだが、どうやらその道は小名峠を抜けて鷲家に向かう街道の後身のようなので交差点を直進する。1.5車線幅の狭路を進むと、ほどなくしてr28(県道吉野室生寺針線)に出た。ここで旧道を見失う。r28交差点からすぐ先に三茶屋交差点があるので、このままr28を進んで交差点に至るのが旧道なのかもしれないし、集落内を通る細い道がそうだったのかも知れない。資料がないので旧道の南側分岐点は不明のままであるが、ひとまずはr28交差点を旧道分岐点と見なしておく。

1.旧道北側分岐点。右にそれるのが旧道。

  津風呂川を渡る橋の北詰である。

2.旧道に入ると木材積み出し所になっていた。

  しばらく木材の中を通る。

3.やがて薄暗い場所を通る狭路になる。ローカル

  道らしい風景。

4.やがて三茶屋地区の集落に入る。すぐ左側に

  現道の2車線道が通っている。

5.この先にT字交差点がある。朽ちかけた標識

  が立っていた。

6.T字交差点を南側から見る。写真右に向かうと

  R370現道に出る。

7.交差点角には道標が立っている。旧街道の

  辻らしい風景。

8.交差点を左折するとすぐにR370に出る。こち

  らは伊勢南街道の後身か。

9.交差点を直進。この先でr28との交差点に出

  る。そこから先の旧道ルートは不明。

◆2007年11月3日走行。写真はすべて同じ日に撮影。

<<MEMO>>

■概況など

 大宇陀からR370を南下して色生トンネル旧道と入野峠旧道に向かう途中に立ち寄りました。最初は調査する気はなく通過するつもりだったのですが、北側旧道分岐点があまりにも典型的な旧道分岐点だったもので、一度通り過ぎたものの三茶屋交差点手前で引き返して走った経緯があります。

 旧街道の道標を見つけています。道標は立派な物で、4面に文字が彫られています。うち2面はどうにか判読できましたが、他2面が判読できませんでした。1面には行き先、もう1面には建立年が彫られているようです。この道標がある場所が旧街道の辻なのでしょう。周囲の民家は歴史を感じさせる立派な家屋でした。

 この先でr28と合流しますが、その付近から南の旧道ルートは不明です。時間がなかったのでr28交差点で調査を終えて南に移動しています。交差点の感じからしてr28現道に合流して三茶屋交差点で右折(南に分岐)していたのだろうと思います。

●走行DATA

三茶屋地区旧道

【R166→R169方向(北→南方向)を走行】

>>走行日:2007年11月3日

【合併情報】

●2006年(平18年)1月1日付けで、奈良県宇陀郡大宇陀町・菟田野町・榛原町・室生村の1村2町が対等合併して『奈良県宇陀市』になりました。 各町

 村はそれぞれ、『宇陀市大宇陀区』『宇陀市菟田野区』『宇陀市榛原区』『宇陀市室生区』となりました。

【三茶屋地区旧道終わり】

国道370号線大宇陀地区旧道

 宇陀市大宇陀区(旧:宇陀郡大宇陀町)ではR166とR370が宇陀川を挟んで南北に通っていた。かつての宇陀郡大宇陀町内で最初に国道指定されたのはR166で、1953年(昭28年)5月に指定された。

 大宇陀町の旧松山町内では旧松山街道がR166に指定されたと思っていたのだが、大宇陀町史によると、1942年(昭17年)に合併で誕生した大宇陀町が戦後に建設した西山線という

都市計画道路が国道指定されたとある。この道は宇陀川西側にあった道で、今のR166なのかどうかははっきりしない。

 さて1975年(昭50年)4月に国道指定されたR370は、ほぼ旧松山街道のルートをなぞるように指定された。旧宇陀郡榛原町からやってきたR370は、R166と接することなく宇陀川東側を南下。宇陀松山藩の城下町の面影が残る昔の町並みの中を通り、捨生交差点の東隣の交差点で初めてR166と合流。すぐ隣の捨生交差点までの100mほどの区間だけ重複し、捨生交差点から単独分岐して南に向かっていた。

 2本の国道が宇陀川を挟んだ対岸を平行して南北に通っていたことになる。メインルートとなったのはR166の方で、旧街道となるR370は裏道的な存在で生活道路という感じの道であった。@管理人がR166で東に向かう時、大宇陀では混雑するR16

6を避けてもっぱらR370を走っていた。年2〜3回は走っており、R166と最接近する野依交差点から南の区間内にはR370国道標識が3本設置されていることも承知していた。

 ところが2006年(平18年)頃になって大きく変わった。この年の6月にいつもの様に走ってみると、区間内にあったR370国道標識が全て撤去されていたのだ。R166側の案内標識もR370は抹消されており、旧松山街道沿いの区間は国道指定を解除され、R370は野依交差点を右折してすぐの内原交差点でR166と合流。重複して南下して捨生交差点から単独分岐して南に向かうというようにルート変更されてしまったようなのだ。

 @管理人が気付いたのが2006年6月。少なくともそれより以前に解除されているのだが、詳細な年月ははっきりしない。手持ちの写真から判断する限り、少なくとも2005年(平17年)6月頃までは指定されていたようだ。

■国道370号線大宇陀地区旧道【現役国道時代】

国道370号線大宇陀地区旧道【2006年走行レポート】

>>Update 2008.05.04

○国道370号線大宇陀地区旧道

  【現役国道時代】

以前のR370走行レポートを転載・一部修正して載せています。

【レポートはR169→R165方向(南→北方向)です。】

 吉野郡吉野町から北上してきたR370は捨生交差点を右折して松阪方面に向かうが、早くも次の信号の交差点で左折してR166から単独分岐する。R166との重複区間は120mほどである。

 R166から分岐したR370は、宇陀郡大宇陀町(現:宇陀市大宇陀区)の旧市街に入って行く。江戸時代は奈良・大和郡山 に次ぐ大きな町、宇陀松山藩の城下町として発展した大宇陀なので町並みはかなり立派だ。町中のR370は昔の松山街道をそのまま改良・整備した道となっている。道幅は1.5車線幅で約1.2kmに渡って昔造りの家並みが残っている。ゆっくりと進んで雰囲気を楽しんで進む。

 1.5車線道をしばらく進むとすぐ左側(R370の西側)をR166が走っているのが分かる。大宇陀町内では重複せずにR166とR370が単独で数百m〜1kmほどの間隔で平行しており、場所によってはスーパーを挟んだ向かい側にR166が見える。

 3kmほど進むと野依交差点に到着する。すぐ西側にR166の内原交差点が見えるが、R166とR370との接点はない。

 R370は野衣交差点から整備された2車線道となり、宇陀川に沿って北上。宇陀郡榛原町(現:宇陀市榛原区)の萩原交差点に向かう。

1.捨生交差点の東隣の交差点で左折する。

  細い道がR370。

2.写真1の交差点にはR370の経路を示す標識

  があった。

3.旧松山街道沿いの町中を行く。昔ながらの建物

  が続く。(R165→R169方向を撮影)(0010)

4.写真3の標識を別の角度から撮影。

  (R165→R169方向を撮影)

5.町の外れ、慶恩寺というお寺の近くにも標識

  があった。(R165→R169方向を撮影)

6.写真5の標識を別角度から。

  (R165→R169方向を撮影)(0010)

 

 

7.町中心部から離れた所に3枚目があった。

  (R165→R169方向を撮影)

 

 

注意>>市町村名は走行当時の名称です。

◆撮影年月の記載がない写真は2001年2月10日に撮影。

○国道370号線大宇陀地区旧道

  2006年走行レポート

【レポートはR165→R169方向(北→南方向)です。】

 2006年(平18年)6月にR369栂坂バイパスを経由して帰阪する際、宇陀市榛原区(旧:宇陀郡榛原町)内牧から裏道で大宇陀に抜けた。r217(県道高塚野依線)でR370交差点に出ると、標識にあったR370の表示が消されていることに気が付いた。(写真1)

 いつもならこの交差点を右折し野依交差点からR166に抜けるのだが、交差点を左折して市街へと向かう。当たり前なのだが道路自体には変化はない。昔ながらの町中を行く1.5車線道が続く。【現役時代レポート】の写真7の地点に来たのだが、あったはずの標識が支柱ごとなくなっている。痕跡を探そうにも、この標識の位置がはっきりと思い出せないので、次の標識に向かう。

 ほどなくして慶恩寺前に到着。ここにあった標識の場所は覚えているが、ここも支柱ごと撤去されていた。標識があった場所には真新しいコンクリが。支柱ごと引っこ抜いて、跡はコンクリで埋めたようだ。(写真2) そして次の地点、「大黒屋」前の標識があった場所も同様だった。(写真3)

 昔ながらの町中を抜けてR166交差点に到着する。この交差点を右折するとすぐに道の駅『宇陀路大宇陀』である。この交差点の標識もR370は消されていた。【現役時代レポート】の写真2と比較してみれば一目瞭然である。

 R370国道標識はすべて撤去されたということは、野依交差点〜R166交差点はR370の指定を解除されたと見てよいだろ う。野依交差点を右折して内原交差点からR166と重複するというルートに変更されたものとを思われる。

1.r217交差点正面にあった標識。左のR370

  の表示が消されている。右のR370も後日、

  r217に変わっていたように思う。

2.慶恩寺前の標識も撤去されている。知ってい

  なければどこにあったか分からない。路面の

  コンクリがあった場所を示している。

3.「大黒屋」前の標識も撤去。ここも一瞬、どこに

  立っていたのか分からなかった。電柱前である

  ことを思い出して撮影した次第。

 

 

4.R166交差点にある標識。左下にあったR3

  70の表示が消されている。

 

 

◆2006年6月1日走行。写真はすべて同じ日に撮影。

<<MEMO>>

 R166交差点〜野依交差点間のR370は、その国道指定を解除された模様です。ここまで徹底的にR370の表示を消されると間違いないでしょう。R166と重複するルートに変更になったようです。いつ頃かは分かりません。奈良県の官報を見れば分かるのでしょう。広域合併が2006年(平18年)1月1日付けで行われているので、その頃ではないかと推測しています。

■概況・交通量など

 国道指定を解除されて旧道になったとはいえ、旧市街地内を通る生活道路なので交通量は多い道です。また観光客の姿もちらほらと見かけます。町中では歩行者・自転車、対向車ならびに路地が出てくる車に注意して下さい。

●走行DATA

大宇陀地区旧道(現役時代)

【北→南方向を走行】

>>走行日:2000年10月21日/01年2月10日/他多数

大宇陀地区旧道(旧道時代)

【北→南方向を走行】

>>走行日:2006年6月1日/他多数

注意>>この区間は、走行方向問わず頻繁に走行しています。走行日は使用写真の撮影日のみを記載しています。

【合併情報】

●2006年(平18年)1月1日付けで、奈良県宇陀郡大宇陀町・菟田野町・榛原町・室生村の1村2町が対等合併して『奈良県宇陀市』になりました。 各町

 村はそれぞれ、『宇陀市大宇陀区』『宇陀市菟田野区』『宇陀市榛原区』『宇陀市室生区』となりました。

【大宇陀地区旧道終わり】

 

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